夜桜や 夢に紛れて 降る、寝酒・・

観念らの規定性らによる、事象らの成り立ちようらへの解枠にも絡めて、 天下経済系の可能的な成長の度合を増すべき事らを述べる

古文な人らの、歌、と、歌の呪力❗ ; 清少納言の兄への殺人事件 ❗

2019-08-06 22:13:14 | 政治・経済
☆ 「 船員らは、
海賊が報復して来る、 との噂に、
おびえている 」。 :
平安時代の半ばの、この頃は、 陸では、盗賊が横行し、 海には、海賊らが出没していた。 :
あの、海賊将軍、と呼ばれた、 藤原純友 スミトモ 、が反乱を起こすのが、 : 草、食う、 939年な、 天慶2年 、 だから、 もう、頻繁に、海賊行為らがなされていた事が、想像できる。 出港を、 夕方にしたのも、 「海賊らは、昼間に出る」、との情報をもとに、 夜の航海を選んだ、と、観られている。 :
海賊への取り締まりをするのも、 地方へ遣 ツカ わされた、 国司の役目で、 純友だって、元は、国司だ。 この船長の、「報復」、という言葉は、 「船員らは、 国司の貫之様が乗っているから、仕返しに襲われるかも知れない、と、ビビッている」って話で、 この頃は、 海賊らからの、可損 ≒ リスク 、がなくなり、 安心できるのは、 淡路島を過ぎた辺りからだったそうだ。 :
優雅には、程遠い緊張の連続の船旅だった様だが、 その海賊の話しらと共に、 土佐日記に、度々、登場するのが、 亡き娘さんの話らだ。 愛しい娘が死にさえしていなければ、 発展途上国へ派遣された社員が、 本社に戻れる喜びいっぱいの旅の筈なのだが、 何かを見ては、愛娘を思い出し、 何かを聞いては、娘へ言葉をかける・・。
:
♪寄する波 うちも寄せなむ 我が恋ふる 人忘れ貝
下りて拾わん♪
:
「波よ、 どうか、 恋しい人を忘れさせる、という、忘れ貝を、浜に打ちあげてくれ…、 そうしたら、 船を下りて、 その貝を拾いに行くから…」 :
:
船が、大阪湾に入り、 今の、住吉神社の西の辺りの、 住之江が、近づこうという頃になっても・・、 ♪住之江に 船さし寄せよ 忘れ草 験 シルシ ありやと 摘みて行くべく♪ :
「住之江の岸に、船を寄せよ、 そうしたら、 何も彼も、忘れられる、忘れ草が、 本当に効き目があるか、どうか、 摘んでみるから」

無事、自宅に戻った、貫之氏・・、 : やっと、ここで落ち着くかと思いきや、 赴任中に、家がほったらかしになってた事で、 庭には、雑草が生えて、ヒドイ状態・・。 その中に、 出発した時には、 まだ無かった小松が、成長して在る様を観て、 また、悲しみがこみ上げてくる。 :
♪生まれしも 帰らぬものを 我が宿に 小松のあるを 見るが悲しき♪ : :
「この家で生まれた、アノ子が、帰って来られなかったのに、 そこに、松が在る様を見る事は、悲しい事だ」 :
:
最後に・・ :
「わすれがたく、 くちをしきこと、 おほかれど、 えつくさず。 とまれ、 かくまれ、 疾 ト く、 やりてむ」、 と、 締めくくる・・
:
『忘れようがなく、 残念でたまらない事が、多くあるが、 どうやったって、
自分の気持ちを書き尽くす事はできないのだから、 とりあえず、 こんな日記は、 「疾くやりてむ \xAD\xF0 早く、引き裂いてしまおう」 』。
:
紀貫之氏にとって、 この土佐日記は、 わあーっと叫んで、喚き続けても虚しいだけで、 決して、 癒やされる事が在り得ようが無い、愛娘に死なれた、悲しみを、少しでも紛らす為に、 何事かへかこつけた言葉にして、 吐き出してしまわずには居られなかった、 余りにツラ過ぎる思いを、愛娘の死とは、直には、関係の無い出来事らにかこつけて、つづった、 悲しい思い出の記録だった・・。 :
愛娘が、生きていて、日記を書いたら、 どうなるかなあ、と、 父は、書いてみたが、悲しみは、紛れても、晴れる訳も、無く、 彼が観れば、 悲しみを新たにするばかりの、土佐日記は、 千年を経た今も、授業で習われる。 原本は残ってない、ので、本当に、捨てたのかも知れない。 貫之氏が、 土佐を出港する時には、
よく知らない人までが、餞別を持って、見送りに来てくれたらしい事から、 地元の人らには、 人気の国司だった様で、
その人となりを垣間見得る、 土佐日記は、 ご本人の思いは、別として、 後世に残ってくれて、よかった、と、思える。

@ 平安時代の貴族らは、和歌を詠む事が、平和にも繋がる、と、信じてたし、 しゃーない。 中世のヨーロッパの信仰みたいなもん :
@ 旦那の浮気を手伝う妻の心情なんか、解る訳がないやろ :
@ 子が波に流されたンゴ: 親不知 子は、この浦の 波枕 越路の磯の 泡と消え行く
:
@ 万物に宿る主らを相手に、自らの心に巣くう思いを吐き出して、 受け止めて貰って、 少しでも、 余りに辛過ぎる思い心地を紛らし、紛らししてみようとしている、物凄く痛々しい事を、まるで、他人事の様に、淡々とも、自分へ、述べて観せる事で、 自分を、心理的に、幽体離脱させる様にして、 只ひたすら、悲しみに悲しむ、自分から、 離れた自分を、 心理的にこしらえても観るが、 やはり、 悲しみが、紛れる時々を得られはしても、 晴れる事は無い、という事に、打ち拉 ヒシ がれて、 紀貫之氏は、 自分が観れば、 余りに辛いだけの、土佐日記を破り捨てたい、思いにも駆られた。 :
:
@ 清少納言の、伏見稲荷神社にお参りに行っただけでバテて、自分の情けなさに涙が出てきた、みたいな話は、ワロタ :
@ 普通に、鬼とか妖怪が出てくる姿勢がすきや : @ 平安時代: 蹴鞠をして、和歌を読むw 平成時代: フットサルして、 Facebook に上げるンゴwww
:
@ 昔の男: 「浮気したンゴ、嫁さん、カンカン..、 せや、一首を詠んだろ!」 、 昔の女: 「ええ歌や、許すンゴ」。 :
@ 万葉集の頃は、 和歌は、本当に、歌だったらしいな。 まだ、長歌だった時代やな : @ 歌というか、声に出して、読んでたんや。 国風暗黒時代を挟んで、古今和歌集から後は、 紙に書く事が、前提な事になる。 :
@ 防人歌は、文字を書けない、防人
サキモリ 、が歌ってた歌らを、 貴族の、 大伴家持氏がまとめたって、聞いた事があるで @ 彼は、自分ちの者らの反乱を止める歌を詠んでもいる。

@ 古文の登場人物: 「涙を流したら、川になって流れていったンゴ」 :
@ 当時は、写真とかが無かったし、
残したい物は、韻を踏ませて短くして、覚え易くするしか、無いものね :
@ 貴族: 「あの子、可愛いンゴ…、
よっしゃ! 夜、あの子の寝床に行く!」 、 貴族: 「ブサイクだったンゴ…」。 @ 女の親: 「芋づるをもろても、種は、もらうな」 :
@ 罠に嵌めて、病気の姉妹に夜這いをさせるように仕向けたなんてのもある
:
@ 藤原道長どん: 「息子がいないンゴ」。 皮の聖: 「出家をさせちゃったンゴ。 許してクレメンス」 。 道長殿: 「ええんやで。 寧ろ、ワイの方が、ムスッコの事を解ってなかったンゴ」 、 道長殿の妻 ≒ 源氏の出 :
「好い訳がねぇんだよ、この野郎!」。
:
@ 徒然草: こないだ、念願の石清水八幡宮行ってきたンゴ。 極楽寺とか高良神社とかをお参りしたが、すごかったわ 。 みんなが山の上の方まで行ってたが、 あれは、何やったんやろ? 気になるが、 神様に、お祈りしたし、まあ、ええわ ≒ 何事にも、 その方面の事に通じた、案内人を得て、 善い事を成す、度合を、更に深める様にすべきだね。 ≒ 吉田兼好どん :
:
@ 徒然草: (゜)( 「猫又が、山奥じゃないのに、ここでも出るかもしれんのかあ…、 夜道は、気を付けんと、喰われるかもしれんで」。
イッヌ: 「ご主人やんけ! 夜遅くに帰ってきて、お疲れやろ! 甘えたろ!」。 ( )( 「ヒェッ、猫又や! アカン、喰われる! 助けてクレメンス!」
:
@ こはいかに、 かかる、ようやは、ある ≒ 何や、これ! こんな事がある訳ないやろ…!?
:
@ 最古の物語: 〜やから、 一大事なんか! 分かったでえ! 場面を変える: 〜やから、 一大事なんか! 分かったでえ! これの繰り返しやで :
@ 歌は、悲しみの中から生まれた、ともいうしな : @ 辞世の歌って、あったしな。

@ 十返舎一九どんのは、爆笑する: :
辞世の句: この世をば どりゃ、おいとまに せん香の 煙とともに
灰、左様なら :
:
@ 今までは 人の事だと 思ふたに 俺が死ぬとは こいつは、たまらん。 :
大田 南畝 ナンボ 氏: 1749年、の、4月19日の、 寛延2年3月3日
〜 1823年、の
、5月16日、の、 文政6年の4月6日 、は、 天明期を代表する、文人・狂歌師であり、 御家人。
:
@ 知る、知ろしめす、が、支配する事を意味した様に、 女の子の名を知る行為が、かなり、重要視されてたしな。
今でいう、電話番号のレベルなんかな
:
@ 調子に乗って、 鼎 カナエ を被ったら、 抜けなくなったンゴ…、 助けてクレメンス… 徒然草: :
これも、 仁和寺の法師、 童の、法師にならんとする名残とて ≒ 少年が、
法師になろうとする際の記念として 、
おのおの、あそぶ事ありけるに、 酔ひて、興に入る余り、
傍なる足鼎を取りて、 頭に被 カヅ きたれば、 詰るやうにするを、 鼻をおし平めて、 顔をさし入れて、 舞ひ出でたるに、 満座、興に入る事、限りなし。 :
しばし、 かなでて後、 抜かんとするに、 大方、抜かれず。 酒宴、ことさめて、 いかゞはせん、と、 惑ひけり。 :
とかくすれば ≒ あれこれしたら 、 頚の廻り欠けて、
血垂り、 たゞ、腫れに腫れみちて、 息もつまりければ、 打ち割らんとすれど、
たやすく割れず、
響きて、 堪へ難かりければ、 かなはで、 すべきやうなくて、 三足なる角の上に、帷子 カタビラ 、をうち掛けて、 手を
ひき、 杖をつかせて、 京なる医師のがり ≒ 京に居る医師のもとへ 、 率て行きける ≒ 連れ立って行ったのだが 、 道すがら、 人の怪しみ見る事、限りなし。 医師のもとにさし入りて、 向ひゐたりけん ≒ 向かっていたであろう 、ありさま、 さこそ、異様なりけめ。 物を言ふも、 くゞもり声に響きて、聞えず。

