Chiakiの徒然日記

11年。

平成15年4月3日午前10時30分。
この日時だけは忘れたことはない。
今年もこの日がやって来た。
伯父や祖父母を見送って来たとはいえ、最も血のつながりの強い人物の死。
いつかは来ると分かっていても、いざとなるとなかなか受け入れられなかった。

父が亡くなって丸11年。
11年前と曜日の配列が同じことに、今月に入ってから気がついた。
4月3日が木曜日だったということは鮮明に覚えていた。
あの時は、桜が咲いたことさえ気付かなかった。
気付いた時はすでに満開。
火葬場に向かう途中、桜並木を霊柩車の後から付いて行ったマイクロバスでくぐり抜けたことを思い出す。
11年経って、桜の開花、満開の時期が早まっているということを実感する。

56歳の誕生日は迎えられないだろうと言われていたが、奇跡的に迎えられた。
弟が大学院を修了、入社式が終わるまで頑張ってくれた父。
大事な節目が終わったとたん、還らぬ人となってしまった。
色々な面で後悔することはあるけど、当時は「解放された」という意識が強かったように思う。
もちろん悲しみは強いのだけど、どこかでほっとしている自分もいた。

写真がなく、43歳の写真を遺影に使っているが、当初は慣れなかったものの今ではすっかり慣れた。
事あるごとに周りの年配の人には言っている。
「元気なうちに遺影の撮影はしておいた方がいい。遺された人のためにも」と。
みんな、半分冗談半分本気で聞いてくれるのでありがたい。
少なくとも「縁起でもないこと言うな」と言われたことはない。
逆に「それもそうだよね」と納得してもらうことがほとんど。
昨年、祖父の遺影用の写真も撮った。その祖父ももう93歳。
いつどうなってもおかしくないのだが、今のところ元気なのが救い。
数年前と比べると、明らかに体力的にも精神的にも衰えているのが分かるので、辛い部分はあるが…。

それにしても年月の過ぎるのは早い。
来年はもう13回忌だよ…。
ついこの間だった気もするんだけどな。
たまに父が夢に出てくることもある。
50代のままの父だけど、姿も声もそのままの気がする。
生きていれば67歳。どんなふうに変わっていたのだろう。
周りで見かける60代の男性を見ても、いまひとつピンとこない。
やはり私の中では病に倒れる前の55歳の父で止まっているのだと思う。

最低限の外出だけで、今日はおとなしく家にいることにしよう。

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