水道・ガス・電気が復旧してだいぶ落ち着きました
しかし、いまだガソリン不足
3月11日
あの日私はお布団を製造販売している友人の
工場での展示会へいってました
大きな古い工場の2階で
友達と連れ立って行ったので
3人でいました
あれこれと品物を観て周り
工場内も見せて頂き
『とても古いから地震なんかがきたらきっと大変かも』なんて
今となっては、妙に暗示したような話をきいてました
どれほど古いかっていうと
私が小学校3年ごろに新しい体育館を作るために
払い下げになった“講堂”だから
あれから40年・・・・それまでも40~50年
そして運命の2時46分
買い物も決まってお支払いしようとお金を出した時に揺れ始めました
地震のメッカともいえる(冗談抜きで数年前には栗駒山での大地震、その数年前には震源地にほど近い大地震など、数年おきの地震を体験してましたから)ここでは
“あ、また地震?”くらいに初めは思っていました
ちょっと待てば収まるでしょう・・・くらいに
ところが揺れはだんだん大きくなって
ブルーヒーターは耐震が働いて止り
電気が消えて非常灯だけがついている暗がり
非常ベルが鳴りだして
何かの為に立ちあがった家主の友人は
飛ばされて
私たちは抱き合って待つしかなかったのです
その間に、バッグに手を伸ばし携帯を取って
(きっと倒壊して捜索される人になってしまう、その時の為に携帯を持っていなければ)
そう思うくらいに大変な揺れでした
周りのモノは倒れてきても
幸いお布団ばかり
助けられました
気持ちがしっかりしている
一緒に行った友人は
『大丈夫』とずーっと励ましてくれて
『揺れが小さくなってきたら、すぐに外に出ましょう』
と、ちょっとのすきに階段を駆け下り外へ
強い余震は続くばかり
取るものもとりあえず友人と車にのって
町中を避けて
田んぼの中を車で帰りました
途中で分かれて走って自宅へ・・・・・
ちょうどに夫がガススタから戻ってきたところでしたが
幸いだったこと・・・①
家族の居場所がすぐに分かったこと
夫と長男は会社で仕事中
義父はデイサービス
長女と二男は自宅に戻ってました
(ここはのちほど)
次女は仙台で働いていますが、おそらく大学病院なので大丈夫だろう
それぞれの安否を確認して夫はすぐに会社へ戻って行きました
幸いだったこと・・・②
娘と次男は石巻のショッピングモールへ行っていたのに
まったくつまらないからと帰ってきた事
石巻はご存知の通り県内でも被害が大きかったところのひとつ
11日の津波の水が町からなかなかひかなくて
そのショッピングモールは600人ほどの人がその日から出られなくなっていました
(それも数日たってラジオで聞きました)
幸いだったこと・・・③
余震の合間にお風呂を掃除してまだ少し出ていた水をいっぱいに汲んでおいたこと
なにも考えてはいなかったのですが、なんとなくそうしました。
(考えるゆとりなどないほどに強い余震が続いていて、なんども外に避難してました)
幸いだったこと・・・④
ガスがその日のうちから使えた事
最近はオール電化のお宅が多くなってきましたが
ご近所はほとんどがプロパンガス
ご飯もみそ汁も水さえあれば心配ありませんでした
*オール電化のお宅は大変でした
幸いだったこと・・・⑤
反射型ストーブと灯油があった事(3台あったので、茶の間と台所と使えて助かりました)
暖を取るのにこれで助かりました
ファンヒーターは電気がないとダメでしたし
幸いだったこと・・・⑥
古い井戸があった事
普段は使っていませんでしたが
この井戸水のおかげで給水車に並ばなくてもよかったのです
(義父が昔、町水道もなくて困っていたときに
井戸掘りに頼んで100メーターほど深く掘ったものでしたから
地震でも水が濁らなくて地域の皆さんも使う事が出来ました
ここまで書いたら
なんか急に虚しくなってきました
全てラッキーがそろったために
大変で不自由ながらも
今は少しずつ以前の暮らしになりつつあるのに
これは地震だけだったからの話で
これにテレビの映像で見る津波がやってきたらと思うと
でも、許して下さいね
携帯が5日間使えなくて
やっと通じるようになってから
沢山の方達から
安否を気遣うお電話やメールを沢山いただきました
皆さんあまりの災害の大きさに
連絡を取るのも恐ろしくてとおっしゃるので
なんの心配もいらないくらいに
過ごせておりますと言いたかったのです
地域の皆さんと
私たちはまだ元気でいられるだけ有難い
だから、助け合って頑張りましょうねって
乗り切ってきました
震災の日は家族みんなで茶の間に6人雑魚寝
翌日ポストに号外の新聞が入っていました
日本は凄いです
電気も水道も携帯もなくても
各家々に新聞が配られたんです
各々の使命を全うしようと
被災地でも原発でも
沢山の人達が頑張っています
これが日本の凄さなんじゃないかと思います