「かゝることは、 文にも見えず、 伝へたる教へもなし」、 と、言へば、 また、 仁和寺 ニンナジ へ帰りて、 親しき者、 老いたる母など、
枕上に寄りゐて、
泣き悲しめども、 聞くらんとも、 覚えず。 かゝるほどに、 ある者の言ふやう、 「たとひ、
耳鼻こそ切れ失すとも、 命ばかりは、 などか生きざらん。 たゞ、 力を立てて、引きに引き給へ」、 とて、 藁のしべを廻りにさし入れて、 かねを隔てて、 頚もちぎるばかり、 引きたるに、 耳鼻、 欠けうげながら、 抜けにけり。 :
からき命、まうけて、 久しく、 病みゐたりけり。 :
( 仁和寺のお坊さんが、 調子に乗って、 鼎 ≒ 足が3つの、鍋みたいな金属製の器 、を被ったら、抜けなくなった。 無理やり引っ張ったら、 耳と鼻が取れてしまった模様 ) :
:
@ 昔の人は、自分語りで、炎上しないから、楽やな : @ 匿名性が無かったから、 叩きたい奴も、 怖くて、 何も言えないんやで : @ 辞世の句と聞くと、 ナイトスクープの、 レイテ島からの手紙を思い出す
:
@ 「ヒマすぎて、寝る位しかする事ないンゴ、せや、一首、詠んだろ」 :
「あしひきの 山鳥の尾の しだり尾の 長々し夜を ひとりかも寝む」 :
:
@ 町人A: 「この祭の様は、浮世絵にまとめられるやろなぁ」、 町人B:
「ワイは、えんじ色でお願いしますやで〜」、 町人C:
「ワイは水色で!」 、 町人D: 「ワイは、絵師の好きな色で頼むやで〜」、 歌川広重殿: 「君らは、皆、藍色だぞ」 :
@ 俳句、も、和歌、も、 5・7・5、も、 57577も、 呪文だからな。
迫る蒙古軍に、 鎌倉幕府が、 朝廷へ、 「無理、無理、援軍、はよ!」 って、 書簡を送ったら、 「よっしゃ! まかしとき! 千首の和歌を作って、蒙古軍を退散させるでー」、で、 神風を起こした事に、でっち上げた話は、有名な話だ。 正確には、 575の中に、意味を二つ持たせると、 呪文 ≒ 名句 、になる。

@ 十二単だから、 数枚から12枚以上の服を着て、 日常を過ごしていたから、 女性も、意外と筋力があった、とか。
貴族も、馬に乗れたし、 弓を射るのが、ならいだから、 男性も、意外と、筋力があった、とか。 :
:
@ 和歌…、五七五・七七 。 Twitter…、 百40字以内 。 だいぶ緩くなったな、 縛りがきつい方が、あれこれ考えて、面白いかも :
:
@ 筋力なんて、
ある訳ねえだろ。
十二単っていったって、暑けりゃ、5枚位しか着ねえし。 十二単を着る様な姫さんらは、 部屋の外に出ないし、 部屋の中は、膝立ちで移動するんや。 立つ機会すら、ほとんどあらへん。 : @ 高貴な女性が、立って歩き回ること自体が、はしたないって見られる時代だしな :
@ 公家、公卿、
というと、雅 ミヤビ 、でおじゃる、とか言って、ヒョロいイメージだが、 血の気が多く、殴りあいのエピソードとか多くて、 歴史を知らん人は、驚くかもな。
:
@ 京都で、人力車のお兄さんが、 「藤原定家はんは、 現代のDJ」って言ってて、ワロタわ :
:
@ 清少納言の、 「経文の意味? 坊主の説教? んなもん、 顔の良さと声の良さが、優先だろ?
2枚目な坊主から、言われるのと、 ヨボい坊主から、同じ事を言われるなら、
イケメン坊主の方が、好い!」、 と、 言い切った感性が、好きだ。 正直すぎる。 :
@ 平兼盛どん: 「元嫁の産んだ娘は、どう見ても、前の婚姻で身籠った子、養育権は、こちらにある」。 赤染時用どん: 「今嫁が、私の屋敷で産んだのだから、この子は、赤染氏の娘だ」。 親権裁判って、昔から有ったんだな :
@ 赤染衛門 アカゾメ・エモン 女史: 平安時代の中期の、 天徳,応和年間の、 957〜964年、に生れ, 千41年の、長久2年以後に、没した、 と、推定される。 父の赤染時用 トキモチ 氏が、
右衛門尉であった事から、その呼び名が出た。 実父は、 母の前夫の平兼盛どん、 とも、言う。

赤染衛門嬢: 貞元元年 ≒ 976年 、頃に、 のちに、 学者・文人として、名を馳せる大江匡衡 マサヒラ 、どんの妻となり、 挙周 タカチカ 、どん、に、
江侍従を生む。 :
権 ゴン 中納言 ≒ 中納言に準ずる位 、の、 匡房どんは、 曾孫。 藤原道長氏の室の、源倫子女史 ≒ 源雅信どんの女。 上東門院の彰子女史の母 、に仕え、 養父の姓と官職 ≒ 衛門志 、から、 赤染衛門、の、徒名 アダナ で呼ばれた。 『紫式部日記』には、 「匡衡衛門」の名で、歌人としての評価が見える。 夫の親族 ≒ 一説に、姪 、であったらしい、 和泉式部 とは、何度か、歌を贈答し、親しかった事を窺わせる。 : 千1年の、 長保3年と、 千9年、の、 寛弘6年の、 二度にわたり、 尾張守に任ぜられた、夫と共に、任国に下る。 : 千12年の長和元年に、 匡衡殿に先立たれ、多くの哀傷歌を詠んだ。 千41年の、 長久2年、の、 「弘徽殿女御生子歌合」に出詠したのを、最後の記録とし、 まもなく没したか、とも、思われる。
後拾遺集では、
和泉式部と相模さんに次ぎ、第三位の入集数。 21代の勅撰集らへの入集歌は、 97首。 :
『栄花物語』の正編の著者として、有力視されついる。 :
:
紫式部日記: 『 丹波の守殿の正妻を、 中宮彰子様や、藤原道長様の近辺では、
「匡衡衛門」、と、言います。 特に、家柄が良い訳ではないが、 実に、風格があり、 「私は、歌人よ」、という風に、何かにつけて、歌を詠み散らかす事はしないが、 知っている限りでは、 ちょっとした、折節の歌でも、 それこそ、こちらが恥じ入ってしまう様な詠みぶりです。 この方と比べると、 ともすれば、 出来そこないの歌を詠みだして、 言い様もなく、気取った振る舞いをして、自分は凄いんだ、と思っている人は、憎らしくもあり、 また一方では、気の毒だ、とも思われる事です。 :
『 丹波の守の北の方をば、 宮、殿のわたりには、匡衡衛門とぞ言ひ侍る。 ことに、やんごとなきほどならねど、 まことに、ゆゑゆゑしく、
歌詠みとて、よろづの事につけて、 詠み散らさねど、 聞こえたるかぎりは、 はかなき折節の事も、

それこそ、恥づかしき口つきに侍れ。 ややもせば、 腰、はなれぬばかり、
折れかかりたる歌を詠み出でて、 得も言はぬ ≒ 言いようも無い 、 よしばみごとしても、 われかしこ ( 我賢 ) に、 思ひたる人、 にくくも、いとほしくも、 おぼえ侍るわざなり。 :
赤染衛門女史:
踏めば惜し、 踏までは、ゆかむ、
方もなし 心づくしの山桜かな 。 :
( 千載83 ) :
:
【通釈】: 踏んでは、勿体ない。
踏まなければ、行きようもない。 心をすり減らせる、 山桜の散り花であるよ。 :
【語釈】: 心づくし、の、は、 やきもきさせ、気疲れさせる、といった意味。 古今集の、 心づくしの 秋は来にけり 、以来、 和歌で愛用された語。 :
『赤染衛門集』には、次の様に載る:
また、いみじく散る所に、 庭のまもなくをかしく見えしに。 :
踏めば惜し 踏まずはゆかむ 方もなし 散りつむ庭の 花桜かな 。 :
:
【主な派生歌】:
踏めば惜し 踏までは人も とひがたみ 風吹きわけよ 花の白雪 : (西園寺公経氏[続後撰])
:
つむも惜し つまであせなむ 色も憂し 芝生の菫 あかぬ夕露 (三条西実隆氏) :
赤染衛門女史:
さみだれ空晴れて、 月あかく侍りけるに :
五月雨の 空だにすめる 月影に 涙の雨は はるるまもなし 。 :
( 新古 1491 ) : :
【通釈】: 五月雨の降り続いていた空に、珍しく顔を出し、澄み渡る月―― その、 素晴らしい、 心ひかれる月の在り様に連なる光のもとでさえ、 私の涙の雨は、晴れる間もない。 :
【補記】: 新古今集は、雑歌に入れるが、 『赤染衛門集』では、夫の死を悲しむ歌群の中にある。 この「涙」も、亡き夫を思ってのもの。

赤染衛門女史: 中関白少将に侍りける時、はらからなる人 \xAD\xF0 兄弟姉妹な人 、に、物言ひわたり侍りけり、 頼めて、まうで来ざりける、 つとめて、 女に代りてよめる: :
:
☆ やすらはで
寝なましものを
さ夜更けて
かたぶくまでの
月を見しかな 。
:
(後拾遺680【通釈】: 共寝する、 通いの男性が、来るかも知れないから、と、 迷ったりせずに、 さっさと寝てしまえば、よかったものを。 夜が更けて、 月が、沈もうとするまで、 月を見て、 ( 月と、一つに成り合っている様な思いをして ) いましたよ。 :
@ 見る、には、 肉体関係を持つ、 といった、意味合いも、あり、 眺める、という、観る宛先と、観る主との精神的な距離も、遠い表現ではなく、 見る、 という表現を選んで、述べているからには、 月と、月を見る主とについて、 月を見る主の観念の成る場において、 深い仲の男女の関係性にも類する、 緊密な一体性が設定され、 月に見惚れてある、所もある、とも、観得る、 この月を見る主が、 虚心を成し、あどけない感じでも、
月を見、 来るか、
来ないか、の、定かでない男に対して、 特に、気を張って、待つでもなく、 待たないでもなく、在る、 その自らの在り様を、自ら、第三者を観る様に観て、 言葉らに映し出している。 何となく、月に見とれているだけではないが、 何となく、見とれてしまう月は、在り、 恋しい男が、自分を選んで、自分へ逢いに来ても、来なくても、
今夜の月が、好い、から、 そんなのどうでも好い、とも、自然に思わせてくれる、月を愛で、愛欲の濁りの解けて、透き通った感じの心持ちを、自ら、思い味わい得て、あっさりもし得ている、 その心のほどけた澄みようが、 感じられもする、素晴らしい歌だ。 :
【語釈】: ◇中関白の藤原道隆氏が、
少将であった期間は 、 974年、の、 天延2年から、 貞元元年 \xAD\xF0 976年。 ◇はらからなる人: 赤染嬢の同母姉妹。 ◇やすらはで \xAD\xF0 ( あなたが、来るかも知れないから、と、 ) ためらわずに。

