matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

八戸から山形へその2-多賀城

2018-07-06 10:59:56 | 日本100名城




 盛岡に1泊して、2日目は仙台へ向か
いました。

 多賀城

 仙台からJR東北本線で国府多賀城駅
まで。

徒歩5分のあやめ園では「多賀城跡あや
めまつり」が開催中でした。
あやめ・花菖蒲など800種、300万
本が咲き乱れています。

6月24日(旧暦5月8日)、松尾芭蕉
は「おくのほそ道」の旅で、「壺碑(つ
ぼのいしぶみ)」を目指し、仙台を立つ
際に「あやめ草足に結ばん草鞋の緒」の
一句を詠んでいます。


  (多賀城碑)

多賀城碑は奈良時代の古碑。碑面には
141文字が刻まれており、多賀城の
創建や修造について記されています。



歌枕の「壺碑」とも呼ばれ、芭蕉は「お
くのほそ道」の旅路で訪れ、涙が流れそ
うになるくらい感動したことを記してい
ます。

壺碑とは、坂上田村麻呂が大きな石の表
面に、矢尻で文字を書いたとされる石碑
。多くの歌人が和歌に詠いました。江戸
時代の初め頃、多賀城碑が発見されると
、多くの人から「つぼのいしぶみ」であ
るとされました。


  (政庁跡)

多賀城は724年に創建され、陸奥国府
と鎮守府が置かれた古代国家による東北
支配の要衝でした。

約900m四方に及ぶ多賀城跡の中央に
は約100m四方の政庁跡があります。


  (政庁正殿跡)

平城宮跡、大宰府跡とともに日本三大史
跡の一つに数えられています。

平安時代に都の貴族たちは、この地を「
みちのく」の名であこがれ、国府の官人
だけでなく幾人もの歌人が歌を詠んでい
ます。


  (政庁復元模型)

802年に胆沢城が造営されると、鎮守
府はここに移され、国府多賀城は胆沢城
鎮守府を後方から守る役割になりました




陸奥国は、蝦夷との戦争をへてしだいに
領域を北に拡大し、版図の拡大には城柵
(軍事的防御施設)を設置する政策がと
られました。

古代には東北の拠点であった多賀城は、
10世紀にはその歴史的役割を終えまし
た。




最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
多賀城を見て思うこと ()
2018-07-12 19:41:15
多賀城の歴史は古く東北の要所であって日本三大史跡の一つだったことを知って、また勉強になりました。
ありがとうございました。猛暑なので、体調に気を付けてください。
返信する

コメントを投稿