南端パンティー連呼島

テレビマンの南島エッセイ

 z1088 NASA

2025-02-11 15:27:40 | 日記

 


当時、可搬型VTRとして、あのNASAが軍事偵察機用に開発した、VRー3000なる機種が、国内では4,5台導入されていた。
どういう訳か、その機種が、ひかるの会社にあった。
設立時、TBSとフジテレビが折半出資、別々に確保するよりは、子会社に持たせ、両局で使用出来る、という事で、導入されたらしい。
当時は、カラーテレビが飛ぶように売れ、大企業はフィルムCMから、色再現の良い、VCM作りに軸足を移しており、このVRー3000が威力を発揮していたのである。
オペレーター一人付で、日だて15万円でも、飛ぶように注文があった。
ひかるは売れれば売れる程、早く可搬型国産機開発の必要性、反米感情が日に日に増していった。
当然、ソニーも可搬型、Hー500という機種を開発しておりフィールドテスト中だが、どうにも訳の分からない回転エラーが出る。
チェックをするとOKで、エラーの原因が、全く掴めないのだ。
事故日報をピックアップし、気になる事があったので部下にその日の天候を調べさせた。
やはり雨が降っており、それが原因だが、室内での使用でなぜ?
その事をソニーへ連絡、しばらくして原因解明OKの連絡。
湿気でテープのツルツル裏面の貼り付き現象が出ているとの事。
湿度による微妙な事でエラーが出ていたのだ。
さすがソニーで、世界中の支店へ打電し調べ上げ、湿度の一番高いのはボルネオとの事。
それ以上の湿度でも稼動するよう設計変更。Hー500は全世界へ輸出され制覇していったのである。
VRー3000と並べて使うと、桁違いの性能。これでアメリカ製VTRを抹消出来た、と。
VTRは平坦な所で、そっと置いて使う精密機械、しかしひかるはトラックの荷台に紐で結え付け移動使用、どんな地震でも稼動する事を求めたのである。ひかるが立ち上がり、オメガ方式へ切り替える事が出来た。
出来なかったらと考えると、オートスレーディング、カセット化は難しく、途中から方式変更、と言う事態になれば、莫大な費用が掛り、番組内容にも影響したであろう。
そして、一番大事な事は、日本のVTRが全世界で認められた事だ。
南端の小さな島で、ランプの灯りで育った少年の目、どこかで垣間見たカセット、いずれ放送現場でも使われるだろう、と10年先を夢に描いたのである。


 1087 オメガ方式発進

2025-02-11 15:25:52 | 日記

 


この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。
以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。
それどころか、ソニーは、海外でもその一インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。
編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。
今も元気で頑張っているようである。
また、K君は昼メロのヒロインと結婚。
ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。
しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きく成って行ったのである。
今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉さんから呼び出しを食った。
「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ!
親会社から、一言いけば、君のクビなんぞ、すぐ飛ぶぞ!」と、脅しというよりは、脅迫だ。
ひかるは、承知しましたと、そこを出ると、すぐさま「開発に拍車をかけるべし!」とソニーへ電話したのである。
夜は一人でいつもと違う焼き鳥へ行き、じっくり考えた。
業界全体を考えるべき立場の人が、自分のメンツばかり考えやがって、なんてケツの穴のちっちゃい奴だろうと、情けなくなった。
「ひかるの首を、袈裟掛け、みじん切りにしたとて、一文の得にもならない、やるんならやって見ろ!」と怒りが込み上げて来た。
ひかるは、今まで以上に、意地でもなんとかしてやろう、と固く誓ったのである。


 1087 オメガ方式発進

2025-02-11 13:22:33 | 日記


この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。
以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。
それどころか、ソニーは、海外でもその一インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。
編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。
今も元気で頑張っているようである。
また、K君は昼メロのヒロインと結婚。
ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。
しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きく成って行ったのである。
今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉さんから呼び出しを食った。
「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ!
親会社から、一言いけば、君のクビなんぞ、すぐ飛ぶぞ!」と、脅しというよりは、脅迫だ。
ひかるは、承知しましたと、そこを出ると、すぐさま「開発に拍車をかけるべし!」とソニーへ電話したのである。
夜は一人でいつもと違う焼き鳥へ行き、じっくり考えた。
業界全体を考えるべき立場の人が、自分のメンツばかり考えやがって、なんてケツの穴のちっちゃい奴だろうと、情けなくなった。
「ひかるの首を、袈裟掛け、みじん切りにしたとて、一文の得にもならない、やるんならやって見ろ!」と怒りが込み上げて来た。
ひかるは、今まで以上に、意地でもなんとかしてやろう、と固く誓ったのである。

 


