チャイナMBAマネジメント協会

「CMMA: China MBA & Management Association)」

第3回 長江商学院MBAコース Novel(女性)34歳

2013-04-24 | 長江商学院MBA


こんにちは、長江商学院の石川です。クラスメイトインタビュー第3弾をお送りします。



女性の悩みは万国共通?家庭とキャリアの狭間で生きる“神仙姉姉“

<プロフィール>
1978年、山東省生まれ。南京の東南大学にて電力工学を専攻。卒業後は、北京理工大学にてコンピューター科学の修士号を取得。長江商学院入学前はクアルコム社にて9年間勤務。2006年に結婚して、現在は1児の母。

Q. 小さい頃の家庭環境について、簡単に紹介してもらえる?
A. 父親は国有企業のエンジニア、母親は経理。私の世代はぎりぎり一人一戸政策の前だったから、2つ上の姉がいるの。両親はとても寛容で、教育と医療についてはお金を掛けてくれたと思う。高校生までは、ひたすら「高考」(※日本のセンター試験のようなもの)のために勉強していたという感じだったわ。

Q. 大学では理系を選んだんだよね?
A. そう。父親の影響でね、電力工学を専攻したの。学生時代の想い出というと、宿舎暮らしで10kgくらい痩せたことかしら。南方の料理が口に合わなかったのかも(笑)。進路については、3年生の時に電力工学は女性には厳しいと思って、専攻を変えようと決めたわ。この分野は工場や現場に出る事が多いし、女性の先輩も少ない。そう考えて、コンピューターサイエンスがある北京理工大学に進学したわ。

SARSの影響で留学を断念、外資系に就職

Q. 大学院での生活について教えてもらえる?
A. 2000年に理工大で学び始めて、プラグラミングやサーチエンジンについての研究をしたわ。JavaやVC++、COBOLなんかを使ったかな。マスターを取ったら留学してもっと研究を続けたいって考えてたわ。アメリカの幾つかの学校からオファーはもらえたのだけど、SARSの影響があってビザがなかなか取れなった。1年待ってビザを取ってからアメリカに行くか、そのまま中国で就職するかということになって、いろいろ悩んだ結果、良いオファーがもらえたこともあってクアルコムという米系の会社に就職することにしたわ。それが2003年のことね。

Q.クアルコムではどんな仕事をしていたの?
A.最初の2年はエンジニアとして、サーバーの管理、特にセキュリティ関連の仕事を担当していたわ。その時の上司はアメリカ人だったけど、仕事はしやすかった。中国企業と比べると、外資系の方が能力重視で成果主義。やることをしっかりやっていれば人間関係もシンプルだし、長く続けられる環境だと思う。実際、クアルコムの同僚には10年以上働いているっていう人がたくさんいたから。
2006年頃に配置転換があって、営業職に移ったわ。その頃には、エンジニアとしての仕事にも飽きてきていて、新しいことにチャレンジしたいっていう気持ちが強くなっていたの。営業部では、携帯電話用のチップセットを華為やハイアール、ハイセンス、レノボといった顧客に売るのが仕事だったわ。

順風満帆に見える人生。そんなNovelが抱える悩みとは?

Q.クアルコムで働いている時に、結婚したんだよね?
A.そうね。入社したのと同じ時期に彼と出会って、ちょうど部署を変わるくらいのタイミングで結婚したわ。結婚して家と車を買って、新婚旅行ではモルディブに行ったわ。

Q.よくそんなお金あったね。
A.車は彼の両親が結婚祝いということで買ってくれて、家はもちろんローンで(笑)。その頃は今と比べると不動産もかなり安くて、5分の1くらいの価格だったかな。私の友達で当時買い損ねた人がいっぱいいるけど、今はもう高すぎてなかなか買えないみたい。

Q.子供ができて、仕事はしばらく休職してたんだよね?
A.そう。出産の前後半年くらい産休を取って、その後元の職場に復帰したわ。2008年には夫が上海のCEIBS(MBA校)に入学したので、私たちも一緒に引っ越ししたの。北京に戻ってきたのは2年後の2010年ね。子供ができてからは、ワークライフバランスをどう取るかということに、ずっと悩んできたわ。

Q.中国は共働きの家庭が多いけど、働く女性のステータスについて何か変化を感じる?
A.昔と比べても、今の女性の方がもっと自分のキャリアにこだわるようになってきていると思う。特に、北京とか上海の大都市に住む女性はそうね。それ自身は良いことだと思うけど、家庭について考えた場合、家族、特に子供と過ごす時間が減ってしまっているのは、良くないことだと思うな。

