瑞原唯子のひとりごと

「機械仕掛けのカンパネラ」第4話 立ちはだかる悪魔



「おじさん、この住所に行って」
 七海はタクシーに乗り込むなり、住所の書かれたメモを運転手に差し出してそう告げた。中年の運転手はメモに目を落としたあと、どこか心配そうな面持ちでちらりと振り向く。
「ボク、ひとりかい?」
「お金なら持ってるよ」
 七海がそう答えると、運転手はバツが悪そうに苦笑して車を走らせ始めた。

 めったに見られない車窓からの景色が面白くて、窓にかぶりついてひたすら眺めているうちに、目的の場所についた。思ったよりも時間が掛からなかった気がする。七海の住んでいるところとは別の区だったが、そう遠くなかったのかもしれない。
「ありがと、おじさん」
 運転手に告げられた料金を支払い、タクシーを降りる。
 正面には七海の背丈よりはるかに高い門が立ちはだかっていた。門柱には橘と表札が掛かっているので間違いない。門の向こうには手入れされた立派な木々と白亜の洋館が見える。まるでイギリスやフランスの貴族が住んでそうな屋敷だ。
 表札の下にインターホンらしきものがあったのでボタンを押してみた。だが、屋敷が遠くてチャイムが鳴っているのかよくわからない。聞こえてるのかなぁ、と思いながら連打していると、ほどなくして男性の声で応答があった。
『はい』
「橘会長っていうテレビに出てたおじさんいる?」
『失礼ですが、お約束はございますでしょうか』
「約束? そんなのしてないけど」
『会長はお約束がなければお会いになりません』
「じゃあ、誘拐された澪っていうお嬢様でいいよ」
『申し訳ありませんがお引き取りください』
「あ、ちょっと!」
 プツッと応答が切れた。
 それから何十回とインターホンを連打したが反応はない。
「もうっ!」
 インターホンの応答内容から橘会長の家であることは間違いないようだ。拓海の手帳を盗み見までしてようやくここまでたどり着いたというのに、門前払いでノコノコ帰るわけにはいかない。
 こうなれば、もう強行突破しかないだろう。
 自分の身長より高い鉄製の門を掴んでよじ登り始める。何度か失敗したあと、身軽さを活かしてどうにか上までたどり着いた。安堵の息をつき、向こう側に飛び降りようとしたそのとき。
「ひゃっ!」
 柵の細いところに掛けていた足を滑らせ、意図せず向こう側に落ちた。かぶっていたキャップもはずみで地面に落ちる。
「いったぁ……」
 とっさに庇ったおかげで頭は打たなかったが、背中を打ちつけてしまった。顔をしかめながら手で押さえて呻いていると――あっというまにスーツを着た大人の男たちに取り囲まれた。