( 衛門女史が、 ) 娘に代わって、 :
☆ 恨むとも
今は見えじ
と思ふこそ
せめて辛さの
あまりなりけれ 。 (後拾遺 710)
:
通釈】: 恨んでいると、今は見られたくないのです―― そう思うのは、 あなたの態度が、ひどく、情 ツレ なかった余りの事なのですよ。 :
:
【語釈】: ◇右大将道綱氏: 藤原兼家と、『蜻蛉日記』の作者との間の子。 ◇むすめ: 『赤染衛門集』によれば、 赤染衛門嬢の娘は、 道綱氏のもとに仕えていたらしい。
同集の次第によれば、 相手の男は、教通氏 \xAD\xF0 道長氏の子 。 ◇せめて辛さの: この「つらさ」は、 恋人の態度の無情さ。 :
【補記】: 娘のもとへの通いを絶やしていた道綱氏のもとへ、娘に代って贈った歌。 道綱氏が、 「 なぜ、 恨み言を言わないのか 」、 と、訝ったのに対し、 恨まないのは、表面だけの事で、弱みを見せたくない、女の心情を推し量ってほしい、と、訴えた。 :
☆ いかに寝て
見えしなるらむ
うたたねの
夢より後は
物をこそ思へ 。
:
(新古 1380)通釈】: どんな寝方をしたから、あの人が夢に見えたのか。 転寝 ウタタネ 、の夢から覚めた後は、 物思いばかりしている。
:
補記】: 枕の置き方等により、 夢見を制御できる、との俗信があった。 『赤染衛門集』によれば、 親しくなり、歌の贈答などをしていた男に、すげなく扱われ、 「もの嘆かしげ」な思いで詠んだ歌。 :
☆ 神な月 ありあけの空の しぐるるを また我ならぬ 人や見るらむ 。 :
(詞花 324)通釈】: 神無月、 有明の空に、時雨が降る様を、 私でない人も又、 寝られずに見ているのだろうか。 :
:
@ 寝られずに、 月と、緊密な一体性を成して在り得る、 自らを成してある人らは、 赤染衛門女史の理知的な共感性を喚起させるに足る宛になる人らだ。

赤染女史: 八月 ハツキ の廿日ごろ、 月くまなかりける夜 ≒ 欠けの無い月の夜 ≒ 満月の夜 、 むしのこゑ、 いとあはれなりければ、 :
☆ 有明の 月は、袂に なかれつつ 悲しきころの 虫の声かな 。
:
(続 ショク 古今) 【通釈】: 有明の月の光は、涙で濡れた私の袂に、流れ流れして、聞くにつけ、 切ない頃合いの、虫の声であることよ。 :
【語釈】: ◇なかれつつ: 泣かれつつ、に、「( 月の光が、涙で濡れた袂に映って ) 流れつつ 」 、の意を掛ける。
:
清少納言: 清原元輔さんのお嬢さん。 『赤染衛門集』には、 父の元輔氏の荒れた旧居に住む、清少納言に触れた、歌があり、晩年の暮らしぶりが窺われる。
没年も不明だが、 千20年の寛仁4年頃とする説や、
千27年の万寿4年頃とする説等がある。 :
アッバース朝の解体期で、唐から、五代十国に、宋の頃の、平安時代の日本:
2014.10.27 :
淳仁天皇の父で、 天武天皇の子である、 舎人親王 トネタ・シンノウ を、先祖として、天皇家から別れた、 皇別氏族でもある、 中堅貴族の清原氏の一員で、
平安時代の中期の、 清少納言の兄であると共に、36歌仙の1人の、 肥後守の、清原元輔氏の子でもある、 清原致信
キヨハラのムネノブ 氏は、 9州は、 大宰府の第3等官の、 大宰少監などを務め、 和泉式部の夫の、 藤原保昌氏の郎党としても行動し、殺されるに至った。 :
主君の保昌氏が、 大和の国内の利権を巡り、 保昌氏の甥でもある、源頼親氏と競い合った際に、 大和の在地領主で、 源頼親氏の郎党でもあった、当麻為頼氏を殺した事に関与した、と、観られた為に、 1017年の、 長和6年の3月8日の夕刻に、 京の、 六角・富小路の邸宅で、 騎兵らと歩兵らの20余名に襲われて殺された、 と、 藤原道長氏の記した、『 御堂関白記 』 の、 同じ年の、3月11日の条にある。 : 致信氏を殺したのは、 今の奈良県辺りの、大和国を本拠としていた、
軍事貴族、の、 源頼親 ミナモト・の・ヨリチカ 氏の手の者らで、 都の治安を担当した、 検非違使 ケビイシ が取り調べた所、 理由事項は、 清原致信氏が、大和での権益をめぐり、 頼親氏の従者を殺したか、殺させた、と、観られ、 事実か、否かは、明らかではないが、 その殺人事件の犯人となった事への報復だった、
と、犯人側は、主張し、 源頼親氏からの指示事項を、犯人らが実現した物、とも、判った。 :
殺された清原致信氏の妹の、 清少納言は、 966年頃?に生まれ、 1025年頃?に死んだ、と、され、 『春は、曙』で始まる、 枕草子、は、 今も、日本中の学校らで読まれる、彼女の著した、古典だが、 約千年前に、 一条天皇の中宮の、藤原定子 テイシ 妃に仕え、 父親の、 元輔氏が、 60歳に近い時に、出来た子供だった。 :
敏達天皇を先祖とし、 天皇家から別れた、皇別氏族でもあり、中級貴族でもある、 橘則光 タチバナ・の・ノリミツ 氏 ≒ 965年?〜?年 、と、 981年の、 天元4年頃に、結婚し、 息子の、 橘則長氏を授かっている。 則光氏に、若い妻が出来た事もあり、 離婚したが、 夫とは、兄と妹の様な、仲の良い状態が続く中で、宮仕えへ出、 40代で、再婚して、 娘の、小馬命婦 コマ・の・ミョウブ を設け、 60歳前後で、亡くなったらしい。 :
橘則光氏の事は、
『 今昔物語集 』 で、取り上げられており、 彼が、若い女の所へ通うさに ≒ 通う途中で、 襲ってきた夜盗を斬り殺した、武勇伝で、 :
『 兵 ツワモノ 、
の家に非ねども、
心、極て太くて、
思量賢く、 身の力
などぞ、 極て強かりける \xAD\xF0 武者の家の出ではないが、
極めて豪胆で、思慮深く、腕力などは、極めて強かった 』
( 巻23の15 )、と、 評されている。 :
彼女が、53歳頃に、 兄は、殺されたが、 犯人側の親玉の、 源氏は、藤原道長氏の手先でもあった事もあり、 幾つかの官職らを朝廷から取り上げられはしたが、 数年後には、別の官職を授かる、など、 大した処罰は受けず、 その息子が、有力な荘園領主でもあった寺の僧兵らと戦い、 殺すなどの事をして、
その寺より、 朝廷への強硬な抗議らがあってから、 ようやく、親子で、島流しにされる在り様で、 自分らの極楽行きを念願する余り、 その差し障りに成りそうな、殺生に関わる事を忌み嫌い、避け様として、 社会一般の治安の水準の維持と向上とを返り観る事をしないで、 :
2百年以上も、 死刑を廃したままにしていた、身勝手な朝廷貴族らは、 自ら進んで、 人殺しをし合う者らに、 自らと、身内ら等を守らせつつ、 国々の利権らを掠 カス め取り合う事にふけり、 より、 武士的な存在機能ら等を備え得ていった人々が、 朝廷の官職と位階のある者ら等が、手を引いて行った、 社会の治安を維持する事において、 主導性を成してゆくと共に、 社会のあらゆる方面の物事らに関与してゆく度合をも、高めて行きつつあった。 :
清少納言の兄への殺害行為は、 そうした、自律性の高い分、 自らの社会倫理観にそぐわない、不作為型や、作為型の、悪徳行為らを成す者らに対しては、 厳しい措置を取る事により、 彼らから観て、 より望ましい形で、 社会秩序を構築してゆく事らに、段々と慣れ親しみ、熟達もし得てゆく段階らを踏まえつつある立場にある側の人々ではあったが、 犯人側の主張しか記されていないので、 :
被害者側に、本当に、非があったのかは、不明のままだ。
:
藤原道長氏の、家司の、藤原保昌氏と、 その保昌氏の甥で、 同じく、道長氏の手先を務めていた源氏との利権争いなので、 道長氏の意向にもよる、プロレス ≒ 演戦 、の犠牲者へ、 実際には、何の事件にも関与していない、清原致信氏が選ばれ、何らかの反社会的な情報を得ていた、と、仕え先の者らに観られたが故に、 口封じに殺された、可能性などの存在も、考えられる。 :
いずれにせよ、 一定度合以上に、自ら、私兵らを駆使し得ぬ貴族らは、 大貴族らに、生かすも殺すも、好き勝手にされる状況にあった訳だ。 :
@ 大和国は、 都からも近く、土地も豊かで、政治的にも、経済的にも、凄く重要な国なので、 等級も、最上級の大国だ。 その事は、 有力貴族らに仕える、武士等の受領 ズリョウ 貴族らにとっては、 都で何かあった際に、取って返せる距離で、 大国ならば、国司への実入りも多く、 それによる、
摂関家の藤原道長氏らへの奉仕によっては、 次の受領への道も開かれ、 畿内の任国内に私領を持ったり、 在地豪族らをして、自らの郎党と化する事により、 武士団としての自らの勢力を拡充し得る機会らを得易い国だったが、 大和には、 東大寺に、興福寺や、春日大社などの、力強いな寺社勢らが、多く、 公営田や、私営田はもとより、 有力な寺社領らに、 摂関家領らが複雑に入り乱れて、 度々、 所領争いや、徴税問題などが頻発し、 国司にとって、ひどく治め難い国でもあった。 朝廷としても、有力な寺社らの台頭には業を煮やしてはいたが、 摂関家にとって、 興福寺は、氏寺で、 春日大社は、氏社なので、
争いを起こしたくはなかった。 しかし、 ヤマトの大荘園らからの徴税での収入は、大きな財源なので、放置出来る問題では無い。 多少、 寺社勢らと争ってでも、朝廷の力を確かな物にして、 徴税をがっちり出来る様にと、 武士勢らを持つ、受領層を、大和守に補任した。 :
藤原道長氏による、 『御堂関白記』、によると、 千4年、の、 寛弘元年、の、2月7日の条 クダリ には、 藤原景斉氏が、大和守だった、とする記述がある。 :
 963年、の、
応和3年9月13日、か、 966年の、康保3年9月13日に、 源頼親は生まれ、 康保四年に、 同じ母 \xAD\xF0 藤原南家流の、藤原致忠氏の娘 、から、弟の頼信氏が生まれた。 :
985年の寛和元年の、4月22日、に、 母方の叔父の、藤原斉明が、強盗の罪にて、都で、梟せられた ≒ さらし首にされた 。 :
:
@ 藤原文信 ノリアキラ ≒ 生没年は、詳 ツマビ らかではない 、は、 藤原北家流の、中宮亮の、藤原忠幹の子だ。 981年の天元4年、に、 筑後守に任ぜられ、 989年の、永延3年の4月1日に、 高野山より帰るさに、 安倍正国氏に襲われ、頭の2箇所を斬られたが、 :
これは、 文信が、 筑後守に在任中に、 正国氏の父母と兄弟に姉妹を皆殺しにしたからだ、という。 文信が暴漢に襲われ、 暴漢が逃げた報せは、 4月4日には、京に届き、 同日の、 藤原実資氏の日記の、「小右記」にも、文信が襲われ、頭にケガをし、 まだ、平安京に戻っていない事が記述されている。