 1087 オメガ方式発進

2025-02-11 01:20:59 | 日記


この昼メロが放送されるとソニーから電話、キー局がオメガ方式、大量の発注があったと歓喜の連絡が来た。
以後、あっと言う間にオメガ方式に切り変わっていったのである。
それどころか、ソニーは、海外でもその一インチを売り捲り、世界中でこのオメガ方式が統一方式となったのである。
編集システムを担当させた、ひかるの部下K君は、三越とフジテレビが折半出資、アルタスタジオを設立するとの事で、そこへ移籍させた。
今も元気で頑張っているようである。
また、K君は昼メロのヒロインと結婚。
ひかるは、上司として大勢の前で主賓挨拶。
しどろもどろで汗をかき、恥をかいて大きく成って行ったのである。
今なら書ける。***ソニーと方式問題で画策している時、フジテレビの予算執行、発注出来る立場にある、お偉さんから呼び出しを食った。
「君は、親会社、キー局にタテついて、あらぬ動きをしているようだけど、やめろ!
親会社から、一言いけば、君のクビなんぞ、すぐ飛ぶぞ!」と、脅しというよりは、脅迫だ。
ひかるは、承知しましたと、そこを出ると、すぐさま「開発に拍車をかけるべし!」とソニーへ電話したのである。
夜は一人でいつもと違う焼き鳥へ行き、じっくり考えた。
業界全体を考えるべき立場の人が、自分のメンツばかり考えやがって、なんてケツの穴のちっちゃい奴だろうと、情けなくなった。
「ひかるの首を、袈裟掛け、みじん切りにしたとて、一文の得にもならない、やるんならやって見ろ!」と怒りが込み上げて来た。
ひかるは、今まで以上に、意地でもなんとかしてやろう、と固く誓ったのである。


 1086 ノーベル賞

2025-02-11 01:19:18 | 日記


日本の映像技術の原点にはノーベル賞が絡んでいた。
当時CCD搭載カメラとオメガ方式VTR。BVH-500の電源にリチューイオンBP-90バッテリーが使われアメリカでは想像不可能。
デジタル先進国アメリカがどうしても日本に勝てなかった訳である。
更にビデオ編集にはとんでもないアイディアが組み込まれていく。
電車の線路と枕木、スピード串刺しが編集に使われたのだ。
線路を見て分かると思うが等間隔に枕木がある。
ビデオで言うとその枕木がワンフレームという事だ。
一秒間に30フレームだが枕木が30個あると思えば良い。
ねるとん求婚番組ではロケカメラ VTRを常時四チエーン使っていた。
30分テープを装着し同時スタート、ガチンコ映像を4台とも入れ止めない状態でそのまま30分間4台のカメラVTRが動き回って収録。
これでワンロール終了、ツーロール、スリーロールも同様にして収録していく。
編集時に、再生に4台、収録に1台、計5台を用意しVTR映像を列車に見立て、5台共真横から串刺しに固定、回転をロックする。
もちろん枕木、いわゆるタイムコードも横一列にロックさせる。
ガチンコ映像をそろえ、串刺しにした映像列車を同時にスタートさせ、記録されている4台の映像を5代目の編集テープに平行移動していくのだ。
再度ガチンコの映像に戻しスタートさせ、編集テープに黒味があれば埋めていけばいい。
モニターは大きめのモニターを4分割し再生映像4台の画を5台目の編集VTRへ嵌め込んで行く。
上に編集用のモニターを乗っけておけば、編集が今迄の編集では考えられない、とんでもないスピードで簡単に出来る。
勿論、今では線路を5本6本なんて言わずに30本50本なんて発想も出来る。
ひかるは世界初のVTR編集センターを稼働させたがその原点は上記の電車と枕木、串刺しの発想が40年前に有ったのだ。
日本の映像王国には編集面で革新的な知恵が使われました。
映像クリエイターやユーチューバー等の分野を目指す人は参考にして下さい。
技術的な事はソニーとリンクし、VTRと編集システムを同時に発売すると飛ぶように売れ、必然的に日本の放送VTR方式、ひいては世界のVTRが日本のオメガ方式VTRで独占された。
ひかるは当時、150人の部下を抱え、ドラマや音楽番組、スポーツやバラエティー、海外ロケから水中撮影、カメラや音響、照明などのスタッフ手配、番組内容把握、目の回る忙しさだが、それと並行して、編集システムの開発だ。
連日連夜、仮眠状態である。
そして編集システムが完成した頃、東宝から連絡があり、昼のメロドラマを日本製一インチVTRで制作し、放送しようとの話が持ち込まれた。
東宝、フジテレビ、ひかるによるプロジェクトが始動したのである。
もちろん、バックには、ソニーとひかるの連係プレーがしっかり出来ている。
世界初、一インチ編集システム、一インチVTR帯ドラマの放送が実現したのである。
その間、ひかるの行動は、死闘の二乗と言えるだろう。
昭和54年、1月から放送された昼メロVTR帯ドラマ{津軽海冬景色}は、世界初一インチ収録編集、業界に衝撃を与えた。