
入山日 2013年11月30日 (土) (晴) 単独 (”舟石新道は、鹿道だった”とはたそがれオヤジさんの名言。 )
なんだか、わけのわからないタイトルですが、舟石新道なるものの一部を歩いてみたくて足尾の山に入りました。
ヤブ歩きの先輩がたの多く? が歩かれている新道と名のつく古道はいつか歩いてみたいと思っていました。ただ、この古道、なな”の通常やるヤブ入りとは趣がことなり、尾根伝いに歩くのではなく、山の稜線の裾野斜面を巻くようにうねうね辿るルートのようです。要するに、私のいつものヤブ歩きの手法があまり通用しないということ。もちろん、現在は一般ルートではなく、歩く人も稀なはず。様々な記事によると踏跡もあったり、無くなったり、ただし、コースの多くの部分はブリキのマークを頼れるらしいとの事。以前、塔の峰に行くことを計画した時、その帰りにその古道を歩き舟石峠まで歩こうと考えていたら、たそがれさんにコメントで、初めてでは難しいので、やめたほうがいいような旨の教えをいただきました。その意味が一度めの歩きを終えた今、わかるような気がしています。事前情報での準備不足等で、結果的に古道歩きは半分になりましたが、半分の楽しみが残ったともいえますので、今後に繫げようと思っています。
今回の歩きは、山行直前に見た、2011年4月のたそがれオヤジさんのこの記事のまるっきり後追いになりました。 http://blog.goo.ne.jp/mailaddress-1234/e/17c2628a12b6b13d4eeaee8e5d0bcc1a
(スタート地は銀山平、かじか荘先の林道ゲート前)
course : かじか荘先ゲートP 6:42 ・・・ 舟石峠下 7:13 ・・・ 塔の峰尾根への取り付き 7:55 ・・・ 塔の峰山頂 10:17-27 ・・・ 日ヶ窪峠 11:09 ・・・ 庚申山一般道合流 13:28 ・・・ かじか荘先ゲートP 15:16
ヤブ入りは舟石峠少し手前の鳥獣観察舎付近の鞍部。林道歩きを20分くらいもしただろうか。日差しは射していて、朝焼けがきれいだったが、ごくわずかだけれども小雪も舞っていた。林道から斜面に取り付くとすぐに作業道のような切り開かれた小道に出会いそれを利用して数分上っていく。その小道はすぐに途切れ、その先は獣道程度の踏跡を追い、山腹を巻いて行く。案外踏跡がしっかりしていて、歩く場所を探して右往左往することは当初ほとんどなかった。
この日は目覚めた時から、最近にしては珍しく軽く頭痛、左目奥が軽く痛い。寝不足なのはわかる、前日会社から帰ったのが遅かった。 起きた時の睡眠サイクルが悪かったのか。耐えられないほどではないので、少し我慢しながら歩く。
山腹を巻く踏跡を追うと、噂に聞いていたブリキの目印が点在しだすのに気づく。このブリキマークは、主になな”の進む方向からよく見えるように設置されているようだった。
1231Pの南西の鞍部に登り、そこから方向転換するような形で、また山裾をトラバース歩き。鞍部から数分歩いて塔の峰へ北西に登っていく尾根の末端部分に辿りついた。(P ↓) そこから尾根伝いに行くものかと思ったが、時々でてくるブリキは尾根の南側の斜面に導いている。最初踏跡もあったので、歩きやすそうな尾根センターをはずれブリキの誘いに従ってみた。
南斜面の目印を追い、踏跡をたどるも、涸沢を渡った時点あと明瞭な踏跡を失う。その後、鹿道らしいかすかな踏跡を頼りに今までの水平歩行に習った歩きをしばらく継続するも、落ち葉の堆積が深い部分や斜面が非常に歩きずらい箇所などがあり、目印が出てこなくなったこともあり、すぐ左上方向にある尾根センターに乗って歩くことにした。尾根に乗ってみると、足尾によくあるような歩きやすい障害ヤブのない尾根(P ↓)が続いていた。
北方面には中倉、沢入山だろうか。あの稜線が見えてきた。
