最近ようやく紗良の生活リズムが整ってきだし、発作もほとんど落ち着いてきました。そしてようやく闘病のころを振り返る余裕がでてきたのです。
紗良が生まれたのは平成20年4月2日です。お姉ちゃんの佑月(ゆづき)が帝王切開だったので二人目の紗良は予定帝王切開でした。予定日より2週間早かったのですが3444gと大きく出産時は何の問題もなく生まれてきたはずでした。
しかし生後3日目に部屋に初めて運ばれて来た後、両手足のけいれん、眼球の偏り、足のつっぱりに気がつき次の日に看護士さんに伝えるとナースステーションでの夜中じゅうの観察で医師がけいれんを確認し、生後5日目には奈良医大のNICUに転院となりました。
医大でのフェノバール服薬でけいれん発作はなくなり、診断は「新生児けいれん」ということでした。てんかんではなく軽い良性のけいれんなので心配ないだろう、、と言われ1ヵ月後退院しました。GW直前のことでした。
そのGW中に胃腸風邪をひき、咳と下痢に苦しんでいた紗良でしたが急に咳とともに泣き叫びびくっとする変な動きを6回くらい連続して繰り返していることに気づきました。そのときは眼球も激しく右上に偏っています。そういえばミルクを飲ませるときも足は突っ張るし上体は後ろに反るし飲ませにくく、母乳はかなりの忍耐が必要だということですぐに完全ミルクになってしまっていました。夜中、なぜか嫌な予感がしてビデオでけいれんの様子を撮っていました。
1ヶ月健診のとき、ビデオを医師に見せたところ「ややこしい病気かもしれないので緊急に検査入院して脳波などとりましょう。」と言われましたが里帰り出産で2ヶ月以上も姫路に戻っていなかったのでその日の午後、早速紹介状を持って姫路日赤に緊急入院しました。
入院二日目の午後に今は断定できないけど脳波と発作状況からするとEMEかEIEEだろうと診断されました。その日の晩4人部屋のベッドで無言で泣きました。でも明日から病気のことで泣くのはやめにしよう、と決めました。泣くのは紗良がもし先に死んだときでいい。周囲の人たちが十分悲しんで嘆いてくれるから、私たち家族は紗良のためにできることを見つけて紗良が笑っていられるような環境を作ろう、、と思いました。