ある程度、成長するまでは、
親元で育つのがベストだと思う。
うーん、
せめて高校卒業するまでは、、、。
大学からは、1人暮らしも普通だから、
もし離れるとしても、この年齢かな?
小学時代は、平日のみ両親と過ごし、
中学1年の頃から、両親と、
ようやく土日も一緒に生活することになったけど、
日曜日の朝起きると、いつも家に1人ぼっちだった。
親や兄が、毎週、日曜日の朝は、
喫茶店でモーニングをしているからだ。
1人で家に残された私は、
冷蔵庫の中から適当に朝食を作って、
自室で頂いていた。
当時は、言葉では表現が出来ない位、
とても寂しくて、よく泣いていた。
塾の友達のお家にお邪魔して、
そこの御家族と一緒に朝食を頂いたこともあったけど、
当たり前に、
食卓を囲みながら家族で談笑している姿がとても羨ましくて、
用意して下すった食事が滲んで見えなかった。
家族に『私も連れて行って!』と言えれば良いんだろうけど、
嫌われたくない!との思いから、口に出来ずにいた。
でも、中学2年の1月下旬のこと。
その日曜日も、やはり起きたら1人ぼっち。
親と兄は、モーニングした後、
その足で、
奈良の母方の祖父の所へ会いに行っていたのだ。
そこへは私もどうしても行きたかった。
(生まれた時から、奈良で育ったし!)
奈良から帰宅した家族に、
『何で、私だけ置いて、奈良へ行ったの!!』と、
この時、初めて我を忘れて暴れた。
多分、私の心の中には、
それまでの怒りも溜まっていたのだろう。
家族からは、
『じゃあ、次は一緒に行こう!』と。
でも、その2日後、大好きな祖父は亡くなってしまったのだ。
もっともっと家族に懐いていれば、
一緒に連れて行ってもらって、
祖父にも最後に会えたのかも知れない。
自分を攻め続けた。
奈良の伯父や伯母とも、大阪の家族とも、
何処にも居場所が無くて、
どんどん自分の殻を硬く分厚くしていったと思う。
今、振り返ってみると、
家族にとっても、
私の存在感は無かったんじゃないかな?
自己アピールが下手だったからね。
当時のクラス担任と母の交換日記の中で、
クラス担任が、
「生まれてから今までの、13年間があって、
こういうことになったのだから、
これから、また13年を掛けて、
あるべき形に戻っていけばいいのでは?」と。
仰る通り、それ位の年月を要した。
でも、やっぱり、、、いつも寂しいよ。
それと、一昨日、
母の糖尿病内科の担当医にお手紙を出した。
郵便局で、速達の扱いで送ったんだけど、
その時、バレンタインだったからなのか、
チョコレートを頂いた。明日は、父が退院する日だ。
朝から、病院へ行く予定。