ならない!自分の思う事ができることと言うのは叶わないことだから思うということになるのかもしれない。ああだったらこうだったらというのは将来的な戯言?希望にもならない。残念な自分へのゴマカシ的将来への見通しなんだろう。だから永遠に続く。現実に満足してないことから始まっているのだからゴマカシ!ああ悲しい。何かしたいのなら何か自分にある可能性を考えていかなくてはならない。その時、その時点を定めなくてはならない。何がしたい?自分!
少し私は負けず嫌いなところがある。勝負事が好きと言うのかボクシングやプロレスが好きだったりする。スポーツ全般たいがいのものは好んだりする。ただ野球よりはアメリカンフットボールのが好きではある。あまり詳しくはならなく浅く広くというタイプである。高校生のころはバレーボールを三年間やってたりもした、弱小チームではある。なので少し前のメリな性格で下町育ちの気性も手伝ってグダグダ、チマチマしたことが好きではなく、特に必要なことでこれをやられると気力を失うのです。
今で言う、キレた!誤解の無いように言うが喧嘩したわけではないので。
若かった。
高校を卒業して、就職したばかりなのだから。生意気でもあったのかもしれない。こんな大人たちと付き合っていてもなにも得るものなどないと思っていたのだと思う。
私の育った環境というのはお世辞にもいいとは言えない。不良とヤクザ者が多く、ちょっと隙があれば引き込まれてしまうようなところなのです。それだけに自分をもって芯で考えていかなくてはならないということでもあるのです。それだけに大人たちへの不満も大きい。大人たちの弱さズルサを子供の頃から知っているので心の承諾が苦手なのかもしれない。
存在とは社会の中のことである。
学校であれ、会社であれ社会の中にあり、その中に所属していなくてはならない。ただ、こんな範囲の中にいなくてはならないのだろうか。自分のテリトリーだけ必死になって守ってなくてはならないとは。自分の手を自分の足を伸ばすことさえ憚れるのか。なんて虚しいのだろう。
!?どうしても飲み込めなかった。今の自分から先何も思いつくものがなくなるものなんだろうか。アー今日も時間だけが過ぎて行く。