40歳までは仕事に集中。それから先はもっと家族を大事にしたい

Q.会社を辞めてMBAを選んだわけだけれど、今後のキャリアパスについてはどう考えているの?
A.キャリアパスって言われると、正直、これまで深く考えて来なかった気がする(笑)。クアルコムを辞めて長江商学院に入ったのは、もっと自分の市場価値を上げたいと思ったから。9年も勤めたし、これ以上長くいると、外部の人と比べた時の自分の相対的な価値が下がってしまうと思ったから。例えば、もっとクアルコムで働き続けるとすると、5年後に私はもう40歳でしょ。その時に、もっとステップアップしたい、新しい事にチャレンジしたいと思ったとしても、遅いと思ったの。MBAはキャリアチェンジするためのプラットフォームでしょ。私は卒業したら企画やマーケティングの仕事をやりたいなって思ってる。

Q.学業と子育てを両立させるのは大変なのでは?
A.そうね。大変だけど義理の両親がサポートしてくれているわ。毎朝私が息子を幼稚園に送って行って、夕方に義理の父が迎えに行ってくれているの。平日はなかなか時間が取れないから、週末は私が一緒にいるようにしていわ。サッカークラブに連れて行ったり、それからレゴブロックを使った学習塾があって、そこに毎週末通わせてるの。息子は、私の状況をよく理解してくれていると思うわ。私が忙しいのを知っているから、一緒にいる時はいつも時間を気にしてくれているみたい。

Q.基本的にはこれからもずっと働き続けるんだよね?
A.あと5年くらいは仕事に集中したいって思ってる。それから先は、時間に余裕のある仕事を見つけて家族や自分自身のための時間を増やしたいな。読書が好きだから、小説とか旅行関連の本をたくさん読みたい。とにかくもっとリラックスした生活を送るのが夢かな(笑)。


<インタビューを終えて>
「神仙姉姉」というのは、香港の有名な女優が演じた役から来ている彼女のあだ名です。自己主張の強い中国人クラスメイトの中で彼女の物腰の柔らかさと品の良さは、際立っています。際立っているというか異次元です。オーラです。そんな「神仙姉姉」のインタビューを通じて、中国のキャリアウーマンが抱える悩みと日本女性のそれとの、「共通性」と「違い」について感じ取っていただければと思います。

第2回 長江商学院MBAコース Yanghuan(男性)

2013-04-19 | 長江商学院MBA


<プロフィール>
1981年、湖北省生まれ。両親は国の治水事業を担当する機関に勤務。地元の進学校から北京林業大学に入学し、バイオテクノロジーを学ぶ。卒業後は米国に渡りオレゴン大学に留学。修士号を取得した後、ニューヨークの医療NPO「Cold Spring Harbor Laboratory」に勤務する。その後、NPO法人からスピンアウトした医療ベンチャーにて、事業の立ち上げに携わる。

Q. どんな環境で育ったのか教えてもらえる?
A. 生まれ故郷は湖北省の小さな田舎町。父親は放任主義だったけど、母親は厳しくてね。家でもしっかり勉強させられた。しかも、小学校の頃に担任の先生が隣に引っ越してきて、余計に勉強しないといけない雰囲気で育った。今考えると、それが良かったのかも知れないけど(笑)。学校の成績はずっと学年で1番とか2番だった。子供ながらに、その順位を守らないといけないっていうプレッシャーがあったよ。

Q. 高校と大学の進学について教えてもらえる?
A. 高校は地元の有名校に進学した。家から遠かったから寮に入ることになって、15歳から一人暮らしを始めることになった。成績は上から3分の1といったところ。周りにたくさん優秀が学生がいたから、トップになるのは難しかった。大学については、将来の産業として注目されていたバイオテクノロジーが学びたくて、2000年に北京林業大学に入学した。北京大や清華大学に行くには点数が足りなかった。

危機意識をバネに留学のチャンスを勝ち取る

Q. 大学卒業後はアメリカに留学したんだよね?
A. そう。恥ずかしい話なんだけど、大学2年の時に学生部から呼び出されるということがあってね。当時あまり勉強していなくて、試験の成績が・・・・・・とてもひどかったんだ。学生部からは、このままでは学位が取れないかも知れないというようなことを言われた。仮に学位が取れないとなると、就職にとても不利になってしまう。それで焦ってね・・・・・・なんとかしないといけないと思った。成績を上げて学位を取れるようにしないといけない。そこから猛烈に勉強するようになった。特に英語の勉強には力を入れた。留学したかったし、アメリカのマスターコースに合格して学校側に自分は出来るんだってことを証明したかった。結果的には2004年にオレゴン大の生命科学コースに入ることが出来た。