古文な人ら、の、歌、 と、歌の呪力 、と❗

2019-08-06 19:20:21 | 政治・経済
☆ 『 子宝 ビタミン E1 』 、
を始めとして、 色々とある、
『 ビタミン E 』 、 たちは、
細胞の膜を構成する、 不飽和、な、
脂肪酸、 たちが、 自らの側の、
電子 e 、 を、 奪われて、
自らをして、 他者から、 電子 e 、
を、 引き寄せて、 奪い去る、
電子強盗、な、 状態にされる、
事を、 より、 防ぎ、
細胞ごとの、 栄養分らや、
ゴミら、などの、 出入り、 である、
細胞ごとの物流 、を、
能 ヨ く、 成し得てくれる、
事を通して、
例えば、
悪くなった、 耳らを、
元のように、 よく、 聴こえる、
状態にしたり、
頭痛らを去らしめ得たり、
胃潰瘍などを完治し得たりする、
要因性も成す、
『 補酵素 ホコウソ 』
≒ 『 ビタミン 』 、 であり、

補因子、 な、 ミネラルら、と同じく、
酵素 コウソ 、 な、 タンパク質 、と、
よく、 一定度合い以上で、
合体を成す事において、
代謝らの各々の働きをなす、物であり、

つまりは、
そうした、 代謝らのどれ彼を直に成し合う、
代謝員らの、 よく、 合体し得る度合いが、
一定以上に、 無い、場合らにおいては、
より、 余計に、 その代謝員ら、 が、
摂取されて、
摂取された、 どれ彼らが、
より、 合体する度合いを、
一定以上に、 成さない、 限りは、
その、代謝ら、の、どれも、
成されないままにされる事になる。

また、 ビタミン B群 、などを、
大量に摂取して、
その、 あり得る、 合体性の度合いら、
の、 代謝ごと、での、 差なり、
不足分なり、 を、 より、
埋め余し得ても、
糖質への余計な摂取らを成して、
余計な、 糖質らへの代謝ら、へ、
より、 余計に、 ビタミン B群 、
などが、 動員されてしまい、
それが為に、
より、 その人々の健康性を成し増し、
より、 あり得る、 万病を、 未然にも、
よく、 差し止め続け得てゆくのに、
必要な、 あるべき、 代謝ら、の、
どれ彼ら、が、 未然に、
差し止められ続けてしまう、
事態らが、成る、事、 などが、
考えられ、
そうした事ら、からも、
糖質らへの摂取らは、
制限されるべく、ある❗。


三石分子栄養学➕藤川院長系の、
記事らの中では、
ノモンハン事件で、 耳を悪くした、
日本人が、 おじいさんに成ってから、
子宝 ビタミン E1 、 を、
より、 大量に、摂取するようにしてから、
耳らの聴こえようが、 良くなり、
ビタミン E 、 への、 摂取を減らしてから、
また、 耳らの聴こえようが、
悪く成った、 実例などが、
紹介されてある。

『 ちはやふる 』、 などには、
耳の聴こえ得ようらを左右する、
耳の奥の毛たちが、 無くなると、
二度と、生えない、
といった、 医学書らからの、
引用がある、
が、
それは、 あるべき、 代謝員ら、への、
『 確率的 親和力 』、 での、
不足分ら、を、 埋め余す、 に足りる、
程以上の、 摂取らを成し付けない、
場合には、
そうなる、 という事でしかなく、
あるべき、 代謝員らへの、
より、 有り余れる摂取らを成し付ける、
事で、 そうした毛たち、なども、
復活され得る、 事が、 考えられる ❗。

http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html :
http://www.zakzak.co.jp/zakspa/news/20150929/zsp1509291530001-n1.htm
『 河北 在線網 』; 8月26日付 、
によると、 : 広東省は、東莞市に住む、
19歳の男性が、 耳の痛みを覚えて、
病院へ行ったら、 何と、耳の中に、
26匹の、ゴキブリらが生息していた❗。
担当医によると、 1匹の親、 な、
ゴキブリが、 耳の中に侵入し、 そこで、 子を産んで、増殖した、と、観られる。

すぐさま、 ゴキブリを耳から掻き出す、
処置が行われたが、 手遅れになれば、
聴力を失う、危険もあった。

この1週間後にも、 浙江省は、
金華市で、男性の耳の内部から、
生きたゴキブリを摘出する、
医療処置が行われている
≒ 『 銭江 晩報 』 : 9月2日付 。 :
:
こうした事らへの背景には、
中国のゴキブリらの、 ハンパない、
生命力の強靭化があり、
その理由について、 中国人の報道員
≒ 『 ジャーナリスト 』 、 の、
周来友氏は、 こう話す。
「 中国では、毒餃子事件で有名になった、 メタミドホス 、 を代表として、
日本や外国らで、認められていない、
毒性の強い殺虫剤が、 長らく、
使われてきた。
中国のゴキブリらは、 鍛えられ、
殺虫剤らに対し、 強い耐性を持つ、
様になった
≒ そうした毒らに耐性が、
より、 無い、 ゴキブリらは、
自分も、 自分に基づいて、 成る、
あり得る、 自分の子孫員らも、
より、 生かし得ない、から、
より、 耐性のある者ら、が、
かけ合わさった、 その子孫員ら、
だけが、 より、 自らの存続と、
自らの子孫員ら、とを、 得る、
機会らに、 余計に、 恵まれる、
事に成る。
最近は、
国際的批判もあって、 殺虫剤は、
かなり、マイルドになり、
中国のゴキブリらに、
威力を発揮できなくなった。
昔の中国人らは、ゴキブリを、
素手で叩き潰していたが、
最近の都会人らは、 ゴキブリから、
逃げ惑う、あり様です。
ゴキブリは、人に対して、
大胆になってきている 」。
:
@ 怖かった話は、 現地で、
ツアーのお土産って言われて、
小包を渡され、 日本に帰ったら、
間違ってたって、交換させられ、
運び屋にさせられた人と、
ツアーで、トランクを盗まれ、
新しい鞄を用意したって、
運び屋にされた人の件。
後者は、 今も、裁判中の日本人。
海外へ行くの、コワー ❗。

@ ハワイで、海岸を歩いてたら、
太った黒人な男女の2名に、
花の首飾りをかけられ、
写真を撮ってあげる、と言われ、
自分のスマホを渡して、撮って貰ったら、 金を請求された。
スマホを返してくれない。
警察も呼べない。 金を払った。
2度と、ハワイには、行きたく無い。

@ 飛行機の冷房のは、
昔の長距離便の、あるあるだな。
外気温が、 マイナス 40度 とか、の、
所らを飛んでるんで、
機内の気温を上げると、
エネルギー
≒ 『 物を、 ある一つな向きへ、
動かす、 物理学的な意味での、
【 仕事 】 、をなす、 能力や、
その大きさ、 等 』 、
が、 余計にかかるから、
なるべく、 低い温度にする :

@ 自分も、飛行機のは、
冷房じゃなくて、 暖房が、余り、
効いていないだけだ、と、思ったわ。 :
:
@ ガイドブックを片手に歩いている、
とかな、 観光客丸出しの馬鹿
≒ だが 、
案内図を観ないで、 勘で動いて、
危険地域へ紛れ込んだり等するよりは、
マシ 。
鴨にして下さいって、
宣伝して歩いてるって、気づかんのか。
夜道は、 歩かないとか、
タクシ―へ乗ったら、 ナンバーを、
スマホで誰かに伝えるふりをするとか、
防止する手段何て、幾らでもある。
きょろきょろせず、姿勢を正して、
堂々と歩いてるだけでも、全然、違う、 と、思うけど。 :
:
@ キョロキョロしたり、 ぼーっと、
景色や人を眺めていたい。 なので、
日本人のガイドがつきっきりのツアーで、
旅する様にしている。 けど、
ガイドさんは、自分が、 一番に、
やりたくない仕事らの一つだ。
:
@ 乞食対策に、 個包装の菓子 、
を持ってってるわ。 子供なら、
それを配ると、喜んでる。 本当に、
食うのに困ってる人なら、 大人でも、
喜んでくれるな。 :

@ 正規の援助をするなら、 日本の薬を、 海外の貧乏な人らへ配り、 マンガ、
つまり、見て解る、解説図、
らも配って貰うのが、 何よりも、
人の命を救える。
ばい菌の繁殖を防ぐ、消毒薬や、
風邪薬位の、ちょっとした薬らが、
絶大に役立つから、 海外へ行くなら、
余分に携帯してほしい❗ 。

@ どこの国か忘れたが、 風邪とかで、
病院に行ったら、胆嚢が炎症で、
やばいから、緊急に手術すると言われ、
健康な胆嚢を摘出されて、
高額な手術費を取る。
診断内容が不信だったら、日本で、
もう一度を、見て貰うと言って、
断った方が無難。
実際に、日本に帰ってきて、
病院で診て貰ったら、何ともなかった、
という事がある。

@ 私のドイツ人の友が、
東京に行った時、真夜中なのに、
女性が、 1人で出歩いている事に、
驚いていた。 ヨーロッパの主要都市で、
同じ様な行動をしたら、間違いなく、
警察沙汰になるか、最悪の場合、
生命が奪われると話していました。 :

☆ 日本も、倣っているのが、
良くない所だが、
欧米の一神教徒らの考え方らを、
型としては、考えらの基底にしている、
者らは、 より、 凶悪な者らを許して、
仲間社会へ迎え入れる事を、
天国へ近づく事の様に、
観成している所があり、
強姦し、殺人を成した、
極めて有害な精神障害者らまで、
一般の社会へ戻したり、
連続殺人鬼を、神から、
特別な才能を授けられた者として、
ファン・クラブを結成したりもし、
それを見逃し、放置する、
反倫理的な思想性があり、
それは、 部族社会性を解消し得ていない、 度合の大きさや、
唯一神の理論上の全治全能性から観て、
諸悪の元凶の方も、
唯一神である事が、
論理的に帰結する事らの一つである、
という事と、
神から人々へ与えられた、 ロゴス
≒ 言葉、 論理、 社会倫理事項ら 、 が、 預言者らにより、 上書きされて来た、 歴史が、 必ずしも、 在りのままに、
伝えられて来ている訳ではない為に、
イエス氏により、
社会倫理事項らが上書きされて、
それまでの、 地域らの、
部族社会性らを反映した、
自らの部族社会に、無い、
人々を相手にして成す事を、
肯定されていた、 野蛮で、
残虐な倫理事項らが、
解消され得た事、 などへの、
宗派を超えた、社会の一般に、
共通の認識系らが、明確には、
成り立っていない事、 などから、
それ自らの成立ちを得ている、
思想性ら、なので、
欧米部族社会らの構成員ではない、
日本人らが、彼らと同じ様に、
有害な、 サイコパス
≒ 精神病質者 、の類の者らを、
一般の社会に放って置く、
行為を成して来ている事は、
全く、 筋違いな事で、
余計な、 リスクを、社会一般の人々へ、
加えたままにする、有害な、
実質での、 犯罪行為を、自ら、
成し続けている事に、他ならない❗ 。

