いつの間にこの本は「アニキと呼ばせてくれ!」な表紙になっていたんでしょうか?
以前は地味な表紙だったのに、なんでこんなことに…。(ってしつこい)しかも、1~6巻と巻が進むにつれて、
しろふん少年が、しろふんアニキ、しろふんおやじへと成長していて、なかなか粋にふんどしは丸出しである。
海の漢(をとこ)の心意気ってヤツなんすか?
本屋で「カバーをおかけしますか?」
と聞かれたら、迷わず「はいっ!!」
と力強くうなずきそうです。ってそんな感想じゃないだろう。
確かに高田屋嘉兵衛はふんどししてるけど、それは当たり前の話で…。
この時代に海外に目を向けることのできる一般人がいたということがすごい。
それに、公私の隔てがないのも嘉兵衛独特の生き様なのだろうか。
今でさえ、船旅に強い難色を示すのに(空路も強く難色を示すが)よく、あんな北前舟で北方に漕ぎだそうと思ったよね。
さすが褌「ふんどし」締めてる漢は違うね!って結局それか。
そういえば、山国に育った関係で、海の漢に憧憬を抱く傾向がある。
九鬼水軍の九鬼嘉隆とか、向井水軍とか、村上水軍など…。
船にも弱いらしく、Divingに向うボート上でゲロゲロになってしまい、肝心のDivingをせずに船上で生腐りのゾンビになっていることも多い。
そんな訳で、何の苦もなく海を渡っていく人々は、「慣れている」とはいうものの、そこにいたるまでのプロセスが必ずあるはずだから、そのプロセスに関心(感心も)を寄せているんだよな。
くだらない感想でございますが、かなりの貧民から、函館の地に銅像が建つ人物にまで成り上がった男の物語。
立志伝中の人とは、なんと努力を惜しまないのだろうというか、自分、努力キライなので、自分の置かれている立場でぬるぬると生きています。
「こうしよう」とか「こうしたい!」という希望もそれ程ないし…。
なんだろう、この違いは。
恐らく、ヘタにキタチョーなどに生れ落ちていたら、反政府運動などまずやらんだろうと思われるし、現状に納得する自分ではと確信しています。
現状のヌルマ湯上等!みたいなね…。いや、それすらも感じないのかもしれない。
高田屋嘉兵衛はなぜ、貧乏な家庭に生まれながらも、外の海へ出て行こうとする野望を抱けたのだろうか?
発想の段階から既に追いつけないだろうと。
今でいえばIT企業やベンチャー企業の…ってそのたとえ止めろや。
まぁ、そんなつまらない者ドモではなくもっと大器で、呂不韋のようなビジョンとビジネス感覚を持った人だと思われます。
そんなんだ…。
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