2019年12月10日火曜日、佐賀県吉野ケ里周辺天候晴れ。午後0時40分現在時外気温14.2℃湿度58%、西北西の風1.5m。
気温も幾分和らぎ、気持ちの良いお天気。
今日は佐賀県にやって来た。
吉野ケ里遺跡で一躍名を馳すエリアであるが、
余りにも太古の時代であり、ちょっとピンと来ない(泣)
明後日も佐賀県内での業務、隣県ではあるが来る用事も然程に無く、数ヶ月前の唐津市以来である。
さて、
『豊後国・岡城址を往く』は今回で完結する。
私が訪れたこの日は曇天の冬の空、陽の差さない夕刻であった。
紅葉を透かして見るでもなく、ディフューズのかかったフラットな光線は、
紅葉本来の色を見せてくれた。
曇天の空と紅葉の対比は、地味な色合いそのものであったが、
『質実剛健』と言う、日本古来の趣を見る思いがした。
地味な立ち居振る舞いの中に、一瞬見せる立ち会いの鋭さ。
剣豪の趣とでも言おうか。
春になれば、傾いた木々にも桜花を見ることが出来よう。
かすむ先に、由布・九重・大船等の山々を遠望出来る。
時の城主は遥かな山々を望みながら、何を思ったであろう。
所領の平和か安穏か、はたまた他国侵略の野望か。
それとも一節を吟じたか。
そしてこの人も、はるかな先を見つめていた。
滝廉太郎立像。
ここで『荒城の月』のおさらいしておこうか。
『荒城の月(こうじょうのつき)』は、
土井晩翠(どいばんすい)作詞、滝廉太郎作曲による日本の歌曲。
七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した名曲。
明治34年(1901年)に中学校唱歌の懸賞の応募作品として作曲された。
原曲は無伴奏の歌曲であった。
歌詞は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。
原題は『荒城月』。
歌碑は全国に4箇所設置されている。
土井晩翠が詞を構想したとされる
1)宮城県仙台市の青葉城址、
2)福島県会津若松市の鶴ヶ城址。
滝廉太郎が曲を構想したとされる
3)大分県竹田市の岡城址、
4)富山県富山市富山城西側。
歌詞
春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ
今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐
天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月
歌詞の意味・現代語訳
1.
春には城内で花見の宴が開かれ
回し飲む盃(さかづき)には月影が映る
千年の松の枝から こぼれ落ちた
昔の栄華は今どこに
2.
秋の古戦場 陣跡の霜に静寂が満ちる
空を行く雁の群れの鳴き声
敗れた兵の地面に刺さった刀に映る
彼らの命の輝きは今どこに
3.
今や荒れ果てた城跡を
夜半の月が照らす
昔と変わらぬその光
主も無く 誰のために
石垣に残るは葛のツタのみ
松の枝を鳴らす風の音のみ
4.
天上の月が照らす影は今も変わらず
されど世の中の栄枯盛衰を
今もなお映そうとしているのか
ああ 荒城を照らす夜半の月よ
作詞した土井晩翠の『荒城の月』の真意を、ここで想像するのは止そう。
また、その詞に曲を重ねた滝廉太郎を語るのも、ここでは野暮ったい。
それぞれ想像も思いを語ることも、ご覧の読者諸兄に委ねたい。
長年の願いであった岡城址登城を今回、果たせたことだけで、
私は充分満足であった。
気温も幾分和らぎ、気持ちの良いお天気。
今日は佐賀県にやって来た。
吉野ケ里遺跡で一躍名を馳すエリアであるが、
余りにも太古の時代であり、ちょっとピンと来ない(泣)
明後日も佐賀県内での業務、隣県ではあるが来る用事も然程に無く、数ヶ月前の唐津市以来である。
さて、
『豊後国・岡城址を往く』は今回で完結する。
私が訪れたこの日は曇天の冬の空、陽の差さない夕刻であった。
紅葉を透かして見るでもなく、ディフューズのかかったフラットな光線は、
紅葉本来の色を見せてくれた。
曇天の空と紅葉の対比は、地味な色合いそのものであったが、
『質実剛健』と言う、日本古来の趣を見る思いがした。
地味な立ち居振る舞いの中に、一瞬見せる立ち会いの鋭さ。
剣豪の趣とでも言おうか。
春になれば、傾いた木々にも桜花を見ることが出来よう。
かすむ先に、由布・九重・大船等の山々を遠望出来る。
時の城主は遥かな山々を望みながら、何を思ったであろう。
所領の平和か安穏か、はたまた他国侵略の野望か。
それとも一節を吟じたか。
そしてこの人も、はるかな先を見つめていた。
滝廉太郎立像。
ここで『荒城の月』のおさらいしておこうか。
『荒城の月(こうじょうのつき)』は、
土井晩翠(どいばんすい)作詞、滝廉太郎作曲による日本の歌曲。
七五調の歌詞(今様形式)と西洋音楽のメロディが融合した名曲。
明治34年(1901年)に中学校唱歌の懸賞の応募作品として作曲された。
原曲は無伴奏の歌曲であった。
歌詞は、東京音楽学校が土井晩翠に懸賞応募用テキストとして依頼したもの。
原題は『荒城月』。
歌碑は全国に4箇所設置されている。
土井晩翠が詞を構想したとされる
1)宮城県仙台市の青葉城址、
2)福島県会津若松市の鶴ヶ城址。
滝廉太郎が曲を構想したとされる
3)大分県竹田市の岡城址、
4)富山県富山市富山城西側。
歌詞
春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)
巡る盃(さかづき) 影さして
千代の松が枝(え) 分け出でし
昔の光 今いずこ
秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁(かり)の数見せて
植うる剣(つるぎ)に照り沿いし
昔の光 今いずこ
今荒城の 夜半(よわ)の月
変わらぬ光 誰(た)がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐
天上影は 変わらねど
栄枯(えいこ)は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月
歌詞の意味・現代語訳
1.
春には城内で花見の宴が開かれ
回し飲む盃(さかづき)には月影が映る
千年の松の枝から こぼれ落ちた
昔の栄華は今どこに
2.
秋の古戦場 陣跡の霜に静寂が満ちる
空を行く雁の群れの鳴き声
敗れた兵の地面に刺さった刀に映る
彼らの命の輝きは今どこに
3.
今や荒れ果てた城跡を
夜半の月が照らす
昔と変わらぬその光
主も無く 誰のために
石垣に残るは葛のツタのみ
松の枝を鳴らす風の音のみ
4.
天上の月が照らす影は今も変わらず
されど世の中の栄枯盛衰を
今もなお映そうとしているのか
ああ 荒城を照らす夜半の月よ
作詞した土井晩翠の『荒城の月』の真意を、ここで想像するのは止そう。
また、その詞に曲を重ねた滝廉太郎を語るのも、ここでは野暮ったい。
それぞれ想像も思いを語ることも、ご覧の読者諸兄に委ねたい。
長年の願いであった岡城址登城を今回、果たせたことだけで、
私は充分満足であった。
近くにあり、たしか。「花」の歌碑が、有ったように思えます。
毎日、何気なく前を通過しています。
あけましておめでとうございます。
コメントありがとうございます。