昨日の合同ミーティングのこと、今学期初回のミーティングということでN先生が発表をされた。我々学生に対する研究生活全般に対するアドバイスとN先生が最近取り組んでいる研究についてであった。
その中で印象に残った言葉がある。「私は“忙しい”という言葉が嫌いだ」。忙しい状態になるのは、タイムマネジメント能力がないからだ、とのこと。確かに最もだ。「今忙しいから」などと発言してしまうとなんとなく敗北感を感じてしまうのはそのためだ。しかし、個人的には―社会的責任の少ない学生である自分としてはということだが―、自分の扱える範囲で物事をこなすことで「忙しくない」状態を保つよりは、自分のタイムマネジメント能力を少し超えるだけの物事を抱えて「忙しい」状態にありたいと考えている。それを口に出すかは別として。「忙しくない」状態は、仕事量が自分のキャパシティーを超えないようにすることで作り出すことができる。自分のキャパシティーを正確に把握していれば「忙しくない」状態は作れる。しかし、自分のキャパシティーを押し広げるためには、どうしても「忙しい」状態に飛び込まなくてはならない。
学生は、自由だ。それゆえに堕落しやすい。自身に課す負荷を自身で"決められてしまう" 学生であるからこそ、継続的な成長のために「忙しい」状態に身を置かなければならないと考えている。
その中で印象に残った言葉がある。「私は“忙しい”という言葉が嫌いだ」。忙しい状態になるのは、タイムマネジメント能力がないからだ、とのこと。確かに最もだ。「今忙しいから」などと発言してしまうとなんとなく敗北感を感じてしまうのはそのためだ。しかし、個人的には―社会的責任の少ない学生である自分としてはということだが―、自分の扱える範囲で物事をこなすことで「忙しくない」状態を保つよりは、自分のタイムマネジメント能力を少し超えるだけの物事を抱えて「忙しい」状態にありたいと考えている。それを口に出すかは別として。「忙しくない」状態は、仕事量が自分のキャパシティーを超えないようにすることで作り出すことができる。自分のキャパシティーを正確に把握していれば「忙しくない」状態は作れる。しかし、自分のキャパシティーを押し広げるためには、どうしても「忙しい」状態に飛び込まなくてはならない。
学生は、自由だ。それゆえに堕落しやすい。自身に課す負荷を自身で"決められてしまう" 学生であるからこそ、継続的な成長のために「忙しい」状態に身を置かなければならないと考えている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます