太宰治『人間失格』~道化と狂気のモノロギスト~
おとがたり公演 11/16(土)於:アトリエ第Q藝術
foto:yamasin
おとがたり公演 11/16(土)於:アトリエ第Q藝術
foto:yamasin
もう12月になりました。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
「人間失格~道化と狂気のモノロギスト~ 」おとがたり朗読公演が終わって、はや20日間も経ちましたが、私は今日までこの公演のことについてどうしても書くことが出来ませんでした。
<11月16日(土)>
いよいよ本番を迎えた日は、次々とエネルギーが湧き起こり、それでいて冷静に語ることが出来たので私は良い状態でいられました。ヴァイオリンの喜多直毅さんはセンターより少し下手側に位置を決められて、私は一部は着席、二部は立って語りをしました。これは景色が変わるばかりでなく、物語の届き方が一部は静寂、二部は朗読劇さながら動きのあるものになりました。
<不思議な痛み>
あれからずっと、心のどこかに鈍痛、身体が重だるいのです。それは葉蔵の(役の)残留意識で、重暗く深い絶望の…闇の中にずっといたせいで、私の心体が侵食されているのだろうと思っていました。うまく言えませんが、なんとなく心が怪我をしているような、そんな感じ。
夕べ送って頂き、公演録画を観ることが出来ました。
…すぐにあの時間が蘇ってきました。
いつの間にか
あの痛みと重だるさは消えていました。
私の心体は傷つけられてはいなかったのです。
録画を観ながら
私の魂は喜んでいました。
喜多直毅さんの音楽はドラマに深みを持たせ、展開させてゆきます。
映像を観ているとすぐに
私の中に宿った「作品の魂」が反応し始めました。
聞こえてくる言葉と音楽にぴたりと集中し始める。
心の痛みは、その魂の声だったのです。
体の重圧は、語りたい私の疼きでした。
トンネルが滞っていた_________
<上演台本>
この作品の名前があがったのは、去年の10月。今年の夏から取りかかりました。11月本番までの期間、直毅さんはライヴや西日本ツアーなど超多忙な日々、私も音楽劇の旅公演などがあり限られた時間の中、上演台本作りから始めました。ほんとうは一字一句たりとも削れないのは当然、承知の上。まずは直毅さんが大胆にカット、骨組み作り、この作業がとても大変。手ですくいとるように詳細を詰めて、最終的には語りの私がまとめて、おとがたりでやりたい世界を作ってゆきました。十三景 (+1) のセクション名をつけることも大切な仕事でした。
<作家と作品と読み手>
作家の手を離れると、作品は作品の命を授かる。作家が誰であれ、その言葉、文章だけから何かを感じ取る読み手もいらっしゃると思います。…でも私は癖として、どんな人がこの文章を書かれたのか興味を持ちますので、今回も作家ゆかりの土地を探訪して歩きました。夕方頃、もう月が昇っていました。太宰の愛人・山崎富栄さんのお部屋の下あたりから、入水した玉川上水までの道を歩いてみました。その草むらに履物が二つ並んでいるように見えました。薬の入った手提げやビール瓶、小皿なども散乱していたでしょう。その頃、太宰さんはもう喀血が始まっていたそうです。当時結核は万能薬がなくて不治の病、太宰さんは死を見据えていた頃でしょう。___私にとってこの探訪はやはり必要でした。心の求めるままに足が向いたのです。学ぶというより、感で動いているのです。
声を滲ませ、弓が撓る。
<東京に大雪の降った夜>
凍りつくような寒さに、真白の雪が舞う
葉蔵は歌う「ここはお国を何百里… ここはお国を何百里…」
『自分は酔って銀座裏を、小声で繰り返し繰り返し呟くように歌いながら、なおも降りつもる
雪を靴先で蹴散らして歩いて、突然、吐きました。それは自分の最初の喀血でした。』
『雪の上に、大きい日の丸の旗が出来ました。』
『自分は、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない個所の雪を