@ 殺虫剤は、 日本のゴキブリにも、
効果的とは、言えないわ。
効果的なのは、 風呂への掃除とかに使う、 吹きつけ型の泡洗剤。 あれなら、
ゴキブリらの体中の呼吸の穴らを塞いで、 窒息させるから、いちころよ。

@ 電車内で小耳に挟んだ話。
ドイツへ出張した、サラリーマン。
入国して、 すぐ、カード入り財布を、
すられ、 数日後には、 電車の網棚に、
荷物を載せてから、座っていたら、
戸が閉まる寸前に、荷物を持ち逃げされた、 とさ。
医学界の偉い研究者で、
海外の病院に招かれて、初めての渡米で、 空港の出口で、自分の名を呼ぶ奴がいて、
お迎えだ、と信じて、乗り込んだら、
ただの白タクで、大いに、ぼられた❗。
初見の白タク運転手が、何故に、
その名を知っていたか? 、 スーツ入れに、
でかでかと、 自分で、
名入りのステッカーを貼っていたから。 :
:
@ 中学生の時に、友の耳に、
ゴキブリが入った話を聞いて以来、
耳栓&マスクをしないと、怖くて、
寝れなくなった (>_<) 。 今は、
目幕布もしているので、
凄い怪しい感じで寝ている。 :

@ 意外と、知られていない、
事なのかもしれないが、 耳かきをする、
という文化が有る国は、少ない。
全く、耳かきをしない国もあるので、
耳垢が、大変な事になり、
摘出処置をする何て話も、多々。 :

@ 沖縄のマンゴーを売る為に、
遺伝子らへの操作で、生殖能力の無い、
オスを作り、 コバエを絶滅させたのが、
あったじゃん。 それで、この世から、
ゴキブリと蚊を絶滅させてくれよ :

@ 耳鼻科で見た、虫対策のポスター:
【 蜘蛛や虫が耳に入った場合の対処 】:
無理に取り出そうとすると、
奥へ逃げ込む & 押し込んだりして、
耳の中を傷付けてしまうから、
第三者に、タバコの煙を、
耳の穴に吹き込んで貰うと、煙を嫌い、
出てくる模様。 その後は、すぐ、
耳鼻科へ、GO。 確か、 こんなんだった。
:
¢ 古文な人ら :

@ 「 すっごい悲しい、 一首、詠も 」。

@ 当時の人からすると、
ツイッターで呟く様な物なんやろな。

@ 想像したら、しっくりきて、草 :

@ パッと思いつかんが、 何が、
そんな流れやったっけ?。

@ 作者の紀貫之 キのツラユき さん:
「 娘が死んだンゴ、・・悲しンゴ 」。
貫之さん: 「 せやから、
娘のつもりになって、土佐日記、いう、
紀行文を書いたろ❗ 」 。

@ 紀貫之さん :
平安時代の、前期 - 中期に当たる、
貞観 ジョウガン 8年
≒ 866年 、
又は、 872年、 の、
貞観14年、頃?、に生まれ、
死んだのは、 945年、の、
6月30日、の、 天慶8年の5月18日。 :

官位: 従五位上 ジュゴイのジョウ 、
木工権頭 モクのゴンのカミ 。
贈従二位 :
主君: 醍醐天皇 → 朱雀天皇 。 :
父: 紀望行氏、
子: 時文氏。 :
:
『古今和歌集』、の、選者らの一人で、
36歌仙の一人でもある。
紀友則さんは、従兄弟にあたる。
幼名を、
「 内教坊の阿古久曽 アコクソ 」、
と、称した。
貫之氏の母が、内教坊の出だったので、
彼も、この様に称したのでは、
と、いわれる。 :

905年、の、 延喜5年に、
醍醐天皇の命により、
初の勅撰和歌集
≒ 陛下の勅 ミコトノリ ;
陛下の御用命 、により、
撰者を成して、 撰者に選ばせた、
和歌集 、である、
『 古今和歌集 』 、 を、 紀友則氏に、
壬生忠岑 ミブのタダミネ 氏や、
凡河内躬恒 オウシコウチのミツネ 氏、
と共に編纂し、 仮名による序文である、
仮名序を執筆した。
真名序を執筆したのは、 紀淑望氏だ。 ;

貫之氏 ;
『 やまとうたは、 人の心を種として、
よろづの言の葉とぞ、なれりける 』、
で始まる、 この仮名序は、
後代の文学に、大きな影響を与えた。 ;
;
『 小倉百人一首 』、 にも、
彼の和歌が収録されている。 :
理知的で、分析的な歌風を特徴とし、
家集の、『 貫之集 』、 を自撰した。
日本文学の歴史上において、 少なくとも、 歌人として、
最大の敬意を払われてきた人だ。 :

『 古今和歌集 』 、 に、 百一首が入り、
他の勅撰和歌集に、
435首もの和歌が入集しているのは、
他の歌人らに比べて、最高数で、
三代集時代の絶対的権威者であった、
と、いえる。
散文作品としては、
『 土佐日記 』、 があり、
日本の日記文学で、完本として伝存する、 物としては、最古の物で、
その後の、仮名日記の文学と、随筆や、
女流文学の発達に、大きな影響を与えた。 :

貫之氏の邸宅は、 平安京の、左京は、
一条四坊十二町に相当する。
その前庭には、多くの桜樹ら、が、
植されており、 「 桜町 サクラマチ 」 、
と、 称された。
その遺址は、 今の、京都御所の、
富小路広場に当たる。 :
:
その和歌の腕前は、非常に、
尊重されていたらしく、
943年、 の、 天慶 テンギョウ 6年、
の、 正月に、 時の大納言である、
藤原師輔 モロスケ 、 が、
正月用の、魚袋を、 父の太政大臣の、
藤原忠平に返す際に添える、
和歌の代作を依頼するべく、 わざわざ、
貫之氏の家を訪れた。 :

紀貫之氏の詠んだ歌の力により、
幸運がもたらされた、という、
「 歌徳説話 」、も、多く伝わっている。

『 竹取物語 』、 の作者では?、
とも、言われている、 文化人だが、
高知県にあたる土佐の国司を務めた、
行政官でもあった。
930年、の、 延長8年に赴任した、
貫之氏は、 その5年間の任期を終え、
935年な、承平5年、に、
京の都に戻って来るが、
土佐の国司館から、京にある、
自宅に到着するまでの、
その55日間の、帰還の旅の様らを、
和歌を交えながら、 つづったのが、
『 土佐日記 』 、 だ。

「 男もすなる、 日記といふものを、
女もしてみむ、とて、 するなり
≒ 男もする、と、聞く、 日記、
という物を、 女でも、してみよう、
と、思って、 するのです 」、
と、 なぜか、筆者が、
女性であるかの様な書き出しで始まる、
日記だ・・。
:
当時は、 女性が使う文字とされていた、
仮名文字で、 制約される事を無く、
土佐で死んだ、愛娘が、
日記を書ける様な年頃をも過ぎて、
自分と共に、 この世にある事を、
喜び合えたら、 どんなにか、
素晴らしい事であろうか、
という、思いを、下地にして、
のびのびと、自らの気晴らしにも成る、
事らを書きたかったからでは?、
とも、思われる。

彼を襲ったのは、 凄い船酔い、と、
彼の家族や朗等らを害し得る、
海賊への恐怖だ。
934年な、 承平4年、の、
12月21日の夕方の6時頃に、
室津 ムロのツ
≒ 室戸岬の西側の港 、を出て、
まもなく、 船長の話しで、知る。

現代史略; 日本、と、ベトナム、に、 ヴィシー政権のフランス ❗

2019-08-06 17:03:36 | 政治・経済
☆ 道義公方; 足利義教将軍❗ ;

1441年の、 嘉吉の変の前後:
傭兵らから常備軍の都市国家ら 39
室町殿ら 2015/ 8/26 2:11:20 ;

根途記事➕論評群 http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html : :
@ 神仏習合期の、寺社では、
坊主と、神主は、兼ねられており、
彼らは、神へ、「 御神酒 オミキ 」、
を差し上げる、必要があったのだよ :

@ 室町幕府の、 第6代の征夷大将軍の、
足利義教将軍の頃の、 1433年、の、
永享5年は、 7月24日に、 洛中に
≒ 京都を含む行政区の域内へ 、
坂本の馬借 バシャク 、らが乱入してくる、
という、 風聞があり、
山名時煕 トキヒロ 氏へ、 幕府の奉行から、
河原などに、 伏せ野伏 ノブセリ 、
ノブシ 、を置くように、
という、 沙汰が発せられた。

それは、 夜中の事だったので、
山名氏の家臣らは、 遅々として集まらず、
仕方がなく、先ず集まった、
少数だけを派遣する、と、報告し、
深夜 ミヨ 、の、 午前1時頃に、
少勢を出動させた。
すると、 この山名勢が、 大原辻において、
馬借の集団の3百人ばかりに出くわした。

対して、 山名勢は、 5,60人程であった。 しばらく、双方は、睨み合っていたが、

山名方の者が、「 お前達は、何者か❗?、
敵か味方か❗? 」、と尋ねると、
馬借の方から、
「 味方の訳がなかろう❗ 」
≒ 何事に、味方にては、候 ソウロフ べき 、 という、 返答と同時に、矢が放たれた。

そこで、
山名方からも、一斉に、矢達が放たれ、
即座に、2,3人を射倒した。
矢戦の後で、 馬借の一団は、
山名方へ襲いかかってきたが、 山名方は、
これを、 尽 コトゴト く、弓をもって、
射払い、 馬借らは、 退散した。

山名方には、一人の負傷者も、なかった、
という
≒ 『 満済准后 ジュゴウ 日記 』 。 :

@ 訓練し、より、 無駄な、
動きらを成さずに、より、的確に、
急所らへの攻撃を、体で覚え込んでもいる、
無意識での、自動的な動作らで、
連続的に成し得る、 武士らと、
素人の馬借らの一揆、 との戦闘力の差を、
能 ヨ く表し得てもある、 逸話。 :
:
@ 馬借の癖に、 騎馬戦しないで、
矢戦 ヤイクサ ? 。
負けるに決まってるわ❗ :

@ そりゃあ、馬借は、「 馬に乗せる 」、
仕事で、 自分で、 「 馬に乗る 」、
武士では、無いからでは。


☆ 閑話休題 ;

@ 富山は、見所が多い。
福井: 東尋坊に、 恐竜博物館な、
九頭竜湖や、 歴史好きらだけに有名な、
丸岡城と一乗谷城 :

@ ベトナムの場合は、 五代十国の、
「 十一国目 」、 として、台頭したまま、
なしくずし的に、 中華世界から、
自立していった経緯も影響してるやろな。 ベトナム史上で初めて、帝号を称した、
丁先皇 ≒ 丁部領 、
ディン・ティエン・ホアン 、の廟が、
ニンビン省のホアルーにあり、
「 越基を開き、 正統を始む 」 、
と、書いてある。 : :

