私は今迄,毎日会う・・・つまり,同居している人が死んだ事は
今の所ありません。
遠方に住んでいて一年のほとんど会うことのない大切な人の死は
経験はしているものの,毎日会う訳ではないので死んでしまった
前と後での生活の差はあまり生じない。
だからどこかしら死に直面せずに済むところがあったように思う。
けれど同居している人間が急に亡くなったとしたら,
生活面には大きな変化が生まれる。
その時,私はどう思うのだろう。
今日はある人の葬儀に行けなかったので一人お家にお祈りに行ってきました。
葬儀は一週間前にありました。
葬儀に行かれた方の話によると,御家族の人たちは何が起きたのか,
把握されてないようなそんな感じだったと言われていた。
一週間たった今,どんな気持ちでいるのだろうと考えたけど
もう想像ができなかった。
私の基準で考えると相当辛いのではないだろうかという事しか
思い描くことはできなかった。
しかし,お宅にお邪魔するとそこの子が「こんいちは!」と元気に挨拶をしてくれた。
かえる時も「じゃ,また!」と元気よく言ってくれた。
それも笑顔で・・・・。
なんか,その笑顔を見て,頭の中はパニックに近い状態になりました。
絶対,辛いはずなのに,元気に振る舞うその姿を見て・・・
すごく自分失礼な考えをしてたのかなと思ったし,
その子からすごく学んだ気がしました。
死をいつまでも悲しんでもしょうがないんですよね・・・。
でも,なんかその姿が私の中でなんとも言えない気持ちとなって響きました。
どう表現したらいいんだろう。
原付で行ったんだけど,帰りは原付で突っ込んでバラバラになって
しまいたいくらいの気持ちになった。やるせないっていうんだろうか。
頭の中がぐちゃぐちゃしてすっきりさせたくてぶつかりたいという
衝動が走りました。
自暴自棄って感じかな。
昔もこんな事で大怪我したことあります。
そん時は自転車で独り相撲だったんですけどね。
足から流血がすごくて肉も少し抉れてお母さんにすごくびっくりされました。
でも,転んで血を流してやっと冷静になれたな,あの時。
その時の気持ちと似ていたな,今日。
でもちゃんと自制心が働いたから大丈夫でした。
家に帰ってからもなかなか気持ちが落ち着かなくて,電話をかけ捲りました。
ほとんど捕まりませんでしたが。
でも一人捕まって,全く関係ない話をして,少し気持ちが落ち着きました。
死と生,どんな違いがあるんでしょうね。
生きているって本当に不思議だなと思います。
私達は粒子の集まりでその集まり方で統合の意志を持って個として存在出来るんですよね。
粒子なんだからいつ,バラバラになったっておかしくないのにね。
けれど統合の意志が個からなくなれば,つまり死ねば粒子はそれぞれの意志を持って離れていく。
存在している理由は分からなくても,個として存在しているという奇跡は素晴らしいと
私は思っています。
だからこそどの存在も大切とそう思えるようになりたい。
そうできてないから,そう思うんだけど(^^;)。
今日はそんなことを考えました。
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