ホーリーの日々

父が

今日、が荼毘に伏された。

この2日間、を前にして、
との思い出話をたくさんした。

「普通に考えたらね、
親父は今年の正月に亡くなってても不思議じゃないんだよ。
あの時はコロナ、インフルエンザ、敗血症のトリプルだったからね。
それを乗り越えて、次は足の壊死して、
高カリウム血症になっちゃってさぁ、
数日後には心不全を起こして、またも危篤に。
で、ようやく安定してきたと思えば、
今度は誤嚥性肺炎で、ついに!だったね。
でも、この半年間よく頑張ったと思うよ」
親父はさぁ、最後まで日本語が下手で、
主語の次がいきなり動詞でさぁ(笑)」
「家族が大好きで、友達みたいな親父だったよな
親父は俺が社会人として仕事を始める時、
これからは、如何に自分が馬鹿になれるか?が大事!
と言ったんだよ。
その言葉があったから、仕事が続けられてると思う」
等々と、泣いたり笑ったりして過ごした。

は、納棺の直前辺りから腰が抜けた
「色々とあったけど、子供たちを授けてくれて、
本当に有り難うね。
私が欲しがった物は全部買ってくれて、
コンサートに行っても、ず~っと車で待っててくれて、
それでも文句の1つも言わず、、、
貴方の優しさに今頃、気付いたわ。
私の前では、痛い!も苦しい!も言わないで、
最後まで男らしく見せてくれて亡くなっていっちゃったね。
もう貴方からの返事が無いの、とても辛いわ。
今まで家族の為に頑張って下さって本当に有り難うね。
彼方の世界では、痛みも無いでしょうし、
出来なかった呼吸も思いっ切り深呼吸してね。
長い間、お疲れ様でした」との頭や頬を撫でながら、、、。

確かに、
に対しては痛い!とか苦しい
と愚痴をこぼしていたけど、
何故かにだけは、苦しい表情は一切なく、
目を見開いて、元気な素振りをして、
息苦しさの中で途切れ途切れの会話をしたり、
手を強く握ったりしていた。

は私にのことをいつも聞いていた。
「おかっ、あ、さんっ、げ、んき、かっ?」ってね。
自身も満身創痍なのに、のことを心配して、、、
こんな感じだから、母の入院を父には知らせてなかった。
なので、
「うん、家で元気にテレビ観てるよ」って。

は、の部屋で祭壇の前に正座して、
父の身体を見ながら1人で泣いていた。
火葬場へ向かう道中でも、泣いちゃって、、、

なのに、、、
火葬を終えて、お骨になったを見た時、
の様子が少し違った。
突然、何かのスイッチが入ったように、
お骨を見つめ始めた。
生前、身体の悪かった所なんて特に見てた。
(壊死の部分、肋骨、大腿骨など)
兄嫁さんも、全く気付いてないみたいだが、
私にはの気持ちが伝わってきた。
(あっ、これは、、、
ひょっとして仕事での勉強材料にしてる?
こんな時に止めてよっ!!)と思ってた。
生前のの身体の状態を火葬場の担当の人と一緒に話ながら、
お骨を拾っていた。
全てが終わってからに言った。
「ねぇ、仕事モードになってなかった?」
「えっ?気付かれてたの?なんで分かった?」
「分かるよ、マジ止めてよ!」と。

長くなるので、続きはまた、、、

コメント一覧

リディア
てっちゃん、こんばんわ。
介護生活の中で、父からは感謝の言葉を何度も言われてました。
父の介護が出来たことは私自身も幸せでした。
家族愛が人一倍も強かった人でしたので。
兄にも感謝していると思います。
ただ、私の夢にも出てきて欲しいですが、、、。
てっちゃん
リディアさんが最後の最後まで介護していたので幸せだったはずですね 

お兄さんの夢にでてきたのもそんな思いがあったからですね 

ご家族のために平安を祈ります 
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