この前にある道が我が人生の道

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余命10年

2022-09-22 06:24:00 | 日記
映画化されましたね。私に子どもはいませんが親の気持ちになって観てしまいました。目頭に熱いものを感じずにはいられませんでした。親は責任と無力さに感情を押しつぶされそうになりながら付き合っていかなくてはならない。彼女が言います、親に向かって「どっちが可哀想なのって」。答えられない答え。彼を好きになる。彼のことが愛おしくなる。自分を愛してくるものを否定しなくてはならない。愛されて一生を送るのが女性の幸福なはずのものを否定しなくてはいけない残酷さ。生きると言うことを考えさせられる。小松菜奈さんの可愛いらしさが悲しみを深めさせられました。

学習すると言う価値

2022-09-18 06:49:37 | 日記
学習するとは机上だけではないはず。経験からする学習もあれば人間関係上のものもある。現社会は学習と言うことが明確でない。学習に対する目的がはっきりしていない。経験にしても机上の学習にしても社会的には価値が薄い。何を学べば自分にとって利のあるものなのか、何を経験しなくてはならないのか明確でない。現実には幸福感としてのものは存在しているのだが学習すると言うことにはならないことが多い。例えば個人として思えば親が子どものことを考えることは当然でありそれが親として幸福感を与えてくれるものであろう。また何か目的を持って希望や夢を持つことも幸福感を与えるでしょう。しかしながら親になることも希望を持つことも学習すると言うことにはならない。政治や経済と言うのはこのことに関して無関係なのだろうか。政治論や経済論は何を目的にしているのだろうか。文化や芸術にしても幸福と言う価値をどう判断しているのだろうか。一体何を学校で学習してきているのだろうか。あまりに理解できないことが多いように思う。何か一つでいいから共通の価値観を持てるものが欲しいと思うのである。

社会には

2022-09-17 20:30:00 | 日記
必要なものがある。政治、経済、そしてそれには政治論、経済論とある。社会にとって最も大切なものがその他にあるのではないだろうか。誰もが望むものそれは幸福ではないしょうか。社会のなかに幸福論は絶対と言える存在を持っていなくてはならないものではないだろうか。それは社会的価値として最優先なものであろう。幸福感と感性、価値観と人生。文化と生きると言う意義。

街好きいたずら好き坊やが自称人生幸福論哲学者に

2022-09-17 05:05:00 | 日記
下町生まれの下町育ち、東京生まれの東京育ち。ただのいたずら坊主が本気になって人としての一生を考えるようになった自分だけのお話しです。もし共感を持って接して頂けたら幸いです。哲学者とは少し大げさな言いようかもしれないけど、もし良かったら付き合ってやってください。

台風14号3連休に列島縦断のおそれ16日沖縄・大東島に接近

2022-09-16 04:25:00 | 日記
せっかくの休み、私は4回目のワクチン接種、ちょっと気になる。