どこの家庭でも石ころの様に転がっている話だが。
今日は、母方の身内の遺産相続のことを少し。
その家族は、
後に、その1人が命まで落とす問題となった。
ある家庭に、
両親&子供が、男の子3人、女の子2人いた。
子供たちも成長し、各々に家庭を持ち、
父は先に亡くなり、母は介護の必要な状態だった。
母の介護は、長男の家族が看ていた。
(ここの部分が要点)
ここの家庭は、少し裕福な家だったので、
父親が亡くなった後、
母親は、子供たち5人に対し、
1人1億円ずつ、土地家屋も100坪程度、
各々に分配した。
ここの父親が残した総資産は、
現金が、27億円。
所有マンション、1棟、
(全戸、販売はせず、全て賃貸収入)
それと、
実家の土地家屋(評価額、6億円程度)。
この遺産で、揉めに揉める羽目に。
私が、まだ中学生の頃だっただろうか、、、。
ここからが、トラブルに、、、。
そこの母親が、介護の状態となり、
亡くなる3日前だったかな?
長男宅(子供たちの実家でもある)へ、
三男が妻と一緒に訪れ、
突然、母親をこの三男夫妻が連れ去って行ったのだ。
長男は、何が起こったのか、、、と、
呆気に取られている間に、母親を連れ去られたらしい。
僅か3日後、、、
母親が危篤となり、救急車が三男宅へ来た。
(ここも大事な要点)
母親は、病院で亡くなり、
葬儀も、凍り付いた様な空気だった。
母親が亡き後、息子たちは揉めたけど、
娘は一切、この問題に関わらず、、、。
その後、三男は、長男宅&次男宅へ、
毎朝6時、玄関前に行き、
クラクションを鳴らし続ける、
(約2時間くらい?)
罵声をあびる日々が続いた。
平日でも日曜祝日も容赦なし!!だ。
三男が仕事終わった後も玄関前に現れ、
深夜まで、クラクションが鳴り響く、、、。
少し余談だが、、、
実は、この時期、次男の子供は、
医学部受験を翌年に控え、勉強中だったのだが、
騒がしい中での勉強は大変だったと思う。
(私なら、集中できないけどね)
この状況下で、よく頑張って合格してくれたものだ。
(親戚全員が言ってた)
話を戻して、、、っと。
長男宅&次男宅は、高級住宅地ということもあり、
静かな所であるべきはずだが、
毎朝、この騒がしさだと御近所には、
本当に本当に迷惑をお掛けしたと思う。
三男が暴れて始めて数ヶ月後、
この3兄弟で裁判することになった。
裁判では、
「誰が母親を最後まで看取ったのか&
遺産の分配」ということが争点となった。
各々の言い分は、こうだ。
長男
僕たち夫妻で、ずっと母親を看てきたから、
全て自分が貰うべき。
次男
兄貴が看てきたから、兄貴に全て渡す。
自分は、
母より生前分与された遺産だけを欲しい。
(生前分与のことは、
冒頭の方でも書いているので、省略)
三男
僕の自宅で、死ぬまで母がいたから、
親父さんの残した総資産は、僕の所有であり、
兄貴たちは、無一文の裸一貫となって、
全てを明け渡す必要がある!!
パッと見ると、
じゃあ、誰が母を看取ったの?と思うけど、
全員、言ってることが間違ってはない。
長男宅で母を介護していたのも、
周りで見てきた親戚たちも認めている事実で、
三男宅で、母が亡くなるまでいたのも事実。
こうなると、余計に裁判で揉めるのだ。
そんな中、次男が日々のストレスが蓄積されたのだろう。
ある日の朝食後、突然、胸を押さえて倒れ、
そのまま亡くなった。
これは身内からすれば - コチラをクリックでも書いたので省略。
次男の葬式の時、裁判中ということもあり、
次男の妻は、母との会話の中で、
「主人が亡くなっちゃったし、
もう私は、頼るところが無くなっちゃったわ。
その上、このお家もお金まで取られちゃったら、
子供達と私は、何処へも行くところも無いの。
路頭に迷っちゃったわ」と。
この時点で、
余談でも書いた次男の子供は研修医となっていた。
そちらは上の子で、下の子供が高校生だった。
下の子も、後に医師の道へ。
次男の妻の話では、、、
生前、次男は、
もし、無一文になったら、子供たちの教育費は?
