その昔、「長宗我部元親」と、PCに記憶させるのが苦労だった。
「長曽壁も杼か」とか「彫塑壁藻と地下」などと変換され、イラッとする。
1文字ずつ打とうとすると、「長」と「部」は問題ないとして、
「宗」あたりで自分の記憶があやしくなる。
「鼠」だの「曽」だの「曾」と出てきやがって、「曾」に心惹かれたりする。
「我」が「可」だったか「加」が出てくると、訳が分からなくなり、それでもいいかと妥協する(いいのか?)
高知は行ったことがない。土佐黒潮鉄道は知っているが今まで縁がなく、明石海峡(他)を越えたことはない、遠い国だ。
カツオが美味いと聞く。
かなり以前に読みっぱなしておいて、詳細を忘れていた。
運のない人だ。とつくづく思う。中で何度も遼太郎さんが繰り返しているように、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康は上洛するのに都合のいい土地に生まれた。
引き換え、元親の生まれた土佐は海峡を越え更に山を越えてたどり着く佐は遠かったということだ。
四国統一&あわよくば天下統一の志をもつ元親なのだが、この小説からはそれほど、ガツガツしたものを感じない。
かなりの変わり者というイメージはあるのだが、妻菜々も相当強烈なので、毒々しさは全く感じられず、これはお互いが薄めあっているのだろうか?
頭のいい人に言葉を省略しまくる人がいるが、もしかしたらその典型かもしれない。
「沈黙の王」の中にも、「臆病だったが勘は鋭い」という描写があったが、元親が「臆病だから綿密な計算をする」ようなことを言っていた。
可愛がっていた容姿端麗にして良くできた息子信親に
「お前は勇気がありすぎる」
と諌めていたが、この言葉のもつ意味は意外と深かった。
戦の終わった元親が、戦勝の酒が飲みたくて菜々のもとを訪ねる。
大酒のみの元親は、ごそごそと手のひらで杯の大きさを示して「酒もってこい」
のアピールを無言のままするところが無性に好きだ。
この手のひらで作った丸の大きさと同じ大きさの杯がいい。
と無言でアピールでするのだが、最初の杯は小さすぎて、2つめのものは大きすぎた。
ムッとした菜々が「この大きさでしたっ!」と差し出し、差し出された元親も自信がなく、そのまま酒を飲むってシーンが、この夫婦らしさが出ていて非常にいい。
花見で酔っ払い、菜々に膝枕をされながら、間違って愛妾の名前を呼んでしまった元親の横っ面を菜々がぶっ叩ところとか、息子に向って、「びっくりさせないでよ」とはすっぱな口をきく菜々とか、遼太郎さんの描写がたまらなくいい。
それほど大上段に振りかぶっていない、悪く言えば牧歌的(?)な土地柄の話なので、(かなり田舎ぶりが協調されている)のどかなんだよな。
しかし、小骨がのどに引っかかった感じで、結局、敗者のストーリーはもの哀しい。
っつうことで。
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