両手で掬い取って、顔を洗いながら泣きました。』
「こうこは、どうこの細道じゃ… こうこは、どうこの細道じゃ…」
慟哭の白い息、溢れる涙は、生身のぬくもり
しかしすぐに氷と化して、頬と唇に冷たく張りつき凍らせてゆく。
<葉蔵を取り巻く登場人物たち>
竹一、堀木、ツネ子、ヒラメ、シヅ子とシゲ子、ヨシ子、薬屋の奥さん、教師、警官、医者。
葉蔵と出会い、別れてゆくその人たちはまた葉蔵の語り部でもあります。
それぞれが人生の地点から言葉を語っているようでいて、葉蔵から見た彼等なのです。
<「人間失格」~道化と狂気のモノロギスト~ >
再演の機会が持てたなら嬉しいです。
思うごとにまだ発見があって
やるべきことがあると気づかされます。
こうも言えます。
公演後、私は体感した闇に
沈んだ心を恐れていました。
しかし対峙することで解決しました。
長い時間が経って
その闇から花が咲いたのです。
「闇に咲く花」
闇の中に、人の心の中に、人と人との間に咲いた
この花を咲かせたい。
美しい花ばかりとは限らないことを
もちろん私は知っています。
アトリエ第Q藝術(成城学園前)
〜 Special Thanks 〜
最後になりましたが
この公演にお越し下さった沢山のお客様
上演にご尽力下さったスタッフの皆様
深い感謝とお礼を申し上げます。
皆さま有り難う御座いました。
共演して下さった、喜多直毅さん🎻
いつも本当に有り難う御座います。
最後になりましたが
この公演にお越し下さった沢山のお客様
上演にご尽力下さったスタッフの皆様
深い感謝とお礼を申し上げます。
皆さま有り難う御座いました。
共演して下さった、喜多直毅さん🎻
いつも本当に有り難う御座います。
『自分は、しばらくしゃがんで、それから、よごれていない個所の
雪を両手で掬い取って、顔を洗いながら泣きました。』
真実と虚実の谷間を彷徨う男一人。
虚ろな目に映るのは、過ぎ去っていく一切。
東北の田舎の裕福な家庭に生まれ育った葉蔵。厳格な父の存在と使用人による性的虐待が、彼の心に初源的な無力感と対人恐怖を植え付ける。彼にとって人間環境は過酷であり、そこを生き抜く術として葉蔵は人々の気持ちを先読みし、道化を演じる事により『気に入られる』ように務める。それは彼の恐れと弱さを覆い隠し、人々の好意を得るためには十分であったが、人を欺き続ける罪悪感も同時に強く抱えることになる。成人した後も人間恐怖は心の中で肥大し続け、激しく彼を苛むものとなった。他者に対する恐れ、不信感、諦めは、葉蔵を優しく庇う女性達に対しても抱かれた。やがて全てに絶望した葉蔵は死を希求する。このような精神状態が続く中、アルコールと薬物への依存は悪化し、遂に彼の人格は荒廃した。しかし発狂の後、彼の心にやっと初めての凪が訪れる。
物語が進むにつれ、葉蔵が徐々にモラルから逸脱し人として堕落していくのは明らかだが、一つ一つのエピソードに於ける彼の行動は、人間の恐怖から自分を守ること、“阿鼻叫喚”の世界で何とか生き延びることが動機となっている。全ては生きるため。
本公演は問いに満ちている。葉蔵は過ちを犯したのではなく、ただ悲劇の中に投げ込まれ道化の仮面をかぶることでしか生きられなかったのではないだろうか?彼は本当に人間として失格だったのか?そして私達は果たして『人間合格』なのであろうか?
出演:おとがたり
長浜奈津子(朗読)
喜多直毅(ヴァイオリン)
日時:2019年11月16日(土)14:30開場/15:00開演
会場:アトリエ第Q藝術1Fホール(成城学園)
https://www.seijoatelierq.com
東京都世田谷区成城2-38-16
03-6874-7739
料金:予約¥3,500/当日¥4,000
ご予約・お問い合わせ:
nappy_malena@yahoo.co.jp(長浜)violin@nkita.net(喜多)
おとがたり 朗読とヴァイオリン
https://www.otogatari.net/