海岸線から、岬の小高い山の上に来ました。
地図の中の、矢印の方向を向いて、東京湾を見下ろしています。
海岸線の地形によって、この場所で、大きく狭められた東京湾と、
対岸の房総半島の海岸線が、見下ろせます。
船の航行数の多さが、世界ランキングで、トップクラス、といわれる、
これが浦賀水道。
太平洋から、
東京、横浜の港へ侵入するために、避けて通れない航路です。
地図上では、
昔も、今も、これほど重要な、航路はないだろう…などと、
容易にイメージできるものでも、
実際に、肉眼で目にして、画像にして、瞼に焼き付けると、
その意味が、リアルに感じられます。
(神奈川の三浦半島と、千葉の房総半島は、目と鼻の先にあります)
ここは、千代ケ崎砲台跡
明治政府によって、東京湾の防衛ラインの一部として、
東京湾に侵入する外国船を砲撃するために整備されたという軍事史跡。
海は、
ロマンティックな、あこがれの対象だけでは、収まりきれない、
そんな現実に引き戻される、この場所での体験を、
画像に焼き付けています。
砲台であると同時に、東京湾防衛のための要塞の機能もあったという…この施設。
そして、
そもそものこの施設の施工者は、江戸時代の、会津藩。
という歴史的事実も知ることとなり、
それも、衝撃的でした。
つづく。
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