福岡タワーとの対話

タワーと出会い早30年。動画制作にも意欲を持つ令和版高齢者!

母逝く

2020年12月31日 03時26分40秒 | 閑話休題
2020年12月31日木曜日、天候曇り。午前3時20分現在時外気温2.2℃湿度72%、北西の風7m/s。
これは昨日の気象予報。
博多はこれからだんだんと、気温が下がると予報あり。
窓外は気持ち良い太陽が眩しい。
勤務先は29日から年末年始の休みに入った。
当方、先週の25日金曜日から休暇に入っている。
次、出勤日は来週4日月曜日で、10日間の休みとなった。


そして、これが今の予報。
2020年12月31日木曜日、天候晴れ。外気温1.6℃湿度72%、北北西の風10m/s。窓外は風強い。

昨日から北風が強い。

昨日、チャリで町中をブラつくも、向かい風強く難儀をした。
ホームセンター〜スーパー〜レンタルショップ・・・久びさに映画ブルーレイ版借りた、7本。
コロナ感染者急増に伴い、年末年始は「Stay Home」
福岡県も感染者数急増

政府も、緊急事態宣言発出の可能性もちらつかせる。
まことに厄介な事態だ。

さて、
先週12月24日木曜日、母逝去。
享年100歳(正確には100年と10日間)

出張先の熊本で逝去の報。一通り業務を片付け、急ぎ博多へ。
40年ほど前の父逝去時の報も出張先だった。あのときは長崎。

12月25日お通夜式
12月26日告別式
コロナ禍であり、近親者のみの家族葬で行う。

週末はお袋の写真や形見を整理。数多くの写真が有る。
写真を見ながら思い出すのが、お袋がよく歌っていた『雪椿』だ。
♫つらくても がまんをすれば
きっと来ますよ 春の日が♬

(2000年頃のお正月、佐賀県三瀬村で撮影。前日来の雪が残る情景だった)

100年の間には私の知らないこと数多くのことも有っただろう。
大正・昭和・平成・令和と・・・
100年・1世紀という時間はすごいな、とつくづく思う。

今は未だ、精神的落ち着き取り戻すまでに至らず。
自分で言うも何だが、私とお袋との親子関係はまさに、濃いもので有ったと思う。
末っ子の長男として生まれ、随分と可愛がって貰った。

大家族8人兄弟の3女として大正9年12月、商店主のもとに生まれ、
商店街に有った当時の店先で、近所の友だちと遊び、
酒造元の友人の家で、酒粕のお菓子を頂いたこと。
金物店を営む父(祖父)の厳しかったこと。
鉢植えの店に生業を変え、喫茶店や多くの企業に配達したこと。
高等女学校を出て、和裁師の修行に出たこと。
等々。
母の語る昔話は今でも良く覚えている。
沖縄出張の土産に、芭蕉布で作った財布を手渡すととても喜んでくれた。
「あんたは33歳の厄で生んだ子やきにね(子だからねの意)」が口癖で、良く語ったことも懐かしい。
「人に嫌ごと言わんこと」
転身赴任先から帰宅すると、
「帰って来たとやね、待っとたよ」
「もう何処へも行かんで、ずーっと家におんなさい」

80歳ごろより自宅で家内の介護を受け、ディサービスを受けていたが、
10年ほど前に特養に入所、家内には本当に感謝感謝。

そして12月24日に逝った。

二日間、お袋の身辺整理。施設時の衣類、遺品、写真・・・
何もかもが懐かしく、愛おしかったが覚悟の断捨離。

母のロスト感を当分の間、引きずるかも知れないが、
それは母の望むことでは無かろうし、少しでも早く立ち直ることが唯一、母への餞となろうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。