自分達の老後は、、、と相当に悩んでいたそうだ。
上の子が、まだ大学2年の時だろうか、、
こんなことを発言したらしい、
「僕が医者として一人前になるまで、
もう少し待ってて!!!!
今まで掛かった学費とか、
叔父ちゃまに請求されてるなら、
一生懸命に働いて返済するから!
たとえ、無一文になっても、
○○(下の子の名)を絶対に進学させるから安心して。
ここの家を奪われても、また僕が買ってあげるよ!
だから、もう少しの辛抱だ。
家族みんなで、頑張って乗り切ろう」と話したらしい。
この次男の子供も、
そんなメンタルの中で、勉強をやり続けるのも、
人並み以上の精神力が必要だと思う。
まぁ、小さい頃から、
誰にでも優しくて、お勉強も大好きで、
3才で、全国の列車を全て覚えたり、、
という感じで、
高校の頃には、全国模試で総合4位の成績にもなった。
そんな子の人生を叔父に妨害されそうになってしまい、、、。
ってか、
1円たりとも三男から借りてるお金は無いのだから、
返済も何も必要ないんだけど、
この三男を黙らせるには、、、と考えたのだろう。
もちろん、次男は親としても、
子供たちに負担を掛けてることは辛かったことだろう。
弟による嫌がらせで、もう限界だったのかな?
享年56歳だった。
その後、三男は、次男宅の玄関前に行き、
「もう兄貴は居ないんだぞ!
君たちは、家財道具の一切を残して、
裸一貫となって、出て行きなさぁ~い!
居座るなら、家賃を僕に払いなさい!!」
と叫ぶ日々が続いた。
三男は、長男宅の前でも、
「全ては、僕の物だ。
現金と、この家、マンションも
早急に、僕に明け渡しなさい!
このままだと、兄貴は泥棒と同じだろ!」と。
今なら、こんなことになれば警察に相談し、
何らかの対応してもらえるだろうけど、
当時は、警察も
「家族内の問題は、家族で解決して!」
と通報しても帰られたのだ。
なので、どうしようも出来ず。
う~ん、
家庭内だけの問題だけじゃなく、
御近所にも大変な迷惑をお掛けしているんだけどぉ。
裁判では、兄弟達を見てきた親戚たちも証言したりして、
決着なんてことは、どんどん遠退いていき、
泥沼になっていった。
死者も出ていることだし、
泥沼どころの騒ぎではないかな?
親戚たちは、長男を支持している。
でも、、、すぐに身を引く三男ではなくて。
次男は亡くなったので、
代わりに次男の妻が引き継いだ。
それからは、何年も裁判に掛かったけど、、、
幼児期の頃、漠然とではあるが、
母方の身内達を見ていて、
いずれ揉めるのは避けられないことかな?と感づいていた。
こういう情景を学生時代から、
身近で見て育つと、
世の大人達は皆、汚れているんだ!と思ってしまう。
私が個人的に思うことは、
財産って、貰うものではなく、
各々が自分で増やすものだと思う。
というのも、私の父が、そうだから。
父は、自分の父親を3才で亡くし(戦病死)、
母親には、恋人と駆け落ちされたので、父は捨てられてしまった。
幼い伯母と父は、
ゴミをあさって、子供時代を生きてきた。
0から?いや、マイナスからのスタートだろう。
そこから一代で、這い上がって財を築いてきた。
もちろん、ここまで来るのに、
他人には言えない苦労もあったことだろう。
父の苦労のお陰で、
私達家族は、何不自由なく過ごさせてもらった。
これは想像だけど、、、
父の心の中には、
母の身内達への「負けてたまるか!」
との思いも強かったのかもしれない。
ハングリー精神だったのかな?
親が残した財産を取り合うより、
子供たち自身が、
財を生み出すことに力を入れるほうが、
ずっと立派な人間だと思うんだけどなぁ。