「無事か、創真」
翼は横たわった男にサバイバルナイフを突きつけたまま、ちらりと振り返った。大丈夫だと創真が答えると、安堵したようにほっと息をついていたが、すぐさま表情を引きしめて男のほうに向きなおる。
「動くなよ」
そう告げて、目出し帽をはぎ取った。
やはり見覚えはなかったようだ。急所を攻撃されて憔悴したのかぐったりとしていて生気がなく、鼻と口からは流血し、それが目出し帽でこすれてけっこう悲惨な見た目になっている。
翼はボディチェックをして武器類とともに手錠を没収し、それを男にかけた。さらにズボンをふくらはぎまで下ろして簡易的な足枷にする。裾はブーツの中に入っているので簡単には脱げないだろう。
一通り拘束を終えると、小さな棒状の鍵を手にして創真のほうにやってきた。いまだ一糸まとわぬ姿のままだが気にする様子もなく、ひそかにドキドキしている創真の背後にまわりこみ、手錠を外した。
「オレも何か手伝うよ」
「じゃあ、そいつを拘束してくれ」
「わかった」
翼から手錠を受け取り、傍らで気絶している男を転がして背中側で手錠をかけると、仰向けにしてズボンをふくらはぎまで下ろす。そしてボディチェックをして武器になりそうなものを没収した。
そのあいだに、翼は床に転がっていた男たちのスマートフォンを拾い集めていた。どちらも動画撮影中だったようだ。それを止めて、自動ロックがかからないようにスマートフォンの設定を変更する。
「持っていてくれ」
ふいに顔を上げたかと思うと、そう言いながら二台とも創真に手渡してきた。そして自由になった手で創真の襟をめくり、ナイフでつけられた首筋の傷を確認すると、うっすらと顔をしかめる。
「すまなかった、おまえまで巻き込んでしまって」
「翼のせいじゃない。オレが考えなしにあいつらに飛びかかったせいで、車に連れ込まれたんだ。助けるどころかむしろオレがいたせいで脅されて……オレのせいで……」
預かったスマートフォンを落とさないように気をつけながら、深くうつむく。自分の不甲斐なさがくやしくて静かに奥歯を食いしめていると——ぽん、と頭に優しく手を置かれた。
「いや、おまえの石頭のおかげで助かったよ」
顔を上げると、翼はやわらかく目を細めて笑みをたたえていた。
それが許されることなのかどうかはわからないけれど、その言葉で、その笑顔で、創真はほんのすこしだけ気持ちが楽になるのを感じた。
そのあと翼はようやく制服を身につけた。
埃だらけの床だったものの、制服や下着はコートのうえに重ねて落としていたため、さほど汚れていなかった。ただ、コートだけは簡単には落ちないくらい白くなっている。あとでクリーニングに出すしかないだろう。
「創真、スマホを」
「あ、ああ」
曖昧に視線をさまよわせていたところ、ふいに声をかけられて、あわてて預かっていたスマートフォンを渡しに行く。翼は一台だけ手に取ると、地図アプリを立ち上げて現在地を確認してから電話をかけた。
「翼だ。創真とともに見知らぬ男二人に拉致監禁されたが、男たちはもう制圧した……ああ、ふたりとも無事だが創真がすこし首を切られている……いや、頸動脈までは至っていないし、出血はもう止まりかけているから心配するな。手当ての用意をして迎えにきてくれ。場所は——」
さきほど調べた住所をよどみなく告げて、通話を切る。
「すぐに車で来てくれる。二十分くらいだ」
「よかった……」
話し方からすると、翼が電話した相手は家族ではなく使用人のようだ。そのほうが冷静に対応してもらえると思ったのかもしれない。両親にはきっと使用人のほうから報告が行くのだろう。
翼はスマートフォンを持ったまま流血した男のほうへ向かうと、躊躇なく革靴で股間を踏みつけた。グァ、と男はつぶれた声を上げて苦悶に顔をゆがめるが、上半身をよじるのが精一杯で逃れることはできない。
「目的は何だ」
「……金だ」
脂汗をにじませながら苦しげな声で答える。
それでもまだ翼のまなざしは冷たく凍てついていた。股間を踏んだままの足にもう一度グッと力をこめる。男は悲鳴を上げて涙目になった。
「洗いざらい吐け」
「……うぅ……や、闇サイトの掲示板に載っていた高額の依頼に飛びついた。成功報酬百万。西園寺の男装令嬢を陵辱して動画に撮ってこいって……相手とはメールでやりとりしただけで会ってないし、名前も知らん。報酬を取りっぱぐれても西園寺を脅せば金になると思った」
翼はすぐに男のスマートフォンでメールを確認する。
創真も横からそれを覗いた。確かに男の言ったとおりのやりとりが残っていた。動画と引き換えに報酬を受け取ることになっているようだ。その際には直接会うことで話がまとまっている。
「誰だ……?」
翼は眉をひそめてつぶやいた。
しかし、すぐに気を取り直したように返信画面を開き、悩む様子もなく本文を入力していく。例の動画が用意できた、今日中に取引したい——と。
「おい、そんな勝手なこと……」
おろおろする創真のことなど意にも介さず、さくっと送信する。
もちろん翼のことだから考えなしにやったわけではないと思うが、さすがに独断でここまでやってしまうのはまずいような気がして、創真は顔を曇らせた。
数分後、首謀者から了解との返事が届いた。
本日二十一時に宮前公園で——取引場所として指定されたのは、創真たちの通う桐山学園からそう遠くないところにある児童公園だった。ご丁寧に地図まで添付してあるので間違いない。
「敵は近くにいそうだな」
ニッと挑みかけるように口元を上げる翼を見て、創真も頷く。
こうなると翼と面識のある人物という可能性が高くなる。何となく西園寺グループを陥れるための犯行だと思っていたが、そうではないのかもしれない。嫌な予感にじわりと汗がにじむのを感じた。
「翼さま、翼さまっ?!」
部屋の外から男性の必死な声が聞こえてきた。
壁にもたれながら拘束した男たちを見張っていた翼は、すぐさまはじかれたように駆け出し、開いたままになっていた出入り口から廊下に顔を出す。
「こっちだ!」
大きく手を上げると、まもなくあわただしい足音とともに使用人たちが入ってきた。男性二人と女性一人は黒いスーツだが、残りの男性四人はそれぞれ私服らしきカジュアルな格好をしている。
「翼さま、ご無事ですか」
「そう言っただろう」
翼が軽く肩をすくめると、張りつめていた使用人たちに安堵の色が広がった。
そのうちのひとり、大きめの鞄を肩から提げている黒いスーツの男性が、すこし離れたところから見ていた創真に気付くと、すすっと歩み寄ってきた。
「傷を拝見します」
「あ、はい」
男性はそっと襟をめくって傷を見分する。
一方、ほかの使用人たちは翼を守るように立ちながら、みっともない姿で転がされている男たちに注目していた。ひとりは気を失い、もうひとりは血で汚れた虚ろな顔でぐったりとしている。
「この男たちが犯人ですね」
「そうだ、首謀者はほかにいるようだが」
「話を聞かせていただけますか」
「ああ」
翼は男たちのスマートフォンを証拠品だと言って手渡してから、これまでのことを説明し始める。まるで他人事のように——。
「傷を手当てしますので、こちらへ」
聞き耳を立てていると、傷の見分を終えたスーツの男性に小声で促された。翼たちのほうが気になっていたものの、あまりわがままを言える立場でもないので、こくりと頷いて従う。
連れてこられたのは、同じ階にある給湯室のようなところだった。
そこで指示されるまま上半身の衣服を脱いでシンクに前屈みになると、ペットボトルの水を何本も使って念入りに傷口を洗浄されて、大きな白い絆創膏が貼られた。途中、何度か痛みにうめいてしまったが彼が気にした様子はない。
「応急処置ですので、早めに病院で診てもらってください」
「ありがとうございました」
そう言って一礼し、寒さに震えながらそそくさと衣服に手を伸ばしたが。
またこれを着るのか——。
派手に血で染まったシャツを目にしてひそかに嘆息する。それでもこれしかないのだから仕方がない。せめて外から見えないようにとダッフルコートの前をすべて閉じた。
部屋に戻ると、翼を含めて三人だけになっていた。
実行犯もいないので、彼らをしかるべきところへ連行していったのかもしれない。残っているスーツの男性と女性は、どういうわけかそろって困惑したような顔をして翼を見ていた。
「お気持ちはわかりますが……」
「上手くいったんだからいいだろう」
「あまり先走られては困ります」
おそらくなりすましメールで首謀者と会う約束を取り付けた件だ。
やはりというか翼にはまったく反省の色が見られなかった。立場上、男性はあまり厳しいことを言えないのだろう。物言いたげな顔をしつつもあきらめたように溜息をつく。
「首謀者は我々が捕まえます」
「僕も行く。この目で確かめたい」
「……見るだけにしてください」
「わかっているさ」
そこまで聞いて、創真は居ても立ってもいられず彼らのほうへ駆け出した。スーツの男性が振り向くとぺこりと頭を下げて直訴する。
「自分も連れて行ってもらえませんか?」
「では、翼さまが暴走なさらないよう見張っていてください」
「え……あ、はい……」
戸惑いつつも、つい流されるように了承の返事をしてしまった。
案の定、翼はいかにも面白くなさそうに口をとがらせている。創真がえらそうに翼を見張るなんて言うのだから無理もない。それでも使用人の手前だからか文句を言うことはなかった。
「翼っ!!!」
西園寺邸に到着して玄関を開けると、邸宅内から東條が駆けてきて力いっぱい翼を抱きしめた。創真は唖然とし、翼も抵抗はしていないもののひどく混乱した顔をしている。
「圭吾……どうしてここに……?」
「翼が連れ去られたことを知らせに来たんだ」
「えっ?」
東條はそこでようやく抱擁を解いて向かい合うと、説明を始めた。
それは、東條が校門前で翼と別れたあとのこと。
今日発売の雑誌を予約していたことをふと思い出し、引き返して例の本屋へ向かっていたところ、遠くのほうで『翼!』と叫ぶような声を耳にした。それも気のせいか創真の声に似ていて。
無視できず、その声がしたと思われるほうへ行ってみると、二つのスクールバッグが無造作に転がっているのを見つけた。まさかと思ったが、中を確認したところ間違いなく翼と創真のもので。
あわてて西園寺の家にふたりのスクールバッグを届けて、状況を説明した。そのまま護衛チームが捜索を始めたのを見守っていると、翼から電話がかかってきて——ということらしい。
「なるほど、だから到着が早かったのか」
翼は得心したようにつぶやく。
言われてみれば確かに早かった。翼からの電話を受けたときにはすでに動き始めていたので、あれほどの人数が、あれほどの短時間で、それなりの準備をして迎えに来られたというわけだ。
「助かったよ、ありがとう」
「たまたまだけどな」
東條は満更でもないような顔で謙遜した。
そのとき——おそらく会話が一段落するタイミングを見計らっていたのだろう。護衛チームのひとりであるスーツの女性がすすっと翼に近づいて、気遣わしげに声をかける。
「翼さま、まずは入浴なさってくださいませ」
「そうだな……創真にもシャワーを貸してやってくれ。着替えもな」
「承知しました」
女性が一礼すると、翼はじゃあなと声をかけてから屋敷の中へ入っていく。ここへ来てもなお一切つらそうな顔は見せない。創真は何も言えず、ただじっとその背中を見送ることしかできなかった。
「翼はまだなのか?」
バスルームで汚れを落としたあと、待ち構えていた使用人に案内されるまま応接室に入ると、東條がソファでひとりくつろいで紅茶を飲んでいた。創真の問いかけに彼はティーカップを置きながら答える。
「母親のところに顔を見せに行くって。翼が連れ去られたって聞いてショックで倒れたみたいで、もう大丈夫だけど大事をとって安静にしてるらしい」
「ああ……」
母親の瞳子はあまり体が丈夫とはいえず、精神的にも脆いところがあるので、ショックで倒れたというのも納得のいく話だった。翼を跡取りとして溺愛しているのでなおさらだろう。
そのまま空いている二人掛けソファにゆったりと腰を下ろして、何気なく視線を上げると、向かいの東條が面白がるような顔をしていることに気がついた。思わずムッとして口をとがらせる。
「言いたいことがあるなら言えよ」
「いや、それ着てる諫早くんがちょっとかわいいなと思って」
「は……?」
貸してもらった翼の服が似合っていない自覚はある。
ざっくりとした白タートルネックにデニムパンツというシンプルなものだが、何せサイズが合わない。袖口からは指先しか出ていないし、デニムパンツの裾もだいぶ折り返してあるのだ。
だからといってそんなふうにからかわれるとは思わなかった。とっさに言い返せなかったことがくやしくて、せめてもの腹いせに思いきり眉をひそめて睨むものの、彼は悪びれもせずに笑っている。
「失礼します」
まもなく創真にも紅茶が出された。
そういえば朝からずっと飲まず食わずだったなと気がつくと、急に空腹を感じた。東條にからかわれたことなどもうどうでもよくなり、さっそく紅茶を飲んで、お茶請けとして出されていたフィナンシェを食べ始める。
「諫早くんも大変だったな」
「ん……」
ふいにいたわるような言葉をかけられて、フィナンシェを口いっぱいに頬張ったまま曖昧に頷いた。まだ湯気が立ち上っている紅茶をすこし飲んでから言葉を継ぐ。
「でもまあ翼が無事だったし」
「怪我とかしなかったのか?」
「翼はな」
彼の反応からすると、やはり翼がどんな目に遭ったかまでは聞いていないのだろう。
当然、創真も話すつもりはない。護衛チームには翼自身がすべて話して動画も見せたようだが、本当は誰にも知られたくなかったはずだ。あのとき自分が見聞きしたことは墓まで持っていこうと決めている。
「ん、じゃあ諫早くんは……?」
「ナイフですこし首を切られた」
「えっ?!」
驚く東條に、創真はタートルネックをグイッと引っぱり、白い絆創膏が貼ってあるあたりを見せる。シャワーを浴びたあとに新しく貼り直してもらったので、血がにじんだりはしていないはずだ。
「たいしたことはないけどな」
「いやでもかなり大きいんじゃ」
「深くはないし」
そう受け流し、新しいフィナンシェに手を伸ばすと袋を開けてかぶりつく。東條の痛ましげなまなざしには気付かないふりをした。
「なかなか似合ってるじゃないか」
扉が開き、すぐに笑いまじりの声が聞こえてきた。
創真はムッとして飲みかけのティーカップを置きながら振り向く。思ったとおり翼は面白がるような顔をしていたが、それよりも手に持っている薄汚れたスクールバッグが気になった。
「それオレの?」
「ああ、念のため中を確認しておけ」
「わかった」
受け取ってファスナーを開けるが、学生証も財布もスマートフォンも何ひとつなくなっていなかった。買ったばかりの書籍もきれいなまま入れられている。
「大丈夫みたいだ」
そう答えると、翼は軽く頷いて創真の隣に腰を下ろした。
「ご両親にはこちらのほうから今日のことを説明して、謝罪もした。僕のことにおまえを巻き込んで怪我させてしまったからな。お母さんがずいぶん心配していたそうだから電話してやれよ」
「ああ……すまなかった……」
翼には何の非もないが、創真が巻き込まれて怪我をしたのは客観的事実なので、西園寺としては謝罪しないわけにいかないのだろう。むしろ創真のほうが足枷になって申し訳ない気持ちなのに。
「傷の具合はどうだ?」
うつむいていると、翼が隣から覗き込むようにして尋ねてきた。
創真はタートルネックの上からそっと手を当てて答える。
「痛みはあるけど、まあ」
「今夜は行けそうか?」
「そのくらい全然平気だ」
首謀者と会うといっても、陰からこっそりと見るだけなので傷に障ることはない。翼が暴走したら止めてほしいと言われているが、護衛チームが行くのならそんなことにはならないだろう。
「今夜って何かあるのか?」
向かいで聞いていた東條が興味を示す。
彼がここにいることを失念していた。部外者に教えるのはまずいのではないかという創真の心配をよそに、翼は不敵な笑みを浮かべながらソファの背もたれにゆっくりと身を預け、どこか得意げに話し始めた。
ふっ、と創真の口から白い息がこぼれる。
宵の口から一段と寒さが厳しくなり、本格的に雪も降り始め、明かりの少ない夜の公園でもわかるくらいにあたりは白くなっていた。隅の生垣に身を隠している三人にも容赦なく降り積もっていく。
三人——そう、翼から話を聞いて東條もついてきてしまったのだ。もちろん護衛チームの許可を得たうえで。面白がっているのではなく、首謀者を目にする翼の精神面を心配してのことである。
母親には友達と夜ごはんを食べてくると言ったらしい。実際、創真とともに西園寺でごちそうになったので嘘ではない。父親はいつも深夜まで残業で、母親も用事ができたそうなのでちょうどよかったようだ。
腕時計を見ると、約束の時間までもうあと五分になっていた。
ほとんど声も出さず、動きもせず、傘も差さず、雪の降りしきる中で二十分以上もしゃがんでいたため、すっかり体が冷えてしまった。指先は痛いくらいだ。吐く息もいっそう白くなった気がする。
けれども隣の翼はすこしも寒そうにしていない。髪や肩に積もりゆく雪をはらいもせず、凜と張りつめた表情を崩そうともせず、ただ一点、公園の入口だけをじっと見つめつづけている。そして——。
「来た!」
ひそやかながら興奮を隠せない声を上げた。
創真も東條もハッとして入口のほうに目をこらす。そこには大きなマスクをして、サングラスをかけて、つばの広い帽子をかぶっている女性がいた。どう見ても真冬の夜の公園に来る格好ではない。
「えっ……まさか……」
「知ってるのか?」
振り向くと、東條はその女性を凝視したまま難しい顔をしていた。気のせいか瞳が揺らいでいるように見える。
「東條?」
呼びかけてもやはり返事はなかった。
だからといって語気を強めて問いただすわけにもいかない。そんなことをすれば隠れていることに気付かれてしまう。微妙な気持ちのまま、彼の視線をたどるように再び公園内に目を向ける。
そこでは護衛チームのひとりが取引相手として女性に接触していた。短いやりとりで首謀者であることを確認すると、隠れて待機していた護衛チーム数名があっというまに取り囲んだ。
「ちょっ、やめて……っ!」
抵抗も虚しく、帽子もマスクもサングラスもはぎ取られていく。
顔が露わになっても、創真のところからでは遠いうえに薄暗いのでよくわからない。それでもどうにか見ようと目をこらしていると、ゆらりと隣の東條が立ち上がった。
「なんで……母さん……」
「えっ?!」
創真と翼はそろって声を上げた。
翼はすぐさま我にかえり、華麗に生垣を飛び越えて彼女のほうへ駆けていく。あわてて創真もあとを追った。ふたりとも途中で護衛に止められてしまったが、この距離なら顔まで見える。
「あなたが……どうして、僕を……」
首謀者は、確かにあのとき会った東條の母親だった。
どうにか声を絞り出した翼を、彼女は憎しみのこもった目でキッと睨みつける。後ろから西園寺の護衛に羽交い締めにされたまま、髪を振り乱して——。
翼は横たわった男にサバイバルナイフを突きつけたまま、ちらりと振り返った。大丈夫だと創真が答えると、安堵したようにほっと息をついていたが、すぐさま表情を引きしめて男のほうに向きなおる。
「動くなよ」
そう告げて、目出し帽をはぎ取った。
やはり見覚えはなかったようだ。急所を攻撃されて憔悴したのかぐったりとしていて生気がなく、鼻と口からは流血し、それが目出し帽でこすれてけっこう悲惨な見た目になっている。
翼はボディチェックをして武器類とともに手錠を没収し、それを男にかけた。さらにズボンをふくらはぎまで下ろして簡易的な足枷にする。裾はブーツの中に入っているので簡単には脱げないだろう。
一通り拘束を終えると、小さな棒状の鍵を手にして創真のほうにやってきた。いまだ一糸まとわぬ姿のままだが気にする様子もなく、ひそかにドキドキしている創真の背後にまわりこみ、手錠を外した。
「オレも何か手伝うよ」
「じゃあ、そいつを拘束してくれ」
「わかった」
翼から手錠を受け取り、傍らで気絶している男を転がして背中側で手錠をかけると、仰向けにしてズボンをふくらはぎまで下ろす。そしてボディチェックをして武器になりそうなものを没収した。
そのあいだに、翼は床に転がっていた男たちのスマートフォンを拾い集めていた。どちらも動画撮影中だったようだ。それを止めて、自動ロックがかからないようにスマートフォンの設定を変更する。
「持っていてくれ」
ふいに顔を上げたかと思うと、そう言いながら二台とも創真に手渡してきた。そして自由になった手で創真の襟をめくり、ナイフでつけられた首筋の傷を確認すると、うっすらと顔をしかめる。
「すまなかった、おまえまで巻き込んでしまって」
「翼のせいじゃない。オレが考えなしにあいつらに飛びかかったせいで、車に連れ込まれたんだ。助けるどころかむしろオレがいたせいで脅されて……オレのせいで……」
預かったスマートフォンを落とさないように気をつけながら、深くうつむく。自分の不甲斐なさがくやしくて静かに奥歯を食いしめていると——ぽん、と頭に優しく手を置かれた。
「いや、おまえの石頭のおかげで助かったよ」
顔を上げると、翼はやわらかく目を細めて笑みをたたえていた。
それが許されることなのかどうかはわからないけれど、その言葉で、その笑顔で、創真はほんのすこしだけ気持ちが楽になるのを感じた。
そのあと翼はようやく制服を身につけた。
埃だらけの床だったものの、制服や下着はコートのうえに重ねて落としていたため、さほど汚れていなかった。ただ、コートだけは簡単には落ちないくらい白くなっている。あとでクリーニングに出すしかないだろう。
「創真、スマホを」
「あ、ああ」
曖昧に視線をさまよわせていたところ、ふいに声をかけられて、あわてて預かっていたスマートフォンを渡しに行く。翼は一台だけ手に取ると、地図アプリを立ち上げて現在地を確認してから電話をかけた。
「翼だ。創真とともに見知らぬ男二人に拉致監禁されたが、男たちはもう制圧した……ああ、ふたりとも無事だが創真がすこし首を切られている……いや、頸動脈までは至っていないし、出血はもう止まりかけているから心配するな。手当ての用意をして迎えにきてくれ。場所は——」
さきほど調べた住所をよどみなく告げて、通話を切る。
「すぐに車で来てくれる。二十分くらいだ」
「よかった……」
話し方からすると、翼が電話した相手は家族ではなく使用人のようだ。そのほうが冷静に対応してもらえると思ったのかもしれない。両親にはきっと使用人のほうから報告が行くのだろう。
翼はスマートフォンを持ったまま流血した男のほうへ向かうと、躊躇なく革靴で股間を踏みつけた。グァ、と男はつぶれた声を上げて苦悶に顔をゆがめるが、上半身をよじるのが精一杯で逃れることはできない。
「目的は何だ」
「……金だ」
脂汗をにじませながら苦しげな声で答える。
それでもまだ翼のまなざしは冷たく凍てついていた。股間を踏んだままの足にもう一度グッと力をこめる。男は悲鳴を上げて涙目になった。
「洗いざらい吐け」
「……うぅ……や、闇サイトの掲示板に載っていた高額の依頼に飛びついた。成功報酬百万。西園寺の男装令嬢を陵辱して動画に撮ってこいって……相手とはメールでやりとりしただけで会ってないし、名前も知らん。報酬を取りっぱぐれても西園寺を脅せば金になると思った」
翼はすぐに男のスマートフォンでメールを確認する。
創真も横からそれを覗いた。確かに男の言ったとおりのやりとりが残っていた。動画と引き換えに報酬を受け取ることになっているようだ。その際には直接会うことで話がまとまっている。
「誰だ……?」
翼は眉をひそめてつぶやいた。
しかし、すぐに気を取り直したように返信画面を開き、悩む様子もなく本文を入力していく。例の動画が用意できた、今日中に取引したい——と。
「おい、そんな勝手なこと……」
おろおろする創真のことなど意にも介さず、さくっと送信する。
もちろん翼のことだから考えなしにやったわけではないと思うが、さすがに独断でここまでやってしまうのはまずいような気がして、創真は顔を曇らせた。
数分後、首謀者から了解との返事が届いた。
本日二十一時に宮前公園で——取引場所として指定されたのは、創真たちの通う桐山学園からそう遠くないところにある児童公園だった。ご丁寧に地図まで添付してあるので間違いない。
「敵は近くにいそうだな」
ニッと挑みかけるように口元を上げる翼を見て、創真も頷く。
こうなると翼と面識のある人物という可能性が高くなる。何となく西園寺グループを陥れるための犯行だと思っていたが、そうではないのかもしれない。嫌な予感にじわりと汗がにじむのを感じた。
「翼さま、翼さまっ?!」
部屋の外から男性の必死な声が聞こえてきた。
壁にもたれながら拘束した男たちを見張っていた翼は、すぐさまはじかれたように駆け出し、開いたままになっていた出入り口から廊下に顔を出す。
「こっちだ!」
大きく手を上げると、まもなくあわただしい足音とともに使用人たちが入ってきた。男性二人と女性一人は黒いスーツだが、残りの男性四人はそれぞれ私服らしきカジュアルな格好をしている。
「翼さま、ご無事ですか」
「そう言っただろう」
翼が軽く肩をすくめると、張りつめていた使用人たちに安堵の色が広がった。
そのうちのひとり、大きめの鞄を肩から提げている黒いスーツの男性が、すこし離れたところから見ていた創真に気付くと、すすっと歩み寄ってきた。
「傷を拝見します」
「あ、はい」
男性はそっと襟をめくって傷を見分する。
一方、ほかの使用人たちは翼を守るように立ちながら、みっともない姿で転がされている男たちに注目していた。ひとりは気を失い、もうひとりは血で汚れた虚ろな顔でぐったりとしている。
「この男たちが犯人ですね」
「そうだ、首謀者はほかにいるようだが」
「話を聞かせていただけますか」
「ああ」
翼は男たちのスマートフォンを証拠品だと言って手渡してから、これまでのことを説明し始める。まるで他人事のように——。
「傷を手当てしますので、こちらへ」
聞き耳を立てていると、傷の見分を終えたスーツの男性に小声で促された。翼たちのほうが気になっていたものの、あまりわがままを言える立場でもないので、こくりと頷いて従う。
連れてこられたのは、同じ階にある給湯室のようなところだった。
そこで指示されるまま上半身の衣服を脱いでシンクに前屈みになると、ペットボトルの水を何本も使って念入りに傷口を洗浄されて、大きな白い絆創膏が貼られた。途中、何度か痛みにうめいてしまったが彼が気にした様子はない。
「応急処置ですので、早めに病院で診てもらってください」
「ありがとうございました」
そう言って一礼し、寒さに震えながらそそくさと衣服に手を伸ばしたが。
またこれを着るのか——。
派手に血で染まったシャツを目にしてひそかに嘆息する。それでもこれしかないのだから仕方がない。せめて外から見えないようにとダッフルコートの前をすべて閉じた。
部屋に戻ると、翼を含めて三人だけになっていた。
実行犯もいないので、彼らをしかるべきところへ連行していったのかもしれない。残っているスーツの男性と女性は、どういうわけかそろって困惑したような顔をして翼を見ていた。
「お気持ちはわかりますが……」
「上手くいったんだからいいだろう」
「あまり先走られては困ります」
おそらくなりすましメールで首謀者と会う約束を取り付けた件だ。
やはりというか翼にはまったく反省の色が見られなかった。立場上、男性はあまり厳しいことを言えないのだろう。物言いたげな顔をしつつもあきらめたように溜息をつく。
「首謀者は我々が捕まえます」
「僕も行く。この目で確かめたい」
「……見るだけにしてください」
「わかっているさ」
そこまで聞いて、創真は居ても立ってもいられず彼らのほうへ駆け出した。スーツの男性が振り向くとぺこりと頭を下げて直訴する。
「自分も連れて行ってもらえませんか?」
「では、翼さまが暴走なさらないよう見張っていてください」
「え……あ、はい……」
戸惑いつつも、つい流されるように了承の返事をしてしまった。
案の定、翼はいかにも面白くなさそうに口をとがらせている。創真がえらそうに翼を見張るなんて言うのだから無理もない。それでも使用人の手前だからか文句を言うことはなかった。
「翼っ!!!」
西園寺邸に到着して玄関を開けると、邸宅内から東條が駆けてきて力いっぱい翼を抱きしめた。創真は唖然とし、翼も抵抗はしていないもののひどく混乱した顔をしている。
「圭吾……どうしてここに……?」
「翼が連れ去られたことを知らせに来たんだ」
「えっ?」
東條はそこでようやく抱擁を解いて向かい合うと、説明を始めた。
それは、東條が校門前で翼と別れたあとのこと。
今日発売の雑誌を予約していたことをふと思い出し、引き返して例の本屋へ向かっていたところ、遠くのほうで『翼!』と叫ぶような声を耳にした。それも気のせいか創真の声に似ていて。
無視できず、その声がしたと思われるほうへ行ってみると、二つのスクールバッグが無造作に転がっているのを見つけた。まさかと思ったが、中を確認したところ間違いなく翼と創真のもので。
あわてて西園寺の家にふたりのスクールバッグを届けて、状況を説明した。そのまま護衛チームが捜索を始めたのを見守っていると、翼から電話がかかってきて——ということらしい。
「なるほど、だから到着が早かったのか」
翼は得心したようにつぶやく。
言われてみれば確かに早かった。翼からの電話を受けたときにはすでに動き始めていたので、あれほどの人数が、あれほどの短時間で、それなりの準備をして迎えに来られたというわけだ。
「助かったよ、ありがとう」
「たまたまだけどな」
東條は満更でもないような顔で謙遜した。
そのとき——おそらく会話が一段落するタイミングを見計らっていたのだろう。護衛チームのひとりであるスーツの女性がすすっと翼に近づいて、気遣わしげに声をかける。
「翼さま、まずは入浴なさってくださいませ」
「そうだな……創真にもシャワーを貸してやってくれ。着替えもな」
「承知しました」
女性が一礼すると、翼はじゃあなと声をかけてから屋敷の中へ入っていく。ここへ来てもなお一切つらそうな顔は見せない。創真は何も言えず、ただじっとその背中を見送ることしかできなかった。
「翼はまだなのか?」
バスルームで汚れを落としたあと、待ち構えていた使用人に案内されるまま応接室に入ると、東條がソファでひとりくつろいで紅茶を飲んでいた。創真の問いかけに彼はティーカップを置きながら答える。
「母親のところに顔を見せに行くって。翼が連れ去られたって聞いてショックで倒れたみたいで、もう大丈夫だけど大事をとって安静にしてるらしい」
「ああ……」
母親の瞳子はあまり体が丈夫とはいえず、精神的にも脆いところがあるので、ショックで倒れたというのも納得のいく話だった。翼を跡取りとして溺愛しているのでなおさらだろう。
そのまま空いている二人掛けソファにゆったりと腰を下ろして、何気なく視線を上げると、向かいの東條が面白がるような顔をしていることに気がついた。思わずムッとして口をとがらせる。
「言いたいことがあるなら言えよ」
「いや、それ着てる諫早くんがちょっとかわいいなと思って」
「は……?」
貸してもらった翼の服が似合っていない自覚はある。
ざっくりとした白タートルネックにデニムパンツというシンプルなものだが、何せサイズが合わない。袖口からは指先しか出ていないし、デニムパンツの裾もだいぶ折り返してあるのだ。
だからといってそんなふうにからかわれるとは思わなかった。とっさに言い返せなかったことがくやしくて、せめてもの腹いせに思いきり眉をひそめて睨むものの、彼は悪びれもせずに笑っている。
「失礼します」
まもなく創真にも紅茶が出された。
そういえば朝からずっと飲まず食わずだったなと気がつくと、急に空腹を感じた。東條にからかわれたことなどもうどうでもよくなり、さっそく紅茶を飲んで、お茶請けとして出されていたフィナンシェを食べ始める。
「諫早くんも大変だったな」
「ん……」
ふいにいたわるような言葉をかけられて、フィナンシェを口いっぱいに頬張ったまま曖昧に頷いた。まだ湯気が立ち上っている紅茶をすこし飲んでから言葉を継ぐ。
「でもまあ翼が無事だったし」
「怪我とかしなかったのか?」
「翼はな」
彼の反応からすると、やはり翼がどんな目に遭ったかまでは聞いていないのだろう。
当然、創真も話すつもりはない。護衛チームには翼自身がすべて話して動画も見せたようだが、本当は誰にも知られたくなかったはずだ。あのとき自分が見聞きしたことは墓まで持っていこうと決めている。
「ん、じゃあ諫早くんは……?」
「ナイフですこし首を切られた」
「えっ?!」
驚く東條に、創真はタートルネックをグイッと引っぱり、白い絆創膏が貼ってあるあたりを見せる。シャワーを浴びたあとに新しく貼り直してもらったので、血がにじんだりはしていないはずだ。
「たいしたことはないけどな」
「いやでもかなり大きいんじゃ」
「深くはないし」
そう受け流し、新しいフィナンシェに手を伸ばすと袋を開けてかぶりつく。東條の痛ましげなまなざしには気付かないふりをした。
「なかなか似合ってるじゃないか」
扉が開き、すぐに笑いまじりの声が聞こえてきた。
創真はムッとして飲みかけのティーカップを置きながら振り向く。思ったとおり翼は面白がるような顔をしていたが、それよりも手に持っている薄汚れたスクールバッグが気になった。
「それオレの?」
「ああ、念のため中を確認しておけ」
「わかった」
受け取ってファスナーを開けるが、学生証も財布もスマートフォンも何ひとつなくなっていなかった。買ったばかりの書籍もきれいなまま入れられている。
「大丈夫みたいだ」
そう答えると、翼は軽く頷いて創真の隣に腰を下ろした。
「ご両親にはこちらのほうから今日のことを説明して、謝罪もした。僕のことにおまえを巻き込んで怪我させてしまったからな。お母さんがずいぶん心配していたそうだから電話してやれよ」
「ああ……すまなかった……」
翼には何の非もないが、創真が巻き込まれて怪我をしたのは客観的事実なので、西園寺としては謝罪しないわけにいかないのだろう。むしろ創真のほうが足枷になって申し訳ない気持ちなのに。
「傷の具合はどうだ?」
うつむいていると、翼が隣から覗き込むようにして尋ねてきた。
創真はタートルネックの上からそっと手を当てて答える。
「痛みはあるけど、まあ」
「今夜は行けそうか?」
「そのくらい全然平気だ」
首謀者と会うといっても、陰からこっそりと見るだけなので傷に障ることはない。翼が暴走したら止めてほしいと言われているが、護衛チームが行くのならそんなことにはならないだろう。
「今夜って何かあるのか?」
向かいで聞いていた東條が興味を示す。
彼がここにいることを失念していた。部外者に教えるのはまずいのではないかという創真の心配をよそに、翼は不敵な笑みを浮かべながらソファの背もたれにゆっくりと身を預け、どこか得意げに話し始めた。
ふっ、と創真の口から白い息がこぼれる。
宵の口から一段と寒さが厳しくなり、本格的に雪も降り始め、明かりの少ない夜の公園でもわかるくらいにあたりは白くなっていた。隅の生垣に身を隠している三人にも容赦なく降り積もっていく。
三人——そう、翼から話を聞いて東條もついてきてしまったのだ。もちろん護衛チームの許可を得たうえで。面白がっているのではなく、首謀者を目にする翼の精神面を心配してのことである。
母親には友達と夜ごはんを食べてくると言ったらしい。実際、創真とともに西園寺でごちそうになったので嘘ではない。父親はいつも深夜まで残業で、母親も用事ができたそうなのでちょうどよかったようだ。
腕時計を見ると、約束の時間までもうあと五分になっていた。
ほとんど声も出さず、動きもせず、傘も差さず、雪の降りしきる中で二十分以上もしゃがんでいたため、すっかり体が冷えてしまった。指先は痛いくらいだ。吐く息もいっそう白くなった気がする。
けれども隣の翼はすこしも寒そうにしていない。髪や肩に積もりゆく雪をはらいもせず、凜と張りつめた表情を崩そうともせず、ただ一点、公園の入口だけをじっと見つめつづけている。そして——。
「来た!」
ひそやかながら興奮を隠せない声を上げた。
創真も東條もハッとして入口のほうに目をこらす。そこには大きなマスクをして、サングラスをかけて、つばの広い帽子をかぶっている女性がいた。どう見ても真冬の夜の公園に来る格好ではない。
「えっ……まさか……」
「知ってるのか?」
振り向くと、東條はその女性を凝視したまま難しい顔をしていた。気のせいか瞳が揺らいでいるように見える。
「東條?」
呼びかけてもやはり返事はなかった。
だからといって語気を強めて問いただすわけにもいかない。そんなことをすれば隠れていることに気付かれてしまう。微妙な気持ちのまま、彼の視線をたどるように再び公園内に目を向ける。
そこでは護衛チームのひとりが取引相手として女性に接触していた。短いやりとりで首謀者であることを確認すると、隠れて待機していた護衛チーム数名があっというまに取り囲んだ。
「ちょっ、やめて……っ!」
抵抗も虚しく、帽子もマスクもサングラスもはぎ取られていく。
顔が露わになっても、創真のところからでは遠いうえに薄暗いのでよくわからない。それでもどうにか見ようと目をこらしていると、ゆらりと隣の東條が立ち上がった。
「なんで……母さん……」
「えっ?!」
創真と翼はそろって声を上げた。
翼はすぐさま我にかえり、華麗に生垣を飛び越えて彼女のほうへ駆けていく。あわてて創真もあとを追った。ふたりとも途中で護衛に止められてしまったが、この距離なら顔まで見える。
「あなたが……どうして、僕を……」
首謀者は、確かにあのとき会った東條の母親だった。
どうにか声を絞り出した翼を、彼女は憎しみのこもった目でキッと睨みつける。後ろから西園寺の護衛に羽交い締めにされたまま、髪を振り乱して——。
◆目次:オレの愛しい王子様