「これほどけよ! ほどけったら!!」
 七海は後ろで手首を縛られ、足首も縛られ、屋敷の一室に芋虫のように転がされた。幸い絨毯が敷かれているのでさほど痛くないが、そういう問題ではない。じたばたしながらありったけの声を張り上げて喚き立てる。
 しかし、七海を縛り上げた初老の執事は何の反応も示さない。代わりに隅で腕組みしながら眺めていた若い男が近づいてきた。その顔立ちは例の誘拐されたお嬢様と驚くほどよく似ている。年頃も同じくらいに見えるのできょうだいかもしれない。
 彼は七海の前でしゃがみ、寸分の隙もない探るようなまなざしでじっと見下ろす。下手なことを言えば取り返しのつかないことになる。七海はぞくりと背筋が冷たくなるのを感じながら直感的にそう思った。
「君の名前は?」
「…………」
「学校はどこ?」
「…………」
「親の連絡先」
「…………」
 どれも答えてはいけない質問だ。父親の敵と繋がりがあるかもしれない相手に、素性を知られるわけにはいかない。わずかに目をそらして唇を引き結び、無言を決め込んでいると、彼はわざとらしく大仰に溜息をついた。
「自分の名前も連絡先も言おうとしない、そのうえこんなものまで持ってるんじゃあ、いくら子供でも見過ごすわけにはいかないよねぇ」
 そう言いながらポケットから拳銃を取り出す。それは警備員に取り押さえられたときに奪われた七海のものだ。奪い返したいが、手足をきつく縛られたこの状況ではどうすることもできない。くやしくてありったけの怒りをこめて睨みつける。
「返せよ、泥棒!」
 そう噛みつくが、何がおかしいのか彼はクスッと笑った。
「確かに、僕は泥棒だけどね」
「開き直ってないで返せよ」
「銃刀法違反って知ってる?」
「…………」
 七海は眉を寄せた。許可なく銃を持つことは法律に違反するから、誰にも見つからないようにしろと、幼いころから拓海に言い聞かされてきた。だからブルゾンの下のホルスターにおさめて見えないようにしていたのに――。
 痺れを切らしたのか、彼は脇に控えている執事に振り向いて声を掛ける。
「ねえ、櫻井さん。警察の電話番号ってわかる?」
「今回は緊急事態ですし、110番でよろしいかと」
「ああ、なるほどね」
 いつのまに用意したのか執事がすっと電話の子機を差し出すと、彼は当然のように受け取り、すこしもためらうことなく片手でボタンを押し始める。
「待って!!」
 彼の手が止まった。七海は全身から汗が噴き出すのを感じながら、これ以上ないほど必死に頭をめぐらせて言い訳を探す。
「あ……えっと……それ、おもちゃだよ?」
「へえ、そうなんだ」
 彼はまじまじと拳銃を眺める。反対の手に持っていた電話の子機は執事に返していたので、もう警察に連絡する気はないのだろう。どうにかごまかせたとひそかに安堵したが――。
「最近のおもちゃってすごいね。安全装置までついてるんだ」
 そんなことを言いながら彼は安全装置を外している。パッと見てわかるものでもないのにどうして。唖然としていると、七海の眉間に冷たい銃口がグリッと突きつけられた。その感触に一瞬で背筋が凍りつく。
「引き金を引くとどうなるんだろう。火薬の空砲? それともBB弾?」
 彼の人差し指に力がこもる。
 七海はヒッと息を飲んだ。
「やめてそれ本物っ!!!」
 絹を裂くような叫び声を上げて顔をそむけ、ギュッと目をつぶり、歯を食いしばり、全身に力を入れてこわばらせる。が、いつまでたっても何も起こらない。おそるおそる瞼を震わせながら薄目を開けていく。
 彼はもう七海に銃口を向けていなかった。しかし拳銃はしっかりと握ったままだ。それを七海の目の前でちらつかせて尋ねる。
「これ、どこで手に入れたの?」
「……さっき道ばたで拾った」
 さすがに無理のある答えだと自分でも思った。きっちりホルスターまで装着しているのに、拾ったなどと言っても誰も信じはしないだろう。また拳銃を突きつけられるのではとビクビクしながら、彼の反応を窺う。
「僕、スパイ映画とか結構好きなんだよね」
「…………?」
「一度やってみたかったんだ、手荒な尋問」
 彼はそう言うと、わけがわからず眉をひそめている七海を見ながら、形のいい唇にうっすらと不敵な笑みを浮かべた。

