通潤橋の通行どうする?熊本地震で破損、「渡りたい」声根強く
通潤橋について習ったのは、小学3年生の3学期だったか。
4年生の見学旅行(社会科見学)で実際に見に行って、教科書で見た橋がそのままあるのに感激した。
現在から見て最後に行ったのが2006年らしいから、もう15年ほどご無沙汰。
写真を探したのだが、見つからないというか見つけられない。
時期からしてすでにデジカメにしていたはずなのだが、壊れているメモリーカードに入っていたのかな?
まぁ、それは良いとして。
「通潤橋を通る」というのが、ピンとこない。
小学校時代に、習ったのだ。
「通潤橋は、人が通ることを想定して作られていない」と。
だからそれ以来、「通潤橋を通る」というのに違和感を持ってしまう。
もちろん、メンテナンス等で橋の上に行く人たちはいるだろうから、そういうのは何とも思わないが…。
記事中にもあるように、通潤橋には欄干がない。
出来た年は、1854年。
この年がどういう年かというと、2月にペリーが浦賀に再入港。
3月には吉田松陰が密航を企てる。
5月に下田・箱館の開港を布告 。
世界的にはクリミア戦争開戦の年。
こういう年に、水を引くために橋が作られたというのも凄いことだと、小学生時代の私は思った。
そりゃ、人が通ることを想定されていなくても当然だな、とも思っている。
橋の上から見る放水はさぞ絶景だろうとは思う。
だけど、様々な危険を冒してまで見たいとは思わない。
メディアなり、町の広報なりが撮影して、それを公開してくれたら、それで十分だと思う。
通潤橋の全体を見られる位置から見ていたい。
「人が通る物じゃない」と刷り込まれている私には、記事のような議論がわき起こること自体が不思議。
どのように決着しようと、おそらく橋の上に行くことはないだろうな。