てっきり妖怪たちが戦うシリアスな映画なのかと思いきや。(^^;)
なんか、昔の人のよき(?)日本人って感じの妖怪たちが、
お祭りわっしょいなんですよ~。
映画にはいろいろなメッセージが込められている感じでした。
あと、昔の特写やアニメにみられるエロチックな要素もありました。
だから多分、大人も見ていて楽しんじゃないかなぁと。
親子には最適映画だろなと。
あとね、シリアスというよりは上に描いたように、
コミカルな部分が大きいかも。
カッパ役(川太郎役)で阿部サダオがやっているんですよね。
私、安部さんのこと結構好きでチラシで随分前にチェックして
知っていたはずなのに、映画を見ている間、全く気づきませんでした。
それくらいメイクもすごいんだけど、めちゃめちゃ情けないカッパ
なんですよね(^^;)。
子どもたちに大うけでした。
あんな役もできるのね、サダオさん。
さすがです。
今回の大きな悪役として加藤さんが出てきます。
(悪役が「加藤」さんっていう名前ってのもなんか笑えたけど)
その加藤さんが人々が必要なくなったからと捨てたものたちの恨みを
化け物としてよみがえらして、人間に復讐しようとするんだけど、
その化け物を作るには妖怪の命と捨てられたものを合体させなくては
ならなくて、加藤が次々に妖怪を捕まえていくんですよね。
それを麒麟送子に選ばれた苛められっ子の男の子ただしと、妖怪たちが
心の成長を遂げながら共に立ち向かってそれを阻止するって物語なんです。
でも、大抵の妖怪がその阻止に手を貸そうとしないんです。
例えば唐傘は「おれ、傘だから。」と断り、
塗り壁は「おれ、壁だから。」と断り。(^^;)
これって日本人特有の事なかれ主義ですよね。
でも、一部の妖怪は麒麟送子とともに、加藤が向かった
怨念の都「東京」へと加藤を追っていくんですよね。
で、ここでまた面白いんですけど、
「東京が大変なことになってる。」ということが、妖怪が口伝えで
東京を中心に日本各地に伝えていくんですけど、だんだんとそれが
いつの間にか、「東京で大きなお祭りがある。」になっていくんですよね。
口伝えのいい加減さというかなんていうか。
昔、メディアの発達してない頃にはよくあったんだろうなぁと。
今でも噂話なんかがそうか。
で、東京へ戦いに行くことを断っていた妖怪たちも「お祭りだ!」って
喜んで東京に向かうんですよね。
そして東京に日本各地から集まった妖怪たちは加藤たちと
戦っている麒麟送子たちと合流することになるんだけど、
戦っているのを「おぉ、けんかまつりかぁ!」って大盛り上がり。(^^;)
もう、お祭りわっしょい絶好調って感じで。
ことの本質を知らずして戦いに知らずと参加しているんですよ。
お間抜けな描写で描かれていたんだけど、怖い構図ですよね。
で、結局、戦いに無関心で自分の小豆の数ばっかり気にしていた
小豆とぎがたまたま落とした一つの小豆のおかげで加藤の野望は
崩れるんだけどね。
一粒の小豆が世界を救いました。
あと、いいなぁと思った台詞で。
「僕は初めて真っ白なうそをついた。」って台詞があるんですよね。
「自分のためにつくは真っ赤なうそ。そして人のためにつくのは真っ白なうそ。」
正直ばかりがいいわけではないんですよね。
時には嘘が人の心を軽くしたり、救ったりする。
そして、その嘘は大人への入り口だと主人公はいう。
で、この物語のラスト、主人公が大人になったその後まで描かれているんだけど、
大人になった主人公はもう妖怪が見えなくなっているんですよね。
大人になってしまったから。
主人公がためらわずゴミ捨てをするシーンで自分に気づいてくれない主人公を
悲しむすねこすり(妖怪)と加藤がうっすらと写って終わるんだけど、
子どものころに思ってたことって、大人になったら忘れてしまうこと多いよね。
多分、私も気づかずと忘れていることが多いんだろうなぁと思わされました。
最後のこのシーンには映画を見ていた子どもは「まだ終わらないの?」と
飽きが来ていたようでそんな声が聞こえてきました。
映画館って自分だけでなく、人の反応が分るから楽しい。
おっと、主人公の心の成長についてほとんど触れてないね。
それが主題かもしれないんだけど、あんまりそれは印象的でなかったので。
私の気持ちの状態によるものかも知れないけどね。
とにかく、お祭りわっしょい状態な妖怪たちが一番印象的だった私です。
コメント一覧
ちくわぶ
たもと
最近の「映画」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事