今日も時々“ミシミシ”と小さな余震は続いています
しかし、いまだガソリン不足
3月11日
あの日私はお布団を製造販売している友人の
工場での展示会へいってました
大きな古い工場の2階で
友達と連れ立って行ったので
3人でいました
あれこれと品物を観て周り
工場内も見せて頂き
『とても古いから地震なんかがきたらきっと大変かも』なんて
今となっては、妙に暗示したような話をきいてました
どれほど古いかっていうと
私が小学校3年ごろに新しい体育館を作るために
払い下げになった“講堂”だから
あれから40年・・・・それまでも40~50年
そして運命の2時46分
買い物も決まってお支払いしようとお金を出した時に揺れ始めました
地震のメッカともいえる(冗談抜きで数年前には栗駒山での大地震、その数年前には震源地にほど近い大地震など、数年おきの地震を体験してましたから)ここでは
“あ、また地震?”くらいに初めは思っていました
ちょっと待てば収まるでしょう・・・くらいに
ところが揺れはだんだん大きくなって
ブルーヒーターは耐震が働いて止り
電気が消えて非常灯だけがついている暗がり
非常ベルが鳴りだして
何かの為に立ちあがった家主の友人は
飛ばされて
私たちは抱き合って待つしかなかったのです
その間に、バッグに手を伸ばし携帯を取って
(きっと倒壊して捜索される人になってしまう、その時の為に携帯を持っていなければ)
そう思うくらいに大変な揺れでした
周りのモノは倒れてきても
幸いお布団ばかり
助けられました
気持ちがしっかりしている
一緒に行った友人は
『大丈夫』とずーっと励ましてくれて
『揺れが小さくなってきたら、すぐに外に出ましょう』
と、ちょっとのすきに階段を駆け下り外へ
強い余震は続くばかり
取るものもとりあえず友人と車にのって
町中を避けて
田んぼの中を車で帰りました
途中で分かれて走って自宅へ・・・・・
ちょうどに夫がガススタから戻ってきたところでしたが
幸いだったこと・・・①
家族の居場所がすぐに分かったこと
夫と長男は会社で仕事中
義父はデイサービス
長女と二男は自宅に戻ってました
(ここはのちほど)
次女は仙台で働いていますが、おそらく大学病院なので大丈夫だろう
それぞれの安否を確認して夫はすぐに会社へ戻って行きました
幸いだったこと・・・②
娘と次男は石巻のショッピングモールへ行っていたのに
まったくつまらないからと帰ってきた事
石巻はご存知の通り県内でも被害が大きかったところのひとつ
11日の津波の水が町からなかなかひかなくて
そのショッピングモールは600人ほどの人がその日から出られなくなっていました
(それも数日たってラジオで聞きました)
幸いだったこと・・・③
余震の合間にお風呂を掃除してまだ少し出ていた水をいっぱいに汲んでおいたこと
なにも考えてはいなかったのですが、なんとなくそうしました。
(考えるゆとりなどないほどに強い余震が続いていて、なんども外に避難してました)
幸いだったこと・・・④
ガスがその日のうちから使えた事
最近はオール電化のお宅が多くなってきましたが
ご近所はほとんどがプロパンガス
ご飯もみそ汁も水さえあれば心配ありませんでした
*オール電化のお宅は大変でした
幸いだったこと・・・⑤
反射型ストーブと灯油があった事(3台あったので、茶の間と台所と使えて助かりました)
暖を取るのにこれで助かりました
ファンヒーターは電気がないとダメでしたし
幸いだったこと・・・⑥
古い井戸があった事
普段は使っていませんでしたが
この井戸水のおかげで給水車に並ばなくてもよかったのです
(義父が昔、町水道もなくて困っていたときに
井戸掘りに頼んで100メーターほど深く掘ったものでしたから
地震でも水が濁らなくて地域の皆さんも使う事が出来ました
ここまで書いたら
なんか急に虚しくなってきました
全てラッキーがそろったために
大変で不自由ながらも
今は少しずつ以前の暮らしになりつつあるのに
これは地震だけだったからの話で
これにテレビの映像で見る津波がやってきたらと思うと
でも、許して下さいね
携帯が5日間使えなくて
やっと通じるようになってから
沢山の方達から
安否を気遣うお電話やメールを沢山いただきました
皆さんあまりの災害の大きさに
連絡を取るのも恐ろしくてとおっしゃるので
なんの心配もいらないくらいに
過ごせておりますと言いたかったのです
地域の皆さんと
私たちはまだ元気でいられるだけ有難い
だから、助け合って頑張りましょうねって
乗り切ってきました
震災の日は家族みんなで茶の間に6人雑魚寝
翌日ポストに号外の新聞が入っていました
日本は凄いです
電気も水道も携帯もなくても
各家々に新聞が配られたんです
各々の使命を全うしようと
被災地でも原発でも
沢山の人達が頑張っています
これが日本の凄さなんじゃないかと思います
今日も時々“ミシミシ”と小さな余震は続いています