尾根に乗っても、左(南側斜面)にブリキマークがあるのではなかろうかと、左下方を気にしながら歩くも、ブリキの目印はその後、山頂まで見当たらず。それもそのはずで、帰宅してからネット情報を確認すると、舟石新道は尾根のかなり下方、中腹を水平にのびるような道だったのだ。
途中、木の幹に目印らしいものを見つけ、南の山腹にトラバースしてみるも、木の幹のシミだった。その先に薄い踏跡があったので、少し進んでみたが、結局歩きづらく、目印も見当たらないので、尾根に復帰してしまった。(P ↓) 尾根に戻ると、尾根上は薄っすら積雪。気持ちのよい程よい傾斜の登りが続く。このあたりに来ると、歩きに夢中で頭痛のことは忘れた状態になっている。
目の前に塔の峰のピークだろうか、大きく姿を現してきた。
常に気にしながら歩いた南方面の斜面。カラマツの林だろうか、それと気持ちのよい笹原が下っていく。結構急傾斜。斜面のどこかにブリキに導かれて辿る、消え入りそうな道があるのかと思う。
参考にしたたそがれさんの記事も、塔の峰山頂に至っているので、まずはそこをめざす。今年シロヤシオの咲くころ尋ねたピークでもある。その時は笹ミキ沢左岸尾根を歩いて北上し山頂に着いた。今回も最後直線距離200Mくらいはその時の尾根に合流し重複した歩きになる。その尾根が左方向から上がってくる、合流直下は樹林帯の中の急な登りをしばらくこなさなければならなかった。(P ↓) 笹ヤブも腰高まで来ているけれど、そんなに煩わしい感じはしない。やはり体調があまり良くないようで、いつもの調子まで今一つ乗り切れない感じが続いた。
笹ミキ沢左岸尾根に合流すると、気持ちの灌木の中の笹原歩きになる。結構笹が深い、腰高くらいある所もある。場所を選ぶと、いい具合に薄い踏跡がある。今年の春に歩いたばかりなのに、意外に笹の深さなどの印象が自分の中に残っていなかった。
ゲート前から歩き始めて、約3時間半で塔の峰山頂に到着。当然誰もいない、ここまで人の足跡すらひとつも無かった。遠くの皇海山はうっすら雪化粧。 一つの木にくくりつけられた、たそがれさん特製の山名板は健在だった。
だれもいない山頂でおにぎりを食べて少し休憩。庚申山からオロ山の稜線も見えていて爽快。前回ここに来た時はあの庚申山まで、尾根伝いに辿ったのだった。 ここにきてお天気は冴えまくっている。
山頂からはどうするか、先ほどの尾根取りつき付近の踏跡を失ってブリキを追えなくなった経緯が頭に引っかかっている。 当初の予定では、笹ミキ沢左岸尾根を三角点1455.9m近くまで下り、その手前にある日ケ窪峠から舟石新道に入るつもりでいた。今日の古道歩きの初め地点、初っぱなからあのように古道を追えずに踏跡と目印を見失うようでは、日ケ窪峠から庚申山一般ルートまで、古道を辿れるのか不安になっていた。まして、尾根伝いに歩けばよいルートではないのである。結構精神的に不安を抱えることになった。とりあえず日ケ窪峠までいって、その先は、そこで考える事にした。
とりあえずは1455.9mを目指すが、尾根型がややや広まり間違い尾根に引き込まれぬように、コンパスを見ながらの慎重歩きで笹原を下る。途中結構急な下りと割と深い笹に、前回ここを登ったのかーと、感心したりする。
(山頂南東の鞍部。)
日ケ窪峠までは、方向確認をしつつの急な下りの連続。 遠くに鹿沼の夕日岳方面がくっきり見えた。
1455.9mまでもうちょっとの地点、ボロの長いテープが垂れていて。傍らの木にブリキのある鞍部に到着。山頂から約40分強かかった。このまま尾根を直進し南下すれば笹ミキ沢の橋の地点の林道に下れる。今年の春の登りコースなので、なんとか下れるのはわかっていた。
