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今日、いつもの本屋に立ち読みに行って、この本を見つけて、珍しいことに題名に惹かれて即買いしました。であっという間に読み終わりましたが、日本語のフィクションを読まない理由が、漠然と頭の中で整理されました。
結局、フィクションは、当然ながら著者の考える「妄想」の産物であり、著者のフィールドの中でそれを理解しなくてはいけないということで、何となく敬遠しているようです。
歴史物は、とりあえず、誰かがたどった道があるので、それをどう蘇らせるかが著者の力量にかかっているので、妄想には違いないのだろうけれど、100%の妄想ではないということで。
そして、英語の本は、私の語学力が日本語に対するそれよりかなり劣るので、裏も読めなければ、行間も読めず、字面のまま理解するしかないという視野の狭さがあるが故に、なんともなく読めているようです。
えーと、題名だけで買ってみましたが、大変おもしろかったです。
会話形式が多いので、スラスラ読めすぎるところでコストパフォーマンスめっちゃ悪いことは判明しました。
誰が真実を話していて、誰がウソをついているのか、誰がまともで、誰がまともでないのか、そして、「お婆さん」と表現されたものに対する私の概念は全く当てにならないものであるということも分かりました。
どこまで、私の頭が柔軟なのか、この物語を受け入れることができるのか否か。
受け入れることができるのと、この話を理解できるのとでも全く違うのですが、果たして自分が理解できているのかどうかが、怪しいものです。
そう思わせてしまうところに、フィクションを読まない理由があるわけです。
以上感想終わり
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