思い出。

「やっぱりここで飲む酒はうめぇなぁ。
なんかよぅ、ウチで飲むのたぁ、ちいとばかり違わぁ」
「なんにも出ませんよ、そのくらいの褒め言葉じゃね」
「サキイカが出てるじゃねぇか。
おらぁこんなもんでじゅうぶんだっての。
うまい酒がある。いい歌も流れてる。
こらぁ、あれか？クールファイブの北ホテルか？」
「おや？よくご存知で。演歌はお詳しいんですね」
「アタボーじゃねぇか。オレ様を誰だと思ってるんでぇ。
だけどよぅ、この歌ぁそこらへんの並の演歌じゃねぇ。
ブルースの真髄、モノホンのジャパネットブルースよ」
「それを言うならジャパニーズブルース・・・ですかね？」
「おぅ、そうとも言うなぁ。あっはっは。
おらぁこの歌が流行ってた時分にな、
エミリーって名前の女ぁ横へ乗っけて紫のシルビアで
ドライブしたことがあってよぅ。

そんときにラジオから流れてたのが・・」
「北ホテル・・・ですか？」
「そうよ、そんでもってヤツがこんなこと口走りやがった。
アタシ、猪苗代湖が見てみたいわ。
ねぇ、このクルマでいまから行けるかしら。
ヤツの柔らかくてあったけぇ手がよぉ、
シフトノブに置いているおいらの左手にかぶさった。
な？こりゃぁ行かなきゃなるめぇ。
男としてほかに選択の余地はあるか？」
「いやぁ、で、そのエミリーさんとはどんなご関係で？」
「おぅ、いい質問だ。だけどそれには答えねぇよ。
おいらにゃよ、誰にも知らせたくねぇ思い出だってある」
「そのわりにはけっこう舌が滑らかなんですね」
「そうかぁ？おいら、ベラベラしゃべってるか？
マスター、サキイカなくなっちゃった。なんかないの？」
「猪苗代産のワカサギでも揚げましょうか？」
「いなわ・・・、バッキャロー！それ、もらうわ。
それとホワイトホース、ダブルでね」
「ありがとうございます！で？」
「あぁ、続きね。あっ、そうそう。
おらぁヤツの手のぬくもりを感じながら
アクセルを踏んだねぇ、男らしくグェッとね。
そんでもって現地に着いたのが夜の９時過ぎ、
真っ暗で猪苗代湖なんか全然見えないの。
だけどせっかく来たんだから湖の周りでも走ってみるかってさ。
しばらく走ってるとラブホのネオンが気になりだしちまってよぅ」
「で、お入りあそばされた・・・と？」
「つっ、つっ、先を急ぐんじゃねぇよ。
でな、見晴らしのいいパーキングにクルマを停めると
ヤツが温かい缶コーヒーが飲みたいと言い出しやがってよ、
オレも喉が渇いていたからちょうどいいやってんで
財布から100円玉を２枚出してクルマから降りて
売店横にある自販機に向かって歩き出したんだ。
で、自販機に金を入れたときによぅ、
ものすごい音出して急発進したクルマがあったんだ。
いったいどんなクルマだってひょいと振り返ると
それは紫のシルビアだったんだ」
「えっえー？それじゃそのエミリーさんって方に
奪われちゃったってことですか？」
「・・・なんだかよぅ、今夜はやけにワカサギが目にしみるぜ」
「そんなことより、その後どうされましたか？」
「そういやヤツは福島の出身だって言ってたなぁって
思い出したんだけど、もう後の祭りだったってこった」
「あっ、いっやー。それはさぞやお困りだったでしょう」
「仕方ねぇからポケットにあったテレカで警察に電話したんだ。
ブタ箱に一晩泊めてくれねぇかってさ」
「で、警察はすぐに？」
「あぁ２０分ほどでやってきた。そんでどういうことかって
説明を求められたんだけどよぅ。
おらぁ、こんな目に遭っていながらヤツのことも
クルマを奪われたこともしゃべらなかった」
「どっ、どうしてですか？」
「それはオレにもわからねぇ。バカだからよぅ、オレってさ」
「・・・」
「借用書を作って警察の人に銭借りて次の日の朝
東北本線に揺られながら横浜まで帰ってきた。
上野の駅に着くと駅舎に真っ白なシルビアの
ポスターが貼ってあったっけ。それ見ておらぁ笑っちまった」
「それはお気の毒な経験をされましたね。
その後エミリーさんの消息はつかめたんですか？」
「いや、クルマは次の日に猪苗代町役場の駐車場で発見された。
だけどエミリーがどこに消えたか未だにわからねぇ」
「捜す気もないんじゃありませんか？
知らない方が幸せってこともありますし。
どうです？もう一杯。かなり召し上がっていただいたので
これは私がおごりますよ」
「嬉しいねぇ。今夜はうまいものも食えたしかなり酒も進んじゃったね。
帰る前に熱いコーヒーを飲みたいんだけど淹れてくれる？」
「すみません、ウチは喫茶店ではありませんのでコーヒーは・・・」
「あっ、そうなんだ。じゃあどこかの自販機で買ってきてくれる？」