問題はここから西に進む舟石新道を行った場合だ。距離はさほどではないけれど、庚申山一般ルートの仁王門付近までの曲折のある、山腹を巻く水平コースのよう。2時間も歩いて一般ルート合流直前になって、道を失い右往左往だけはちょっと嫌。庚申山周辺はなんといっても切り立った岩壁があちこちにあるのは、何度も歩いてよく知っているので、未知の沢を強行で下るようなことは、あってはならないと思っていた。ただ、今日のテーマはこの古道歩きがメイン。行ってみたい気持ちは強かった。少し歩いて様子を見てみようと思い、峠から西への古道に歩を踏み出した。
日ケ窪峠からの古道を進む。意外な事に、最初踏跡はややはっきりしており(ただし、一般ルート的ではない)目印のブリキ板も頻出するので、ストレス無く進める古道がしばらく続いた。
南方面には小法師岳方面だろうか、長大な尾根が連なっていた。
踏跡は時に笹に隠される。ただしえぐったような道型が残ったりしている地点もあり、(P ↓)目印探しや、勘や推測を働かせながらの基本水平歩きを続けていく。
基本的には西方向を目指す古道だが、ほぼ水平歩行のコースらしく、尾根がせり出したり、沢が走っている地点では大きく南へ北へ進行方向は曲折していく。したがって自分の影を追ったり追われたりを繰り返す。前方に庚申山の姿らしいものが見え出すと、それを目標に歩いていった。(P ↓)
沢があると、大きく沢方面に迂回し少しの沢を渡ることを繰り返す。(P ↓)涸れ沢、水のある沢を何度も渡っていく。その都度だけ、ほんの少しのアップダウン。 目印が多いこともあり意外にも、すんなりというか、道を失わずに古道を進めている。
峠から1時間ちょっとの地点、開けた場所にでた。右手上部には塔の峰から庚申山へ続く稜線だろうか。その稜線はかなり上方にあると感じた。
笹ミキ沢の源流なのだろうか、かなり全面的にナメ状態の沢に水がサラサラ流れていた。ここも渡渉した。
峠から1時間半の地点、笹ミキ沢の源流付近はいくつもの尾根をまたぐような歩きになり地形がやや複雑になりだす。(P ↓) 基本ブリキを追えばよく、あくまでほぼ水平歩行のパターンはマスターしつつあるようで、ここまでも特に困難なし。
薄暗い地点を横切る。ここはちょっと複雑地形だったが、不安になりだすと目の前にブリキが連発して並んでいたので素直に従い難なくクリアー。
日ケ窪峠から約2時間経過、もう一般ルート合流真近だろうという地点、不意に目のまえにでっかく庚申山の岩壁が現れ、自分が岩の尾根上にいる状態になっていることに気づく。尾根直進は危うげな岩でその先は下りのようだが先が見えない。ふと右下をみると大岩と大岩の間に下っていくように誘っている、ブリキマークがあった。見ると大岩の脇の隙間を5mだか10mくらい雪の斜面を下っていかなければならない。その斜面、鹿の踏跡はあるものの、人のものはなし。ロープ類もたらしていないので、結構恐怖、。しかし、そこを下る以外選択する方法もなさそうなので、慎重に下る。(ここから日ケ窪峠までまた2時間近くかけて戻るなんて、嫌だったし・・・)へつりながら安全なところに一旦降り、その先、また岩尾根を慎重にドキドキしながら進んでみる。すぐ先の下方からカラコロとハイカーのスズの音が聞こえるので、本当にルート合流は近いのだろう。岩をちょっとだけ進み、尾根もその先急でいい加減進むのはいいかなと思えるあたりで右の笹斜面に逃げると案外、急でも歩きやすく、すぐに薄っすらの鹿道に合流した。どうやら、この鹿道の先のほうがより多く歩かれていたルートだったのかもしれない。
問題の大岩脇の下り、唯一怖かった場所。
日ケ窪峠から約2時間15分で一般ルート合流。この絵の右から合流した。
秋の盛りの過ぎたしかも、登山には少々遅い時間帯の一般ルートは静かなもの。ここでもだれにも会わない。途中つけたばかりの鮮やかなピンクテープが頻出する地点が少々続く。それも数mと離れていない場所に同じ者のつけたと思われるピンクが付いていたりする。
こんな道型明瞭な整備された登山道にこんな目印をしかも大量に、全く必要あるまいに。山は生命の危険があるような場合以外は、自然のまま楽しみましょう。(と、このブログで言ってもしょうがないか。)