「やっ……も、やめ、て……あ……ひっ、っ、っ、うはははははははっ!」
 七海は息もたえだえに絨毯敷きの床をのたうちまわっていた。彼は膝立ちで跨がり、脇腹や腰など容赦なく次から次へとくすぐってくる。手足が縛られているので逃げることも防ぐこともできない。
「正直に答えないかぎり、やめないよ」
「答える! ちゃんと答えるから!!」
 自分がくすぐりに弱いなんて今の今まで知らなかった。それなりに我慢強い方だと自負していたが、これ以上は耐えられない。冗談抜きで気が狂う。下手をすれば死んでしまうかもしれない。
 やっとくすぐる手が止まった。
 七海は脱力してくたりとなったまま呼吸を整える。だが、いつまでたっても彼が七海の上からどく気配はない。そろりと目を向けると、彼は跨がったまま手をついてこちらに身を乗り出し、組み敷くような体勢でじっと覗き込んできた。目に掛かっていた七海の前髪をそっと指先で流しながら、唇に微笑をのせて言う。
「正直に答えるなら、警察には特別に黙っててあげる」
 七海は息を詰めて真上の彼を見つめたまま、こくりと頷く。
「まず名前を教えて」
「七海」
「フルネームだよ」
「……坂崎七海」
 もはや七海には素直に答える以外の選択肢はない。くすぐられるわけにも警察沙汰になるわけにもいかないのだ。声にはありありと不満がにじんでしまったが、彼が気にする様子はない。
「あの拳銃はどこで手に入れたわけ?」
「うちの射撃場から持ってきた」
「家が射撃場を経営してるってこと?」
「そうじゃなくて専用の射撃場」
 その答えを聞くなり彼は怪訝に眉をひそめた。すこしのあいだ無言で何か考え込んでいたが、やがて気を取り直したように質問を続ける。
「ここへ来た目的は?」
「三億円の懸賞金をかけてた誘拐犯、あいつの居どころを教えてもらおうと思ったんだ。ここしか手がかりがなかったし……ねえ、あんたでも誰でもいいから知ってるなら教えてよ」
 散々な目に遭ったのだから、せめて当初の目的を果たさないと割に合わない。こうなったらなりふり構わず食らいつこうと決める。
 彼はほとんど表情を動かさないまま、眼光を鋭くした。
「その人とどういう関係?」
「あいつが僕のお父さ……」
 そこまで言いかけてハッと口をつぐんだ。父親の敵だから殺したい――こんなことを言ったら、知っていても教えてもらえない可能性が高い。どうしようかと冷や汗をにじませながら思案し、そして。
「僕のお父さんかもしれないんだ!」
 どうにか取り繕ったが、全然似ていないのに無理があったかもしれない。彼もさすがに驚いたらしく目を大きくしていた。
「本当に?」
「うん」
 心を見透かすようなまなざしにドキドキしながら嘘をつく。
 彼は上半身を起こして立ち上がると、ジーンズのポケットから折りたたみ式の携帯電話を取り出し、親指で素早くいくつかのボタンを押してから耳に当てた。
「武蔵? ……うん、元気だよ」
 ほどなくして電話の向こうの誰かと話し始めた。
「何かさ、自分の父親は武蔵だって言ってる子供が来てるんだけど……わざわざ電話してまでそんなつまらないウソ言わないよ……それは前も聞いたし疑ってるわけじゃない……十歳くらいかな……うん、それは僕だってわかってる。でも100%ないとは言い切れないよね……じゃなくて」
 どうやら武蔵という電話の相手が誘拐犯らしい。
 やっとここまできた――七海はどくどくと鼓動が高鳴るのを感じた。痛いくらい胸が締めつけられて体中が熱くなる。けれど今はまだ悟られるわけにはいかない。必死に感情を抑制して何でもないふりをする。
 しかし聞かれたくないことがあるからか、彼は電話で話を続けながら部屋をあとにした。七海は床に転がされたまま置き去りにされたが、ひとりではなく櫻井という執事も残っている。下手なことをしないよう見張っているのだろう。
 しばらくして彼が戻ってきた。すでに通話を終えているらしく携帯電話は手にしていない。執事と小声ですこし話をしたあと、絨毯敷きの床に横たわる七海の前に再びしゃがんだ。
「いいよ、連れて行ってあげる」
「えっ……誘拐犯のところへ?」
「行きたくない?」
 困惑する七海に、彼は意味ありげな笑みを浮かべて挑発する。
 本当に連れて行ってくれるのであれば、願ったり叶ったりだ。ようやく父親の敵を取ることができるのだ。けれど――七海はどことなく不穏なものを感じて身構える。頭の中に警鐘が鳴り響くが、それでもせっかくの好機をふいにすることはできない。
「連れてって」
 覚悟を決めると、彼をまっすぐ睨むように見据えてそう答えた。




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