@ 五代十国 ごだい・じっこく 時代 ;
907年 - 960年 、は、
中国の、 李氏を頂く、唐王朝の滅亡から、
趙氏を頂く、北宋王朝の成立までの間に、
黄河流域を中心とした、華北を統治した、
5つの王朝ら ≒ 五代 、 と、
華中に華南と、華北の一部を支配した、
地方政権ら ≒ 十国 、
とが興亡した時代だ。 :
:
@ その頃の日本:
897年: 醍醐天皇が即位。
901年: 昌泰の変。
右大臣の菅原道真氏が、
大宰権帥 ダザイ・ゴンのソツ 、に左遷。
その後に、 元号が、 延喜に改元される →
延喜の治 。
熊似の、902年:
延喜 エンギ の荘園整理令 、が出る。

907年: 藤原時平らが、 延喜格
≒ 格 キャク 、は、
法律の規定事 、 を撰上し、
翌年に施行。
:
914年: 三善清行氏による、
意見封事 12箇条 、が提出される。

927年: 藤原忠平らが、
延喜式を撰上。 :
:
√ 五代十国のプラス・アルファとして、
自立した、丁先皇以来、
越南 ヴェトナム 、に、
「 もう一つの正統 」 、 が始まった。

次の、 11世紀 ≒
千年代 、になると、 宋を撃退した、
李常傑 リーヅォンキェット 、氏が、
「 南国の山河に、 南帝あり、
截然として、分定すること、天書に有り、
如何ぞ、逆虜来たりて侵犯す、
汝ら、敗墟を看取せよ 」、と、喝破する。

ベトナムは、自国では、皇帝を称しつつ、 対外的には、 必ずしも、
貫徹できていない。
ラオスに、チャンパーと、クメールを、
朝貢国扱いし、
中国は、 旧 モト 、 より、西の大国の、 シャム
≒ アユタヤ朝 、については、
外交儀礼上も、 対等の国として、
扱わざるを得なかった。 :
:
@ 黄巣の乱、で、将軍だった、
朱全忠は、 唐に下った後に、
節度使に任命されたが、 日本で、
菅原道真氏を罠にはめて、
九州へ左遷した、 藤原時平らが、
法律の、 延喜格 キャク 、を撰んで、
施行した年である、 紅名 クレナ の、
907年に、 唐を滅ぼし、
後梁を建国した。
:
907年の唐の滅亡から、 960年の、 趙氏の、宋による、シナの統一まで、
華北には、 後梁・後唐・後晋・後漢
・後周の、 5王朝が成立し、 これを、
五代、 といい、
江南・華南には、 前蜀・後蜀・呉、
・南唐・呉越・荊南・楚・南漢・北漢の、
十国が成立し、 この時代を、
五代十国時代 、 という。 :

@ 紀元前の、扶南国を開いたのは、
柳葉、という、女王であった。
その南に、 激 ≒ 行にんべん 、
国 、 という国があり、 混填、
という、 男がいたが、 夢をみて、
天神 アチ 、に、
神弓 チユミ 、 を授かる。
夢のお告げに従い、船に乗って、
扶南に向かう。 柳葉女王は、
部下を率いて、船を出し、
混填の船を襲ったが、 混填が、
神弓で、柳葉女王の船を射ると、
矢は、船の壁を貫通して、
柳葉の侍従に中 アタ ったので、
柳葉女王らは、混填に投降した。
混填は、 扶南を引き継ぎ、
柳葉女王と結婚して、七人の子を生み、
それぞれを、 邑 ≒ ムラ 、 ユウ
≒ 都市国家 、に派遣して、
王に封じた。
混填から後は、 混盤況・盤盤と続き、
盤盤の大将だった、范蔓氏が、
王に推挙されて、范氏に王権が移った。
范蔓・范○・范長・范尋、と続く。 :

@ 扶南は、 現地語では、 プノム 、
っていったらしいね。 中心とされるのが、 オケオ遺跡。 渾填伝説は、その頃
≒ 紀元前 に 、 南インドの東岸から、
スヴァルナブーミ
≒ 黄金の地 、と言われた、
東南アジアへ、 盛んに、
冒険な航海や、移民が行われた、
事が、 背景にあり、
インドから来た交易商人か、
植民者らが、 現地の女首長と結婚して、
国を建てた事らを暗示している、
と、観られている。

@ タイのスワンナプーム国際空港は、
スヴァルナブーミ 、 の、
タイ語での、 読み。
ハノイの国立歴史博物館に行ったら、
扶南関係の展示が、 完全に、
省略されていたが、何故だ。
見落とした可能性もあるが、
自国史扱いされてないのだろうか? 。

@ イブン・バットゥータ氏の旅行記で、
南ベトナム 、 と思われる地域の、
女王が登場する事が、気になる。
13〜14世紀のクメールやチャンパに、
女王はいない、と思うんだが。
:
@ ホーチミン氏って、
清廉潔白な指導者として、高評価だが、
本国では、本当に、全く、
批判がないのかな? :

@ 一概に言えないかも知れないが、
旧南ベトナムの人らは、嫌っている。
頼んでないのに、勝手に、
『 解放 』、 されたに等しいからだ。 :
しかも、 『 解放 』、 された結果にて、
言論の自由も、民主主義も、
私有財産も、 消滅した。
元から、南ベトナムと北ベトナムは、
ベトナム戦争前から、仲が悪かった。 :

@ 越僑って言葉もあるらしいね。
若き日のホーチミン氏も、越僑だったが、
サイゴンの陥落した後には、
南の支配層員らの多くが、越僑化した。
欧米のベトナム料理屋とかへ行くと、
旧南の人が多くて、 南ベトナム料理を、
基にした、メニューになりがちらしい。 :

@ ドイモイ ≒ 刷新 、
政策が始まり、 宗教の自由が認められた、
頃に、 どこかの田舎で、 道観を修復して、 伝統祭礼を復活する、というんで、
その町の出の、在米越僑が、
多額の寄付をして、記念式典に参加したが、 会場に入ると、正面に、
ホーチミン氏の肖像画が上げられてる。
主催者側は、当局に、
いちゃもんをつけられない為の、
お守りみたいな感覚で、
肖像画を掲示したらしいが、 越僑は、
ホー・チミン氏の肖像画を見たとたんに、
激怒して、帰国したそうだ。 :
:
@ ベトナムって、道教が盛んなの?。
カオダイ教の印象が強すぎる。

@ ハノイの町に、道観は、
掃いて捨てる程もある。
カオダイ教の教会(?)は、全く、
見なかった。
:
@ 華僑が、一族で、越南戦争から逃れ、
海へ出て、飢え、 儒教型の序列で、
最も格の低い身内の少年を、
殺して食べた❗ 、 事件があり、
CBSニュースで、四半世紀前に、
報道していた。

http://military38.com/archives/37981731.html @ 弱腰の日本とは、違って、
羨ましいな :

@ 伝統的に、ベトナム、と、中国とは、 潜在敵国同士だ。


@ アオザイの前には、 どんな、
服をきてたの?。 漢服みたいな、
物とは、 聞いてるが、 絵がないと、
想堵が湧かない。 :

@ ベトナム中央高原における、
ゴングの文化的空間。
中央高原の少数民族の動向も、面白い :

@ 中央高原は、 歴代王朝も、 余り、
本格的な統治をしてないから、
何かあると、震源地になり易い。
西山党みたいに :

@ フランスで知り合った、 高齢の、
女性の家に招かれた時に、
「 ベトナムで、父が、 日本人の、
友達にもらったの 」 、と、
見せてくれた物が、カーキ色の、
絨毯だった。 「 友達なんですか..? 」、 と、 聞いたら、 「 ..捕虜だったの、
日本軍の 」、 「 〜があって、
日本軍がいなくなったので、 記念に、
父が担いで持って帰ってきたのが、
本当 」 、と言ってて。 :

@ 日本とフランスが戦ったのは、
1945年の明号作戦じゃないの?
仏印進駐
≒ フランス領のインドシナ地域、
への、 進駐行為 、は、 一部に、
小競り合いがあった、とは言っても、
全体としては、友好的で、
「 フランス人の捕虜 」、 は、
発生しなかった。 :

@ ホー・チミン氏は、
『 日本人の統治により、
5百万のベトナム人らが餓死した 』 、
と、デタラメな事をほざいている。

ベトナムは、 北朝鮮や中国と同じ、
一党独裁国家だ。
「 仏印 進駐 」 、 では、 日本は、
フランス軍と戦をしに行った訳じゃない。

同盟国のドイツを介して、
ヴィシー政権の、フランスに、
納得させた上で、仏印に進駐した。

ヴィシー・フランス政府も、
日本軍の通行と駐屯は、認めたが、
統治権だけは、 ずっと、
ヴィシー政府が握り続けていた。
この期間に、もし、ホー氏の言う様な、
餓死者が発生したとすれば、 それは、
完全に、 ヴィシー・フランス政府に、
統治責任がある。

ホーチミン氏の挙げている、
数字のその物が、 共産主義者に特有の、
誇大な嘘だ。 明号作戦で、
フランス人らを排除した後も、 日本は、
ベトナムを直接に統治などせず、
阮朝に、統治は任せていた。

従って、一度も、軍政を敷いていない、
日本には、一切に、統治責任が、無い。

ベトナム共産党の正統性を主張する、
為には、是が非でも、日本軍が、
悪役じゃないと、ならない訳だ❗。

@ 明号作戦の時にも、 フランス軍には、 ベトナム人の兵が結構と、いたみたいで、
このフランス軍自体が、将校連中は、
フランス人だが、後は、外人部隊と、
ベトナム人兵士、という認識で、いい? :

@ 全部が全部じゃないとしてもね。
インドシナを支配していた、
フランス植民地政府も、本国が、
ナチス・ドイツに征服されたり、
ヴィシー政権のフランスになったり、
ドイツに征服されたり、
連合軍の自由フランスになったり、
本国の事情が全く判らない状態でした。

当然に、 本国からの、軍や、
軍需物資の輸送も、無かったでしょう。
フランスは、第一次大戦で、
多くの若者が亡くなり、人口不足だった、
事もあり、 フランス外人部隊もあり、
現地人部隊も、多く、
存在していたのでしょう :

@ フランス人は、連合軍側だ、
と、 思われがちだが、 戦中の日本では、
1945年3月の明号作戦までは、
フランスは、 友好国扱いでした。

ヴィシー・フランスの人扱いされていた。 当然に、 捕虜とか抑留とかの、
憂き目に遭ったのも、末期の、
3月からです。
粗略な扱いも受けませんでした。
軽井沢の別荘地に、
逼塞を命じられた位です。
:
@ 綺麗な布団だった。 まだ、
新品の様だった。 彼女の、
お父様が使っていた物だが、
「 扱いは、悪くないなあ… 」 、
と思った。 言わなかったがw 。
フランスが複雑で、それもあって、
脱線しまくりでしたw :

@ 伊藤正子さん著: 『 エスニシティ
「 創生 」、と、 国民国家ベトナム 
中越国境地域タイー族・ヌン族の近代 』、 興味深い :

@ こないだ、ベトナム展へ行ってきたが、 実に良かった。 服飾や小物の造形に、
文化的な豊かさを感じたよ。


☆ ガン細胞たちは、 ブドウ糖だけ、 を、
唯一の、主な、栄養分としてあり、
糖質を制限する事を含む、
ビタミン・ケトン療法は、
ガン細胞たちを兵糧攻めにする事でも、
ガン、の、あり得る度合を減らす事になる。

Cancer cells are only glucose,
only, as main, nutrients,
including limiting carbohydrates, vitamin / ketone therapy
can also be used to starve cancer cells ,
It will reduce the possibility.

