前回の当麻寺から随分時間が経って、もう初夏に近づきつつある。
とはいえ、西暦700年、今から1300年ほど前という時間から見れば、たいした時間ではない。
当麻寺という建造物から見てみると、最初に建立されてから、焼けたり、付け加えられたりして今の当麻寺があるわけで、建築、歴史文化の専門家から見ると、1300年ほどの絵巻がこの中に読み取れるのだろうな、と思うと、お金を払って文化財だけを見てまわってもだめなんだな、と思う。
そもそもは何だったんだ、という雑な言い方をすれば、「当麻氏」の領地であったところに建てられた「氏寺」だったらしい。
当麻氏というのは、用命天皇から枝分かれした王族であったらしい。
当時の寺の建て方からすると、南に門があり、左右(東西)に三重塔、そして奥、中央に金堂が配置されその金堂に本尊がまつられる、という姿があった。
南の門は即ち南大門
造りは東大寺も同じなのだけど、不思議な事にこの寺は門から金堂を見下ろす、という変な形になっている。
そもそも、二上山のふもとで平らではないところに建立されたが故に、
言い換えれば、そこが当麻氏の祀りの場所だったからこその建て方になっているんだろうね。
そして時代はぐっと下がって、この寺は法然上人の浄土宗の寺となった。この時に東に正門が作られ、その奥に講堂、即ち西方浄土を向いて、二上山に沈み行く夕日を拝む、という構図になったようである。(詳しく調べていないので間違っているかもしれません)
この写真の奥が講堂、右が金堂、
まったく違う時代に作られた物がしずかに建っている、という風景。
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