死んだ方がましだ。生きてて苦しい。つらい。しんどい。死ぬことは怖くないが、生き残る人が悲しみ、苦しみ、嘆き悲しむのは見たくない。
だから生きてる。
以前なら私が死んだところで誰も悲しまないし、居なくなってせいせいするさ。どうせなら生きた痕跡さえも残らない位にすべてを灰にしてしまえばいい。
と言うくらいに思っていた。
だけど、今感じているのは、私が死んだときに悲しんでくれる人は多分いるし、多分泣いてくれるし、私が今死んだら多分悲しみ、多分苦しむだろうなって人がいる。
そんな人達が私が死ぬことで悲しみ、苦しみ、泣く姿を私は見たくない。
だから生きてる。
絶対と言える確信は実はあんまりなかったりするけど、
多分、ほんの少しの想像力を働かせるだけで
生きているならそういった人が確実に存在するのだと思う。
そしてずっと私は心のどこかで死は怖くないと思っていた。
だけど、よくよく考えたら飛び降りたり、骨折する痛みは耐えられると思っていた節があった。それってつまり、「死=痛み」と言うほんのわずかな一面しか考えられていなかったと言うことだ。
死には色々な恐怖があると思う。例えば死後の世界がどのようになっているのかが分からないから、死んだあと自分がどのようになるのか分からない恐怖がある。天国行きか地獄行きか、宇宙の真っ暗な闇の中にただ一人取り残されるような孤独の世界があるのかもしれないし、これからも見えない世界で楽しく暮らせることが続いているのかもしれないし、もしかしたら完全に無になって終わってしまうのかもしれない。
だけど、どう考えても今の時点で死後の世界は、結局は分からないまま。
死について考えるならば私は孤独が怖い。宇宙のように無限に続く暗黒の空間の中、取り残され無の世界に1人取り残されるかもしれないと言う恐怖がある。
そしてその孤独が何万年何億年と未来永劫続くのだ。
これだけは怖いし多分耐えられない。
そして私は死後の世界はあると思っている。よく虫の知らせを感じることがあるし、体調がすこぶる悪い時や夜中にふと目が覚めて寝つきが悪かったりする翌日に近しい人がなくなっている事が多いと言う実体験もあるし、私たちは見えないけれどすぐ隣に何かがいると感じる時があるから。その中には確実に良くないものもいいものもある。場の澄んだ空気や重いよどんだ空気や悔恨の念などを感じたりするから。
どんな仕組みになっているかは分からないけれど、死後の世界や精神世界は確かにあると思っている。
だけど、どう考えても今の時点で死後の世界は、結局は分からないまま。
死や死後の世界のことは死ななければ分からないけれど、
今、生きている世界は確実に自分自身でコントロールできるものがあるし、
自らの手で影響を与えられる世界やものがある。
だから生きている限りは、
この体が動きを止めるまでは
後悔しないように生き続けていたいと思います。
そしてここで質問です。
貴方は死や死後の世界をどう考えますか?
貴方の生きる理由って何ですか?
良かったらお聞かせください。
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編集後記
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死や死後の世界について考えることは生きるということに対して真剣に考えるいいきっかけになりました。
新たな学びや世界を知ること、言語化することで新たな発見があるのも楽しいです。
言語化する事や何かを発見する事それは私の生きてる楽しみの一つだなと感じました。
今日も読んで下さりありがとうございました。
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