タンパク質たち、と、 ビタミンら、に、
ミネラルら、 を、 完全以上に、
飲み食いなどして、 摂取し続ける、 事が、 一部の人々を除いた、
ほとんどの人々の健康性を成し続ける、
代謝ら、を、
完全以上に、 成し続ける事に、 必要であり、
これら、を、 より、 欠いてしまう事は、
万病を引き起こす、 可能的な度合ら、を、
より、 余計に、 成す事を意味する。

☆ いずれにせよ、
日本人たちは、 より早くに、
日本人たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、
公共事業らを成す事により、

日本の、 財務省の役人ら、と、
与野党の、 主な政治家らとが、

英米のカネ貸しらの主張する事らを、
そのまま、自らもまた、
オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、

日本政府の財政における 、 緊縮 、
を、 繰り返し、 成す事を通して、

彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としてある、日本人たちへ、
物価だけではなく、
その労働らへの賃金らの水準へも、
より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、
押し付け続けて来てある、

その、 デフレ不況性 、を、
解消し去ってゆく、 と共に、
日本人たちの防衛性の度合いを、
飛躍的にも高めてゆくべき、
ぎりぎりの状況にも、 ある 。

地上を襲い、 地上をおおい得る、
あり得る、 災害らへ対して、

地上に、 避難所らや、
避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、
それらへ誘導する事は、

人食い虎どもの住む、 密林へ、
わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
行為であり、

日本の主権者としてある、
日本人たちの一般 、へ対して、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
行為なり、 態度なり、 であり、

日本人たちの一般の、 あり得る、
福利ら、を、 より、 能くも、
最大限にも、 成す事を、 約束して、
日本の社会に、 存在し、 存続する事を、
日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、

それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、
不作為型の、 行為なり、 態度なり、
であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い。

自分でも、気付かない内に、 成ってある、 脳梗塞ら、の存在を知る方法 ❗

2019-08-06 16:50:26 | 政治・経済
212年: カラカラ帝がローマ夢を消す❗ :
鉄槌床戦術: 挟み撃ちを携帯化した戦い方 48
2016/ 4/26 14:45:25 ;

根途記事➕論評群 http://www.worldtimes.co.jp/col/siten2/kp111018.html : : 『 ジャップらを、 TPP 、
で、 罠に、はめてやるんですね❗ 』、
と、 アメリカ、や、 イギリス、
と、 カナダ 、 が、 共同で、
成してある、 根途へのスパイ網からの、
情報らをもらい得てある、
ニュージーランドの毛唐な、政治家が、
発言してある、 事が、
ウィキリークス 、により、
暴露されてある ❗ 。

☆ 菊池洋に:
遺族へ、カルテを出す様に促す宛 09036496959 菊池医院 0192211620 通報宛先 ttp://www.jinji.go.jp/rinri/ ;

212の勅令で、 セウェルス朝の、
第2代の皇帝らの1人の、 カラカラ帝が、
ローマの属領民らの全員へ、
ローマ市民権を与えたので、
ローマ帝国の社会で、
奴隷の立場に置かれた人々も含めて、
ローマ市民権の無い人々が、
ローマ市民権を自らに得る為に、
軍人に成る、 等して、 長年を、
ローマ社会の一般の人々の足しに成る、
方向性の事らを成すべく、努力し、
工夫する、という事が、
個々人の考え次第で、されたり、
されなかったりする、
規定性の物にされた分についても、
その事の成る、 可能的な度合が、
確実に減らされ、
自らの社会の一般の人々に対して、
ローマの社会の一員として、
その社会の人々の各々が、
面目を施すのに、便利な、
判り易い目安が無くされた事からも、
ローマの社会への、
人々の在り得る貢献性の度合は、
減る方向へ、圧力を掛けられる事に成った。

ローマ市民に成る為にすべき、
努力らと工夫ら、の、 在り得る、
全てが、 失われた、 事の、
その社会への負の効果は、甚だしい❗ 。 :

@ ギリシアでは、 お金に当たる何彼で、
物や便致 ビンチ
≒ サービス 、らを、 数値化され、
定量化された、 評価の宛 アテ
≒ 対象 、に、
人々がする、 社会状況
≒ 貨幣経済 、
が始まると、 市民ら
≒ 都市国家員ら 、の中でも、
農地を多く持つ富豪らと、
土地を失った、 無産市民ら、
に分かれる等して、
共同体が崩壊する危機が起き、 海外へ、
無産の市員らを追い出して、
都市国家らを作らせる、 殖民を成して、
新天地で、 土地を得られる様にして、
崩壊を防いでいたが、
ギリシアでは、 殖民した都市国家らは、
母体の都市国家らから独立していた。

ローマでも、 貧富の差から、
共同体が崩壊し始め、 殖民したが、
ローマでは、殖民都市国家らも、
ローマの一員として暮らし、 征服して、
支配下に置いた民族らも、
領土が広がるにつれて、ローマ市民にした。

新たに、ローマ員になった人らは、 更に、
外の民族らを征服して、支配下に置いた。

市民権を持つ者らは、農地らを持ち、
奴隷や 同盟者を支配下に置いていたが、
市民らには、国防の義務があり、
戦時には、兵になる義務があった。

カラカラ帝の時には、既に、
兵に成る義務は、 無かったが、
帝国内の全員へ、 市民権を与えたら、
市民による支配と被支配の構造が、
法的に消えた❗ 。

@ ふ・い・に、 212年、 に、
ローマ市民権を得る為に、
人々が成すであろう、 可能的な、
努力らと工夫らとが、
日の目を見得ない状況に成り、
それらが、 実現され得なく成った分と、
それらが現前し得た場合に、
それらを踏まえて、人々が成し得た、
事らにおいて、
ローマ社会の一般の人々の、
福利らを成し得た度合らとが、
成され得ない物らに成った分、
この勅令の内容な事が実現される事が、
無ければ、 ローマ社会の一般の人々が、
得られる筈であった、 福利らが、
ローマ社会の一般の人々から、
未然に、失われ、 ふいに、成った、 事も、
セウェルス朝の、 第2代の、
カラカラ帝の勅令の効果だ❗ 。

@ 日本では、 イエス師が生まれてから、
半世紀以上を経ていた、 西歴の紀元の後の、 57年⇒ こんな、 57 、に、
金印がほしかった、 と、
日本のある地域の王様が、
後漢帝国を建てて、 劉氏を皇族とする、
漢王朝を再興した、光武帝から、
黄金の判子を貰い。

239年⇒ 卑弥呼女王の文来 フミク
239 、る、 三国志の時代の、 魏の都。

西ローマ帝国が滅んだ、 2年後の、
478年⇒ 倭王の武さんによる、
朝鮮への経営が、 至難 47 の業で、
泣き面に蜂 8 。 :

538年⇒ 百済の仏にご参拝 538 。

593年⇒ 国民 593 ん、は、歓迎、
聖徳太子が摂政に。 :

603年⇒ 禄は、授 603 ずけるから、 豪族らも、受け入れろ、 冠位十二階 。 :

604年⇒ 群れよ 604 、 和を成し、
十七条の憲法。
:
607年⇒ 群れ、を、ナ 607 して、
楊氏が、皇族な、隋帝国へいく、 妹子氏ら。 :
645年⇒ 蒸し米 ムシゴ 645 、
メで祝う、 大化の改新 ❗ 。 :

663年⇒ 禄、 武者 663 、
らの多くを亡くして、 唐帝国と戦った、
『 白村江の戦い 』 。

672年⇒ 無駄に、672 、
天智帝への世継ぎを殺す、 天武帝が成した、
壬申の乱 ❗ 。

701年: 名は、一番 701 、に好い、
『 大宝 律令 』❗。

710年: 南都、立派な平城京。
:
720年⇒ 難波 720 、 に伝わる、
日本書紀 。 :

名に、3 、 代目も出る、
723年⇒ 大和朝廷は、 新たに、
田畑を開いた主の、 三代目にまで、
その開墾した土地への使用権を認める、
とした、 『 三世一身法 』 。 :

724年⇒ 仏教を、何よ 724 り、
尊ぶ、 『 聖武 天皇 』 。
:
@ いくさ 193 、 に始まる、
セウェルス朝: 193年 - 235年 、
は、 セプティミウス・セウェルス帝、から、 カラカラ帝とゲタ帝を経て、 断絶され、
ヘリオガバルス帝、から、
アレクサンデル・セウェルス帝へ至る、
5名の皇帝らによる治世を指す。

途中で、マクリヌス氏による、
帝位への簒奪を経ており、
それを含む場合もある。

カラカラ帝が、 立ち小便をしている所を、
兵に暗殺され、 セウェルス朝は断絶し、
その政治的空白の時に台頭したのが、
カラカラへの側近の、マクリヌス氏で、
帝位を元老院に承認させた上で、
自らの子息を共同皇帝にするなどして、
新しい王朝の成立を画策した。

それに対して、 セウェルス帝への妻の、
ユリア・ドムナ妃の生家で、
セウェルス朝の外戚として、
権威を得ていた、 バッシアヌス家側が、
ドムナ妃の姪で、 妃の姉のマエサ女史の、
娘である人が産んだ、息子である、
ヘリオガバルス氏
≒ カラカラから観て、
自分の伯母の孫 、を、頭目として、
反乱軍を組織した。

女系で、傍系の血筋だけでは、
不十分と考えた、 マエサ女史は、
ヘリオガバルス氏が、
カラカラ帝の落胤である、 とも主張して、
軍や貴族らの支持を纏め上げた。

マクリヌス氏は、
ヘリオガバルス派の軍勢に敗れた後に、
息子と共に、 処刑された。

ヘリオガバルス帝 :
ウァリウス・アウィトゥス・バッシアヌス氏は、 元老院議員な、父の、 マルケルス氏と、
母の、ユリア・ソエミアス女史の子として、 203年に、 今は、
英米の主導者らのせいで、人々が殺され、
犯されている、 シリア、の、 エメサ
≒ 今の、 ホムス 、で生まれた。

父は、騎士階級の出で、 母方の祖母の、
ユリア・マエサ女史は、 城砦都市である、
エメサの大祭司である、
ユリウス・バッシアヌス氏の娘だった。

その、母方の祖母は、
セウェルス帝への妻な、ユリア・ドムナ妃、
への、 姉でもあり、 彼の母の、
ユリア・ソエミアス女史は、
セウェルス帝の嫡男な、 カラカラ帝とは、
従姉弟同士の関係にあり、
皇族の一員であった。

幼少期の、 アウィトゥス氏は、
母方の一族の生業である、
神官として養育された、と、みられている。

史書によっては、 母方は、
シリアの王家の係累なのだ、
ともいう。 :

「 ヘリオガバルス 」 、 とは、
今のホムスである、 シリアの、
エメス、の人々において、
古くから崇拝されていた太陽神の、
エル・ガバル El-Gabal ;
山の神、を意味する 、 のだ、 という。

