ころがせ複勝!

日々のぼんくらな生活の中でのあれやこれや…

本を読む(キリストと聖骸布 by ガエタノ・コンプリ)

2011-02-05 22:32:29 | 読書
タイトルを見た瞬間買う気になったんだけど、この本1050円てのを見て二の足を踏んだ。
知識欲も金にゃ~勝てねぇ訳さ。
と思いましたが、なぜ1冊だけだと二の足を踏むのに、大量買いには躊躇しないかな?
アレか、殺人は罪になるが戦争は…っていう集団心理か?(違うだろー)
著者のガエタノ・コンプリ師は1930年にイタリア・ヴェローナに生れ日本在住55年のサレジオ会の宣教師。ところで、この本は日本語で書いたんだよね、「訳」って書いてないので。

聖骸布の存在を最初に知ったのはいつだったっけな。かなり昔だったような気がするけど、なんというかものすごい衝撃を受けた。多分、聖遺物と言われている物の中で1番信憑性が合って、1番ありがたそうなもので、1番好きなもの。

私、ほぼ無神論者、最も近いものは八百万の神々への感謝なので、宗教が発端で争い事が起きるというのはどう考えても納得がいかないという頭の悪いstereo typed japaneseだと思う。その我が、好きなのだから、すごいぞ、聖骸布。

えーと、色々聞きかじっているのは、シナイ半島だかエルサレム近郊にしかない植物の花粉が付いていたとか。この聖骸布に残っている人体は立体ではなく平面であるとか。包んだのなら立体的に跡が残るのに、X-rayで撮ったように平面であると。なのでda vinciが描いたのだろうと言われていたこととか。その話がしっくりこなかったのと、もしそうであれば、なんと平和な話だろうと思ったのだから、恐らく自分の直感で、これは本物なのだと思っているんだな。

では、この聖骸布に包まれていた人は誰なのか?ということですが、この聖骸布の実際に見えている画像は、生成りの生地に茶色に写るぼんやりした人陰なんですが、この画像を反転させると、傷まみれ血まみれの人が現れ出でると。
この人の顔そのものが、私たちが見慣れているというか慣れ親しんでいるJesus Christの面影ですね。では、我々はどのようにしてコレがJの面影であると認識するようになったのかというのは、昔からこれがJの肖像画としてそこかしこにあるからな訳ですが。では、昔の人はどうしてJの肖像を描いたのか。その元になったのがこの聖骸布だったのではなかろうかと。

最も衝撃を受けた描写は、「この布が凄惨で残虐な虐待の証拠物件である」ってのですかね。そうだよね、血痕とか血清ですな。それから、手首に釘を打たれてつるされたってヤツですか。もう痛そうで…。かなりシブイ顔して読んでいました。
なので、前に何かで読んだ、村人がどこからかやって来た少年に親切にしてやった。ある日少年は手の平の血痕を見せ、自分はJの生まれ変わりだという話がありましたが、つーことは、それは生まれ変わりじゃないんじゃないか?と思ったりしまして。
下世話な人間なので、先日股間のX-rayを撮りまして、まーこの聖骸布は見事に股間を覆い隠してるよねとも…。
マンディリオン、スダリオ、ヴェロニカなど色々残されている物はありますが、ナニを見てもありがたいと思います。
なにかちょっと腑に落ちない点があったんだけど、何だったか忘れた。また思い出したいぞ。それから、地図があればもっとよかったなーと思った次第です。

師も長生きしてほしいと思います、ありがとうございます。
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