途中、明日、皇海にチャレンジする単独女性や若者グループ、計5人とすれ違い下山。
ここで、山道は終了。やれやれ、思ったより時間がかかった。古道歩きの緊張が無くなったせいか、また少し頭痛を感じ出す。
古道歩きは、結果どうやら約半分歩きになったようだ。古道を歩く人は、今はほんの限られた趣向をもつかたのみだろう。踏跡が今も残るのは、鹿によるメンテナンスによるものだと思われる。実際、この日、多数の鹿を目撃した。この道は、なんの為の道だったのか、歩いていて常に気になった。 鉱山開発の為の準備道?、 宗教上の古道? 昔の登山道? ちょっと、自分にはわからなかった。いつも庚申山に来るとき歩く林道の上方に平行してこんな道があるなんて、当時は夢にも思っていなかった。最後の大岩脇の下りの所ではちょっと焦ったが、全体的には面白い歩きだった。初めてのチャレンジで半分歩きして感じはつかめたので、残る舟石峠側のあと半分もいずれやってみよう。 ■■
林道から備前楯山の稜線。
日が傾き、葉のない木々も綺麗に輝いていた。
あの像山、 最後の秋の風情を演出していた。
先ずは、大平山南西尾根に関してのRRさんの教示を先取りしてしまったことをお詫びします。
舟石新道歩きお疲れ様でした。この新道が設置されたのは、HP「舟石新道」 ( http://riko.ooban-koban.com/funaisi.fails/funaisi_1.html ) によると、【舟石新道は昭和25年、地元、足尾町の有志により舟石峠~庚申山荘間の道が開かれた ものだが、その後、銀山平~一の鳥居間に林道が出来たため、利用者が少なく今ではすっかり 忘れられた道となっている。 岡田敏夫書・足尾山塊の山より引用】のようです。孫引きで申し訳ありません(情報入手はweb一辺倒で、あまり山の本は買わないので)。
舟石新道の探索、ご苦労さまです。
拝見する限り、全体の2/3は歩かれたようですね。私は日ケ窪峠を境に前後2回で歩きました。通しで庚申山まで行ってみるといったことは考えない方がいいでしょうね。通常コースの倍はかかると思いますし、ブリキ探しで、精神的にまいります。
大岩のところで迷いましたね。今年、笹ミキ沢から入った際、舟石新道に合流したのはいいものの、大岩でルートを見失い、おかしなところに出てしまいました。まっとうに行っていれば、崖っぷちのようなところを歩き、ロープのある小滝を下って、標識のあるハイキングコースに出るはずなのですよ。一回目の時はすんなりと行ったのですが、崩壊もますます進んでいるようですね。
烏ケ森さんのコメントに、自分の私感を加えますが、磐裂神社から山越えで庚申川に抜け、川伝いに一の鳥居に出るのが本来の参拝ルートだったのではないでしょうか。林道敷設工事に伴って造った脇道がこの舟石新道なのではないかと。それがため、林道区間に丁石はなくなっています。私の想像です。
塔の峰の山名板の写真ありがとうございます。先日は雪田爺さん記録でも拝見し、健在で何よりです。ただ、赤で記したはずなのに、緑に変色しちゃいましたね。近々、上塗りにでも行ってきますよ。
ところで、「鹿沼の夕日岳」ですか。私の感覚では、やはり「足尾の夕日岳」にしておきたいですね。
自分の歩いていない日ケ窪峠から先を歩かれたのですね。
大岩辺りがルートを見失うかもしれない注意点と言うことをきもに命じておきます。
いつか続きをと考えていながらもうずいぶんと時間が立ってしまいましたよ。
この古道を辿る者・・ななさんの言われるようにほんの限られた趣向をもつごく一部のひとなのでしょうが、実際にこのトレースを保持して居るのは鹿なのかもしれませんね。
消えかかった古道は、ふんわり雪が積もると良く判る様です.最も鹿道も一緒に浮き立たせますから、注意も必要か~ですね.
私は、ササミキ横断点は全く判らず(ブリキ板がみつけられなかった)、たそがれさんの言うロープの小滝も判りませんでした.でも、探すうちに比較的楽に下降できる場所をみつけラッキーでしたが
ななさんの下りた所は何だか結構厳しかったではないでしょうか?
大平山南西尾根の件、お詫びなんてとんでもございません。後ほどまた、烏ケ森さんの記事を訪問して、楽しませていただきます。
舟石新道の情報ありがとうございました。63年前に拓かれたのですか。下の林道はもっと後にできたのですか。かなり自分にとっては驚きの内容です。
もしかして、百名山の深田さんが皇海山に至ったのは、この古道? と思ったりもしました。 深田さんは皇海山へは現在のルートとは異なるルートで何日もかけて登頂したと読んだ記憶があります。また読み直しをと思いましたが、蔵書が家の何処にあるか探すのに時間がかかりそうです。
尾根歩きと違って、このような道のりは違った歩き(彷徨い?)になって面白いと思いました。塔の峰もこの時期いいですね。山名板も試練に耐え、しっかり付いているようで何よりでしたね。自分も山名板を参拝しなくては・・・町の境界は地蔵-薬師なので夕日岳は鹿沼になるというと、たそがれさんに叱られそう・・・(内緒)
みー猫
塔の峰の尾根に取り付くあたりの古道の序盤戦でブリキを追えなくなったのは、今でも気がかりです。次回行くときは、この同じ方向でもう一度チャレンジしなければなりません。
一般ルート合流直前の所は、ややこしいですね。大岩の間を下り、また尾根に乗りがけっぷちのような所を木につかまりながら歩きましたが、ロープのある斜面は出てきませんでした。
たそがれさんの推測もなるほどと思いましたが、あのあくまで水平歩行にこだわった古道は、本来何が目的で作られたのか、ますます謎が深まりました。やはり宗教がらみかなと思ったりもしています。
夕日岳は、そこに至る時、私の場合鹿沼を車で走るので、どうしても「鹿沼の夕日岳」というイメージになってしまいます。
私は舟石新道を明確に意識したのは、ハイトスさんのあの記事からでした。塔の峰までは、今回の自分もほぼ同じルート。日ケ窪峠からハイトスさんは東に向かわれ、そのルート取りの難しさや、ブリキが見づらい方向についていることなどの印象が、ずっと強く残っていました。
はからずも、今回自分で実際歩いてみて、それらの印象と同様なことをよくよく味わってきました。派手さは全く無いけれど、しみじみと味わえるルートでありました。
コース随所で出会った鹿たちや、フンの多さで、なぜ今だにこの踏跡が残っているかを悟りました。
今回はこの記事の最初に引用させていただいたたそがれさんのルートを当初から、歩ければということだったので、舟石新道最初のところでブリキをずっと追うこと自体が(今にして思えば)矛盾した行為だったのです。
ただしブリキを追うように斜面のトラバース道に入って、目印や踏跡をあっけなく見失ったのは確かなので、今度行くときは、古道前半部を再挑戦です。
最後の大岩のところは、現場では少々慌てましたが、落ち着いて考えると大それた危険箇所でもなかった気もします。一般ルートに出た時は、ヤブ尾根歩きの時と同様、達成感がこみ上げてきました。(ちょっと大げさですね。。。)
鹿沼の夕日岳に一票ですね。
いつもの尾根歩きと違って、古道を探し当てて尾根型のないところを探索歩き。こういうのもたまにはいいですね。野門から富士見峠もそうですし、寒沢の宿でしたっけその周辺の歩きとか、あと例の日光の山の廃道跡ルートもそんな感じではないでしょうか。
塔の峰、山名板。前回行った時見た先代のものとは向きを変え、静かな頂にただひとつの存在としてたたずんでおりました。