少年は、 長じて、 太陽神の、
ヘリオガバルス
≒ エル・ガバル 、への司祭を務め、
後に、その名を、そのまま、
自分への通称とした。

皇帝となる少年な、 ヘリオガバルスは、
美貌に恵まれていた。
カラカラ帝が、 共同統治者で、
弟の、 ゲタ帝と、その一派の、
2万人以上を殺す、 等して、
元老院の議員である、 元老らにおける、
信望を失い、 217年の4月8日に、
今のイラク、 などが、
2つの大河らに挟まれてある地域であり、
そうした状況の存在を意味する、
メソポタミア、の、
ハッラーンで暗殺されると、
カラカラには、子が無かったので、
新しい皇帝には、
軍事政変への首謀者であった、 近衛隊長の、 マルクス・オペッリウス・マクリヌス氏が、
即位した。
マクリヌス氏族の、 オペッリウス家の、
マルクス、という、
個人が在る事を意味する、名だ。

マクリヌス帝は、 その子息の、
ディアドゥメニアヌス氏と、 共同で、
統治したが、 東の大国の、
パルティア帝国に敗れて、
屈辱的な講和を結んだ事で、
軍からの信頼を失い、
ローマ帝国の属州のシリアに幽閉されていた、 カラカラ帝の母方の一族の、マエサ女史は、 軍人らに人気のあった、
カラカラ帝の威光を利用し、
セウェルス家の富を駆使して、
ローマの第3軍団の、 「 ガッリカ 」、
の、 兵らや将軍を買収して、
自陣営の戦力を調達した。

218年の5月16日の夜に、
少年の一行は、 エメサに駐屯する、
ローマの軍団に潜入し、 それに対して、
軍団の指揮官の、
ヴァレリウス・エウティキアヌス将軍は、
アウィトゥス少年への忠誠を正式に宣言した。

@ 自分でも、 気付かない内に、
成り立ってある、 脳梗塞らを知る方法❗;

テレビ番組の、 たけし氏の、
家庭の医学:

片手を顔の前へ、 突き出し、
天を指す様に、その親指を立て、
目を瞑ってから、
その手先を上下に揺らし、
目をつむったままの状態で、
別の片手で、
その立てた親指をつかむ事が、
すんなりと、 出来ない場合には、
脳梗塞が、すでに、微小な範囲で、
成っているので、 至急に、
検査して貰える様に、病院へ行く事❗ 。
:
・・挙兵に際して、 ヘリオガバルス少年は、
「 ウァリウス・アウィトゥス
・バッシアヌス 」、という、従来の名を、
カラカラ帝の本名になぞらえて、
「 マルクス・アウレリウス
・アントニヌス 」、 と、 改めた。 :

ヘリオガバルス氏らの反乱を知った、
マクリヌス帝は、 直ちに、
遠征軍を派遣したが、 その中で、
軍団兵による内乱が発生した。

指揮官が殺され、 兵らは、
指揮官の首を、 ローマへ送り、
ヘリオガバルス氏の軍勢に合流し、
身をもって、 オリエントの州らの兵らは、
ヘリオガバルス氏を支持した。 :

軍の反乱を前にして、 マクリヌス帝は、
ヘリオガバルス氏を、
「 偽のアントニヌス 」、と、呼び、
反乱は、狂った神官による暴挙だ、
と、 記した手紙を、
ローマの元老院に書き送った。

マクリヌス帝は、 貨幣の銀の含有率を高め、 同一の金額での、お金の、
買い物をできる力を高めて、
物価の高まり振りを抑え始めており、
パルティア帝国と、屈辱的な講和を成した、
事、 と、
軍事費を減らす観測が成されていた、
事とが、 軍人ら、 等の、
憤りを喚起していただけで、
内政を上手く成していた上に、
元老らに丁重に接し、 彼らと、
能 ヨ く、 相談する体 テイ 、
を成していたらしく、 元老院は、
マクリヌス帝の言い分を認めて、
軍の意向とは、 異なり、
ヘリオガバルス氏を、僭称帝 、とする、
決議を成した。
元老院の支持を得た、マクリヌス帝は、
自ら、軍を率いて、
アンティオキアの戦いで、
反乱軍と激突したが、 自派の軍内で、
マエサ女史に買収された、第2軍団の、
「 パルティカ 」 、 等が、
大規模な反乱を起こした事で、 敗れた。

彼は、 伝令兵に扮して、
体勢を立て直すべく、
イタリア半島へと逃れようとしたが、
道中のカッパドキアで殺され、
彼の子の、 ディアドゥメニアヌス氏も、
別の土地で、 追っ手に殺された。

三橋貴明氏❗; アメリカと中国らの幹部らへの実態的な代理員らが牛耳る、日本❗

2019-08-06 16:04:35 | 政治・経済
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三橋TV第120回【恐怖のグラフが教えてくれる日本の希望】

https://youtu.be/LOEvzSAuojs

 チャンネル桜「Front Japan 桜」に出演しました。

1/2【Front Japan 桜】英国ブレグジットとユーロの呪縛 / 朝鮮国連軍と日本の役割[桜R1/8/5]
2/2【Front Japan 桜・映画】『カメ止め!』監督最新作は、いったい何を批判しているのか?~映画『イソップの思うツボ』[桜R1/8/5]

 昨日のブログでも取り上げ、昨日の桜の冒頭でも解説していますが、現在の日本経済は、

1. 10月の消費税増税
2. 2020年五輪不況
3. 米中覇権戦争による外需縮小

 という、大きいものい限っても三つのリスクに直面しています。上記の他にも、残業規制による所得縮小の悪影響がジワジワと表面化するでしょう。ブレグジットもあります。

 加えて、移民受入ですから、実質賃金は10月以降に一気に下がり(今年はすでに五か月連続減少ですが)、国民貧困化により政治が動く局面に至ると予想しています。

 昨日から今朝にかけ、「3」の米中問題が一気に動きました。

 中国共産党は、固定相場制ではないのですが、人民元の対ドル相場を状況に合わせてコントロールする「管理フロート制」を採用しています。つまりは、元々が為替操作国でした。

 というわけで、過去十年間の日本円、人民元、ユーロの対ドル為替レートを比較してみましょう(久々にstooq.comに行った・・・)。

【日本円、人民元、ユーロの対ドル為替レートの推移】

http://mtdata.jp/data_65.html#CNY

 日本円やユーロが、50%くらいのレンジで動いているにも関わらず、人民元は15%以内。

 しかも、中国共産党は14年のデフレ化以降、為替レートを人民元安に持っていき、17年の資本流出期には人民元高に一気に持っていくなど、明らかに「調整」をしているのが分かります。

 そして、米中覇権戦争の時代に入り、アメリカが対中輸入に関税を掛けました。トランプ米大統領は8月1日、中国からの輸入品ほぼ全てに制裁関税を広げる「第4弾」を9月に発動すると表明しました。

 というわけで、明らかに共産党は、
「関税による中国製品価格上昇を吸収する」
 ことを目的に、為替レートを人民元安に調整してきたのです。

 昨日、中国人民銀行はじんみん毛ンの為替レートが約10年ぶりに、1ドル=7元台に下落したことを発表し、理由について、
「アメリカが中国製品に対して新たな関税を課す方針を示したことが影響した」
 との認識を示しました。

 露骨でございます。要するに、アメリカの関税引き上げに合わせて、為替レートを切り下げたと宣言したわけです。
 結果・・・。

【歴史音声コンテンツ 経世史論 始動!】

http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
※8月15日まで、中野剛志氏との特別対談コンテンツ【歴史とナショナリズム】をご視聴頂けます。是非、ご入会下さい。

『米、中国を為替操作国に指定
 米財務省は5日、中国を「為替操作国」に指定したと発表した。操作国への認定はクリントン政権以来で、相手国が対応を改めなければ関税の発動など制裁を強化する規定がある。中国が反発するのは必至で、米中対立が一段と激しくなる。
 トランプ米大統領は5日、中国の通貨・人民元の対ドル相場が1ドル=7元台に下落したことに関連し「中国が通貨をほぼ史上最低の水準まで下落させた。為替操作だ」とツイッターで中国政府を批判していた。 』

 さすがに、
「ザマアwww トランプが中国共産党を崩壊させるwww」
 などと、属国感情丸出しの反応を見せる人は、本ブログの読者にはいないでしょう。

 米中覇権戦争が本格化したことを受け、我が国は早期に「内需拡大」に転じなければなりません。

 昨日も書きましたが、財務省は2025年のPB黒字化目標達成に際し、輸出が06年並に拡大し続けることを前提にしているのです。今回のアメリカの認定により、財務省の想定は完全に崩れました。 

 外需が冷え込むことが明らかな状況で、それでも予定通りPB黒字化を目指すとなると、まさに、
「国民赤字化目標」
 になってしまいます。

 今らでも遅くありません。消費税増税を(せめて)凍結しましょう。さもなければ、リーマンショックならぬ「アベショック」が日本経済に襲いかかることになるのが確実なのです。
 
「安倍政権は消費税増税を凍結せよ!」に、ご賛同下さる方は、
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☆ ガン細胞たちは、 ブドウ糖だけ、 を、
唯一の、主な、栄養分としてあり、
糖質を制限する事を含む、
ビタミン・ケトン療法は、
ガン細胞たちを兵糧攻めにする事でも、
ガン、の、あり得る度合を減らす事になる。

Cancer cells are only glucose,
only, as main, nutrients,
including limiting carbohydrates, vitamin / ketone therapy
can also be used to starve cancer cells ,
It will reduce the possibility.

タンパク質たち、と、 ビタミンら、に、
ミネラルら、 を、 完全以上に、
飲み食いなどして、 摂取し続ける、 事が、 一部の人々を除いた、
ほとんどの人々の健康性を成し続ける、
代謝ら、を、
完全以上に、 成し続ける事に、 必要であり、
これら、を、 より、 欠いてしまう事は、
万病を引き起こす、 可能的な度合ら、を、
より、 余計に、 成す事を意味する。

☆ いずれにせよ、
日本人たちは、 より早くに、
日本人たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、
公共事業らを成す事により、

日本の、 財務省の役人ら、と、
与野党の、 主な政治家らとが、

英米のカネ貸しらの主張する事らを、
そのまま、自らもまた、
オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、

日本政府の財政における 、 緊縮 、
を、 繰り返し、 成す事を通して、

彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としてある、日本人たちへ、
物価だけではなく、
その労働らへの賃金らの水準へも、
より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、
押し付け続けて来てある、

その、 デフレ不況性 、を、
解消し去ってゆく、 と共に、
日本人たちの防衛性の度合いを、
飛躍的にも高めてゆくべき、
ぎりぎりの状況にも、 ある 。

地上を襲い、 地上をおおい得る、
あり得る、 災害らへ対して、

地上に、 避難所らや、
避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、
それらへ誘導する事は、

人食い虎どもの住む、 密林へ、
わざわざ、 人々を誘導する事に類する、
行為であり、

日本の主権者としてある、
日本人たちの一般 、へ対して、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
行為なり、 態度なり、 であり、

日本人たちの一般の、 あり得る、
福利ら、を、 より、 能くも、
最大限にも、 成す事を、 約束して、
日本の社会に、 存在し、 存続する事を、
日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、

それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、
不作為型の、 行為なり、 態度なり、
であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い。