「ゆりかご」の蓮田太二さん死去慈恵病院理事長
「母子の命守る信念の人」熊本県内関係者悼む声「こうのとり」慈恵病院・蓮田理事長死去
最近、テレビのニュースで「こうのとりのゆりかご」の話題になっても、
蓮田太二先生は出てこないなぁと思っていたのだが、
訃報が飛び込んできて、「病気だったのか」と納得した。
Twitterで眺めていたら、「私が生まれて最初に会った人」と書き込んでいる人がいて、思わず笑った。
それを言うなら、私も「生まれて最初に会った」のは太二先生だなぁ(笑)
当然記憶にはさっぱり残っていないけど。
はい、取り上げていただいたそうです。私は全く覚えていないけど。
その次に会ったのは、小学5年生のとき。
5年生の誕生日付近で初潮を迎え、それから約半年後。
生理が1ヶ月以上終わらない、という事態に見舞われた。
足りなくなる生理用品の買い足しを母に頼むわけだが、母におかしいと思われて病院に連れて行かれた。
それが慈恵病院。担当医が太二先生。
2月か3月頃だったと思うのだが、その時点ですでに「出過ぎ」というのもあり、生理を止めることになった。
いつまで止めておくか、ということになり、新学期の5月初旬に修学旅行を控えていた私はその旨話した。
「修学旅行に生理になると辛いよね。じゃあ、修学旅行が終わるまでは止めておこうか。
その代わり、薬は毎日きちんと飲んでね」
優しい口調で私にそう言ってくれた。
その後、修学旅行中もしっかり処方された薬を飲み(と言っても、1泊2日だったが)、
修学旅行が終わってから、生理のコントロールに入った。
何度か通院し、何とか安定させることに成功した。
最近では10~14日と長すぎる気はするが、まぁ安定はしていると言えるので、そのままになっている。
当時は小学生だったし、歩きや自転車で行ける距離ではなかったので、
当然ながら母が一緒に付いてきていたし、母が色々と説明していた。
私が口にしたのは修学旅行のことくらいだったが、太二先生は常に私にも向き合い、
安心させるように色々と説明してくれた。
それからは慈恵病院を受診する機会も全くなく、今日に至る。
蓮田太二先生、43年前と31年前はありがとうございました。
どうぞ安らかにお眠りください。