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"影"は必ず"鹿毛"と変換されるのはデフォルトっつーことで。
小野不由美の「十二国記」サクサクと読み進めているんだぜ。しかし、陽子の声は久川綾、景麒の声は子安で、楽俊の声は鈴村で脳内変換される、当たり前か、そうかそうだったな。
そんなで、あっという間に読んでしまいました、陽子が蓬莱から連れて来られて景王になるまで編。
私がいるべきなのはこの世界ではない。
が先に読んだ"魔性の子"と陽子編の主題になっているわけだが、この小野不由美という筆者は、何かものすごい劣等感を持っている人なんだろうか?と思ってしまったけれど、いいのかそんな感想で?
中二病という言葉が最近あるんだけど、誰もがその中二病を患って成人するとは思うものの、中二病を患ったままそれを職業にできるのが作家であると断言したい(失楽園とか諸々)。陽子にせよ、著者にせよ、こういう現実逃避の方法もあるんだろうなと読んでしまった。
どうでもよいことですが、王になるということは、非常に辛い立場に置かれるってことで、それを避けるために12の国を配し、当人同士ある程度協力させようという設定なんだろうか?
現実問題として、戦国時代の国主なんて間違ってもなりたくありません。だから、政治に関わる人はそれだけ人の命を背負っていると思わなくてはいかんのだと思う。最近、利害関係やら自身の箔付けのために政治に携わる人が多すぎるが、あやつらは、自分の背中に人命が張り付いていると考えたことはあるのかね、野田君。
シムシティーとかゲームでやるだけでも面倒くさいのに、それが具現化されているような感覚で政治やっちゃいかんのだよ。イヤ、もしかしたら、シムシティーチャンプに政治を任せたらとっても上手く行くのではないだろうかと関係ないことを考えてこの項、了。
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