ベルリンと言えば"壁"という単語が最初に出てくるんだけど、それは昭和の世代だからか?
以前、父親が海外に派遣された時に、まだ壁で隔てられていたベルリンを訪ねた話を聞いたことがある。写真撮影が禁じられているので、話を聞いて、我の頭で変換してのビジョンということになるのだが、重い鉄格子の向こうにうす暗い廊下が伸びている。その向こう側が東ベルリンということなのだが、西ベルリンで、東へ行く手続きをとり、身体検査をされる。重い扉が開いて、ひとりずつ中立部分(行ったことないけど38度線、というかno-mans-landのようなことだと思う)の廊下へ入って行く。後ろで扉を閉める重い音が湿った廊下に響くと、非常な孤独を感じ、このまま殺されても多分誰にも分からないだろうという不安が脳裏をよぎったということだった。
その、壁に行ってきました。
腹ごしらえはこれです。
ハム&チーズ&オレンジザフトとメニューは変わらんのですが、まーよく食べること。今日は暑そうだし、heavyなところへ行くのでとガッツリ食べた。
Heavy?
east side gallery
こっちの公園に面した側がオリジナル。多分、この場所はno mans landなのだろうか?とりあえず東ベルリン、ソヴィエト社会主義共和国連邦の影響力が大きかった場所のはず。
ファントムなのか?
維持するのが大変ですとのことでした。
振り返るとSpree Riverが流れている。
こんなところで鴨長明の"方丈記"の出だしが流れてきた。あれは万国共通で誰にでも分かってもらえる名文。杜甫の"春望"と双璧だよなてなことをベルリンにて思う。
この日37℃だったらしいんだけど、遮蔽物がnothing!なのだよ、見事なまでに。ベルリンの壁恐るべし…異邦人を拒むのか!!と思っていたら、後ろで犬が水を飲んでいた、そりゃそうだよね、暑いよ、毛皮着てるんだからさー。
さすがにナデナデしようとは思わなかった。お互い暑そうなんだもん。
日焼けがステータスな人々は、陽の恵みを全身に浴びる。
この人たちの生活は四半世紀でどんなふうに変わったんだろう?と思ったが、どうもそんなに生きていない風の若者である。
ジョジョですか?
この左端から入って来て、写真の右方向へはけて行こうと思ったのだが、よもやのdead endが待ち構えていた。
37℃の照りつける太陽の元、この壁に沿って往復した。これも平和のなせる技なのだが。単なる笑い話ですむことなのだが。
たかが3m、上には有刺鉄線が巻かれているとはいえ
たかがこんな程度の建造物に直進できる道を妨げられることになる。
バカバカしい話だ。
TV gameの主人公のことを思い出した。
あのキャラクターたちは、囲われた四角いフィールドから絶対に外に出ることはないし、外の世界のことも知らない。
あの狭いフィールドの中でしか動けないのだ。
朦朧となりながらそんなことを考えていた。ベルリンの壁が崩壊したのは、単なる誤解が積み重なってのことだったはずだが、それは必然のことだったんだろうな。
壁を見ただけでも、ベルリンに来てよかったと思った。
最新の画像[もっと見る]
- セリフォスお疲れ様! 2週間前
- セリフォスお疲れ様! 2週間前
- セリフォスお疲れ様! 2週間前
- 国民の義務として(有馬記念) 3週間前
- 華麗に踏み切ってジャンプ! 3週間前
- 賃貸!? 3週間前
- 本を買う 3週間前
- 本を買う 3週間前
- ゴリアットカード配るってよ 2ヶ月前
- ゴリアットカード配るってよ 2ヶ月前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます