金魚鉢


夏支度です。
本日、各お部屋に涼しげに小さな金魚鉢が入りました。
中には錦鯉が泳ぎます。
小さな金魚鉢はガラス工房聡さんの作品です。
実はこれ、本当は菓子(キャンディー)入れです。
手のひらに乗る大きさです。

中に泳ぐ鯉は京都で購入したガラス細工です。
金魚を探していたのですが
錦鯉があまりに可愛いので即決。
金魚は何処へ行ったのか・・・^_^;

ガラス器に出来た泡が
まるで鯉がおしゃべりしているようで
二人の愛称はぴったりです。

鯉に恋したキャンディーポットは
キャンディーを入れている時よりずっと大人に見えます。
大切な錦鯉を優しく包んで守っているからでしょう。

守ると言えば
大抵の場合、強いものが弱いものを守ります。
ただ弱いものと強いものの定義は管理人には良く分かりません。
だって、守ると言う行為の役割分担の中で
弱いものもいつしか強いものになって行ったりします。

例えば、恋した場合は
より深く恋した方が弱い立場になったります。
だからと言って強いと思う立場の人が
自分を守ってくれるとは限りません。

惚れた弱みを持ちながらも
強い愛情を持っていたなら
弱い立場の人間が強いはずの人間を命がけで守ったりします。

守るというのは
守りたいと思うものを守る・・・
強い意志を持った言葉なんだなぁ~

曖昧な言葉ばかりを愛してきた管理人
しっかりとしたこの言葉が新鮮に響きました。


横から見るとこんなにおデブさんの錦鯉となってしまいます。
幸せ太り・・・でしょう(^^)v
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風鈴


風鈴が各部屋に付きました。
何処の部屋も違う形の南部鉄の風鈴です。
いい音が響きます。
形もいいのですが
その微妙なバランスが素晴らしい!
風鈴は風と軽やかに遊びます。

全てのお部屋の写真をご紹介してしまうとつまらないので
今年は2部屋の風鈴。
上の写真はトンボ、下の写真は河童です。


風鈴に付けた短冊は表に夏、裏に秋。


実は管理人、風鈴を一番楽しむのは
夏の終わり。秋の香りの漂い始めた頃です。

涼やかな風鈴の音色に
あっという間に過ぎていった夏を重ねます。

耳で聞いているのか心で聞いているのか
風鈴の音色が心の臓まで美しく響き渡ります。

管理人の最も好きな風鈴の音色が響く季節です。

それでセラヴィでは仲秋の頃まで風鈴があります。
終い忘れた風鈴も秋の風情の一つと思いませんか。




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コケ梅


これは梅の古木にコケの生えた「コケ梅」です。
玄関入って直ぐの壷に挿してあります。
お正月の時、コケ梅と香りたつ梅の花を挿して
新年の祝いの花生けとして良く使われます。

このコケは梅の木苔 (うめのきごけ)です。
本来なら湿らせておくのですが
もう長く此処に居ます。

新年を迎える当たり
過ぎし日に想いを馳せ、感謝しながら
新年の芽吹く新たな梅を共に飾ります。

新年を迎えるにはまだ5ヶ月ありますが、
ただ新年に限らず、人は新たなものに向かう時
過去の積み重ねの数々に想いを馳せます。
人は、その積み重ねがあるからこそ
前に進めることが出来ます。

過ぎ去りし日々に感謝を込めて
コケ梅がここに置かれております。
そしてその前には
「始めの一歩の椅子」を置きました。
ありがとう!
これからちょっと前に歩き出して行きましょうか!


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船玉の花火


これは「すみだの花火」と云う紫陽花です。
名前を覚える時、長瀞の一番のお祭り「船玉祭」を思い出し
船玉の花火と冗談で言っていたら
本当の名前が思い出せず「江戸の花火」とか「両国の花火」とか・・
やっとのことで思い出す事が出来ました。
そうです「すみだの花火」です。
でも、いまだ管理人は陰で「船玉の花火」と呼んでます^_^;

額紫陽花と同じ大露天風呂の脇に植えてあります。
たった一本しかありませんが
淡いブルーがとても可愛い紫陽花です。

額紫陽花のように回りに花が付きますが
花の茎が長く
確かに花火のように花が付いてます。

でも花火と言うには可憐過ぎます。
夜を一瞬のうちに飾る勢いのようなものは無く
写真では良く分かりませんが
柔らかなブルーの色合いが朝露に良く似合います。

夜空に爆音と共に大輪の花を咲かせる花火は、気持ちの良いものです。
見ているほうまでスカッとします。

花火は寝て見るのが一番です。
夜空一面に咲いた大輪の花が散りながら降ってきます。
星に包まれているみたいです。
ぜひ寝てご覧下さい!!

花火に限らず、空は寝て見るに限ります。
首をめいっぱい折って空を眺めても
この感じは得る事が出来きないでしょう。

身体全部を土に預けるしまうのもいいのでしょう。
余計な重さが無くなり瞼を開けるだけの感じが良いのです。
その上、草の臭いや露の冷たさや土の呼吸までも感じられます。
小さな虫の動きも謙虚に観察できる事でしょう。
侵入者は人間の方になる訳ですから

今まで見ていたのは空のホンの一部であった事がわかります。
寝て見る空も空の一部に変わりないのだけれど
瞼を開けるだけで、開放感があふれ出します。

立って見る景色
寝て見る景色
同じに空を見上げているだけなのに
こんなにも違う世界があります。

見方一つで同じものがこうも変わる
同じものが同じでない。

正しい見方なんて考えなくてもいいのかなぁ。
空気を伝って感じる。
そんな物の見方もあながち間違っいないかも?!とか思えて来ます。

大人になると寝転がる事それ自体に、勇気が入ります。
洋服汚れないかな?・・・犬の糞なぞ落ちてはいないかな?
何より、人は見ていないかな?などときょろきょろ遠慮気味に寝るのでしょう。

ぜひ、知らない土地に行ったときの開放感の中お試しになってください。
皆さんきっと見たことのある景色(空)です。
懐かしい空は、きっと思い出させてくれますよ。
大切な忘れ物を!


今、露天風呂脇の額紫陽花も満開です。

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くちなし


これはセラヴィの石の蛙の置物近くに一本だけ咲く「くちなし」
十年以上経つのに何故かあまり大きくなりません。

柑橘系の良い香りが漂います。
思わず鼻を近づけてしまいます。
「くちなし」というのは、この実が熟しても裂開しない、
実の口が開かない事から『口無し』と名付けられたそうです。

くちなしの実は
芋きんとんや栗きんとんを作る時は欠かせません。
10年以上前から毎年この実を拝借してます。
沢庵などもこれを使います。
綺麗な黄色に染め上げれくれます。
もちろん、布などの染めにも使かわれて来ました。
実の色は緋花コスモスという花に似た
オレンジに近い赤黄色です。

昔からこれだけ濃厚な香りと可憐な白の花を持っていても
染める役目の実の方が重宝されていました。
それほどくちなしの実の黄色染料は貴重な色だったのかもしれません。

これは一重ですが八重のくちなしもあります。
そちらには実が付かないので、
一重のくちなしはとても「お得」な感じです。

くちなしの花言葉は『とても幸せです』
「死人に梔子(くちなし)」ならば
何とも綺麗な言葉となる筈なのですが・・・^_^;

「とても幸せです」の花言葉を聞いてからくちなしの花を見ると
本当に幸せそうに見えるから不思議です。
一体誰がこの花言葉考えたのでしょう???

口が無く、もの言えぬ花に
「とても幸せです」と言わせるとは・・・
う~ん。素敵過ぎる(#^.^#)

物言い過ぎる管理人まで
「とても幸せです!!」
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夏椿


これは夏椿の花です。セラヴィの玄関のところにあります。
梅雨のこの時期に開花します。
白が可憐な夏の椿です。
この花も椿と同じくきれいに咲いたまま
潔くぽとりと落ちます。
白く薄い花びらはまだぼとりと落ちるには可愛そうな華奢さです。

別名シャラノキ(娑羅の木)といいます。
昔、ある僧侶が、釈迦が悟りを開いたことで有名な
インド菩提樹(インドぼだいじゅ)樹の「沙羅双樹」を
仏教の国、日本にもきっとあるはずと
探したところ、夏椿の木を見て
「これが沙羅双樹だ!」と勘違いしたまま
それを僧侶が広めたため、との説があるそうです。

僧侶達はインド菩提樹の実で数珠を作りお経を唱えました。
管理人この菩提樹の100年位前の実を大事に「お守り」にもっております。
昔僧侶が数珠として使っていたもので、黒光りして
手のひらに載せると何だかパワーがもらえそうな実です。




良く見るとアリが今開いたばかりの花の蜜を集めてます。
明日には落ちてしまう花に沢山の小さなアリが・・・

そう言えばほくろは何で出来るか知ってますか?
アリを踏むからです。
ほくろの数だけ、知らない間にありを踏んだのだそうです。

『ママ』たくさんアリを踏んだ?
娘に聞かれました。
理由を聞いて納得しました。

そうかぁ~
アリを踏むとほくろになるんだ。

幾つアリを踏んでしまったか
知らず知らずにとは言え
すまぬことをしました。

小さな罪の数々は
分かり易く顔に書かれてしまうのですね。
それはそれは
困りました^_^;


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赤紫蘇ジュース


赤紫蘇ジュースこの時期毎回登場する季節限定ジュースです。
朝お客様にお配りしおります。

赤紫蘇にはカルシウム・鉄分・ビタミン・ミネラルが豊富に含まれており、
古来中国では赤紫蘇を漢方薬として古くから利用されてきました。
抗アレルギー作用がよく知られています。
赤紫蘇は利尿・発汗作用で知られ、また健胃作用もあるといわれています。
食欲のないときに健胃効果。
心地よい眠りとリラックス効果
赤紫蘇は鎮静作用や抗炎症作用も知られているそうです。

中国の三国時代で、少年が蟹の食中毒で肌の色が紫色に変色、
死にそうになった時、旅の名医が置いていった葉を煎じて飲ませたところ
命が蘇ったそうです。
このことから「紫蘇」と名付けられたという説があるそうです。

赤紫蘇ジュースの赤は実にきれいな色です。
自然の成す色の美しさは何ともいえません。

赤にもいろいろありますが
管理人古布を集めておりまして
赤く染まった絹には
本当に多くの赤、紅、朱、緋があり
当時の着物の主への想いが募ります。

その中でも大変気に入っている赤がありますが
微妙すぎて写真などでは写しきれません。
真紅であったであろう赤も
時を経て角の取れた緋赤となり
物憂げで愛おしない
夕日が赤く沈むそれによく似ています。



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ブログを始めて3ヶ月になりました。
日記帳も三日坊主の管理人は、驚きました。

決めると,まずはやります。
でも最近毎日更新していたブログを
皆勤賞に縛られたくなくなり
ずるお休みしてみました。
歯欠けになったカレンダーは
風通しが良くなり
また楽しく書き始めてます。
このブログは、
書かなきゃいけないと思って書きたくなかったのです。

ブログのお陰で、いろんな事を思い出すことが出来ました。
始めはセラヴィ内のことだったのですが
いつしか管理人個人の事まで・・

自分自身の事を人や物を通して見る事を知りました。

見ようとしなければ
見えない人や物の心がある事を知りました。

自分の中にあるものは人の中にも存在し
他人さんは、
意外と違うところより似ている所が多いということを知りました。

新たな一歩を踏み出したいと願ってました。
そのタイミングには
大きな勇気と強い決断力が必要だと思ってました。
でも、そんな大げさな事ではなかった事を知りました。

単に時間が必要だったのだと知りました。
その時間の中、自分との深い対話が必要だった事を知りました。
新たな一歩が踏み出せないのは
まだその時にたどり着けない、時間が足らないのだと知りました。

思い出とは「振り返る思い」ではなく
過ぎ去った時の中に
「やさしく時を重ねる人の心」なのだと知りました。

ブログは集客の為と打算的に書き始めました。
打算は良くありません。
ただそんな事、数日で忘れましたが
打算始まりのお陰様で^_^;・・
実際、お客様が微妙に減ってます。
これは管理人ブログのせいと
実はそこの所を大変気にしておりました。
集客の邪魔をしているようでは
オーナーブログは、止めねばいけませんが
今だクレームが耳に届かず書き続けています。

リピーターのお客様から
「ブログ見てます」と言われ
耳まで赤くなりました。

数人の方が楽しみに??読んでいるとおしゃるので
しばらく書いて行こうと思ってます。
管理人の耳は、褒め言葉などが、やたら大きく響く耳です。

後で読み直し失敗したぁ~と思う事も多々あるのですが
セラヴィは「人生」と言う意味です。
こんな管理人の生きざまも『人生』
世の中反面教師も必要です。

と言う事で、しばらく続けます。
このブログが集客の邪魔して居ないことを願いながら^_^;

ごめんなさい!
だって管理人楽しんですもの(#^.^#)
また毎日書いちゃいそうです。
数人のここへ毎回お越しの方々
ご覚悟ください!



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木の皿


これは木の皿
管理人の大好きな人が彫ったものです。

素人の良さが出ています。
こつこつと彫ったノミの後が
暖かく、上手く彫ろう!とか
頑張ろう!とかそんな想いが無く
そんな所が見ているとなんだかホッとします。
以前に書いたブログの『始めの一歩の椅子』と同じ作者です。

未熟な出来が美しい作品があります。
決して完璧でない美しいさに落ち着きを感じる時があります。

何故って?
それはきっと強い主張が無いから、攻められてる気がしないのです。

だからと言って誰も攻めている訳ではありません。
きっと気弱な時
出来の悪い自分自身を攻めてしまうのです。

背伸びをするのは癖ですが
性には合っていません。
それでもやってしまうのは
そうなりたいと思うからでしょう。
それは悪い事ではありません。
向上心です。
ただ管理人は高いヒールより、
はだしが良く似合う事を思い出します。

うぶな美しさには
心を解く暖かさが備わってます。

向き合うものが静かであれば
こころは静かになって行きます。
向き合うものが素直であれば
心も素直になり
今の自分もまんざら悪くない気がしてきます。

だから
「足らないものは明日から補充して行きましょう!!」
なんて、またお気楽が平気で顔を出してしまうのでしょう。
進歩ないなぁ~^_^;

でも管理人
そんな頑張らなくていい時が人には必要と思います。
そんな欲張らなくていい時が人には必要と思います。

ただ無欲にこつこつと彫ったこの皿のように
何も考えず、ただただ無のまま
ゆっくりと時間は過ぎ、
気が付くと「ほんの数ミリ進んでいるかなぁ~」なんて笑える
それでいい時間
そんな静かでのろまな時間があっても良いのではないかと思います。

管理人は、
この自然の「気」の中、鳥のさえずりの中
セラヴィでそんな時間をお過ごいただけたらと思っています。
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ミニバー


これは、フロント横に置いてあるミニバーです。
コンサートやクリスマスなどのイベントの時に活躍します。
お客様の待合の時間に一杯差し上げます。

管理人、良く出来てるミニチュワものが大好きです。
それは、幼い頃の人形遊びから来きているものかもしれません。

人形には着替えもバックもハイヒールもストッキングも
指輪もイヤリングもネックレスもありました。
そしてそれを入れる箪笥やハンガー宝石箱もありました。
ベッドに布団、家具まで皆そろっています。
なんでも小さく実際のものと変らない使い勝手に思えました。
だから小さな子供は自然に大きな大人となりました。

人形の洋服は良く母が作ってくれました。
見事なドレスは自慢でした。
衣装持ちの人形でした。

友達といろんな物語の中で遊びました。
子供のすることですから
お魚屋さんや果物やさんの店主から買い物役
そのまま、舞踏会やティータイムまでのなんでも有りのスペシャル物語です。

小さなティーカップには、カルピスを入れて飲みました。
だから時々洗い忘れ、おもちゃの食器はベタベタしました。

赤ちゃんの人形もありましたが
お母さん役の人形より遥かに大きい妹が赤ちゃん役となって登場したりしました。
お母さんは自分の身体と同じくらいのミルクビンを赤ちゃんに飲ませました。
赤ちゃんは泣き止みゴクゴク言って飲んで寝つきました。
ミルクビンは逆さにするとミルクが無くなるものでした。

果てしなく続く物語でした。
毎日本当に飽きずに遊びました。

外で遊ぶ時はアルミの可愛い食器が大活躍しました。
いろんな草でお料理を作りました。
おもちゃの包丁でのこぎりのように切りました。
キッチンの場所となるところも工夫しました。

出来た料理は食べるまねをした後、上手に捨てます。
お料理はまるで食べてるようにむしゃむしゃと音をたてます。
皆芸達者でした。

ご飯にする実も決まっていました。
テーブルや椅子も近くの空き地の廃材を持って来て作りました。

5時の鐘が鳴ったら帰ります。
椅子やテーブルに使った廃材と愛用の鍋などは隠して帰りました。
そして、まだまだ明るいその道を急いで帰るのです。

ミニバー
これは管理人の夢の広がる「大人のおもちゃバー」みたいなものです。
さてさてどんな物語作って見ようかなぁ~(#^.^#)










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