Q. オレゴンでの生活と研究について話してもらえる?
A. 大学での研究は引き続きバイオテクノロジーに関するものだね。奨学金の条件として、ハーフタイムで研究補助を行う必要があったから、もっぱら教授の手伝いをしていたよ。
オレゴンは自然が豊かでね、州の面積の70%は森林なんだ。ロッキー山脈を挟んで東側にはビーチ、西側には砂漠、山に行けば雪が積もっていてスキーも楽しめる。ハイキングやクライミングが出来るスポットもたくさんある。とにかく遊ぶには困らないところだったね。

国が違っても人間の本質は同じだと思う

Q. アメリカでの生活で自分が変わったと思うところは?
A. 研究室には世界中からたくさんの学生や研究者が集まって来ていた。そういう人々と触れ合う中で、どんな国の人でも本質的なところは違わないなって思うようになった。中国には日本人が嫌いな人が確かにいる。日本にも中国人が嫌いな人がいるだろう。集団としてみた場合、対立が起こることもある。ただし一人一人の人間を見ると大きな違いはない、一緒に働くことができるんだってことを学んだ。オープンマインドってことかな。

アメリカでの就職、研究センターの立ち上げ

Q. アメリカでそのまま就職したんだよね?
A. そう。修士号を取った後も、数年は学校に残って研究室の助手をやっていた。Ph.Dを取ろうかと思ったこともあったけど、ビジネスにも興味があったから就職することにしたんだ。いろいろ検討している時にニューヨークの「Cold Spring Harbor Laboratory」(以下、CSHL)に出会ってね、そこで働くことにした。モンサントみたいなバイオメーカーにも興味があったけど、CSHLは非営利財団でね、そっちの方が普通の会社よりビザが取りやすいってこともあった。

Q. 研究所での仕事は?
A. 研究のレベルは高かったね。CSHLは過去に何人もノーベル賞受賞者を出していて・・・・・・8人だったけな・・・・・・、当時はDNAの研究で有名なジェームズ・ワトソンもいた。僕がついたのは、アルツハイマーや分裂病を研究していた教授。彼が施設内に新しく研究センターを作るって言うからその立ち上げメンバーとしてプロジェクトに参加することになった。研究だけじゃなくて、実験器材の購入から新しいスタッフの面接までいろいろ担当したよ。もともと、教授とはバイオベンチャーとして独立しよう話をしていたからセンターが軌道に乗ったタイミングでベンチャーキャピタルを訪ねて、資金提供してもらえることなった。結果、CSHLからスピンアウトして民間の会社としてビジネスをスタートさせたんだ。大きな顧客が何社かついてね、日本の大手製薬会社もクライアントだったよ。製薬会社って治験に莫大な時間とお金を掛けるだろ。僕らの会社の技術を使うと、本格的な治験を始める前に、どれくらいの副作用が発生するかっていうことをある程度の確率で予測できるんだ。製薬会社にとっては、コストを削れるメリットがあるだろ。

新しいチャンスを掴むために、再び中国へ

Q. 仕事も順調だったように聞こえるけど、どうして中国に戻ろうと思ったの?
A. 研究そのものと同じくらいビジネスに興味があったからかな。初めて大きな顧客がついた時はみんな大喜びで、すごく興奮したんだ。ただし、2社目、3社目と続けていくうちに飽きてきたというか、同じ作業を繰り返している自分に気が付いた。もっと新しいことを追いかけていられる環境に移りたいって思うようになったんだ。もう1つは、金融の重要性というか、新しい技術に資金提供してあげることで社会の役に立つような価値を創り出すことができるってことを実感して、それをもっと自分の力でやってみたいって思ったことだね。
中国に戻ることを決意したのは、マーケット自体が成長しているのと、その方が自分を周りと差別化できるって考えたからかな。僕のようにバイオベンチャーの立ち上げに携わった人材は、中国ではまだ少ないからね。

Q. 長江商学院で学んで半年経つけど、学校には満足している?
A. 概ね満足しているよ。いろんなバックグランドを持ったクラスメイトを通じて人脈を広げられているし、苦手だった金融や投資についても勉強できている。

Q. 卒業後の進路は?
A. 卒業後3~5年後に起業するのが目的。そのための準備として、卒業後2、3年はベンチャーキャピタルで経験を積みたいと思っている。テクノロジーについては目が効くから、有望なスタートアップを発掘して投資する、そういう仕事をしたいと思っている。

<インタビューを終えて>
中国に来て2日目、クラスメイトと初めて顔合わせで飲みに行った日。たまたま席が隣で、いろいろ気を使ってくれたのが今回インタビューしたYanghuan。同世代ということもあり、よく一緒に食事に行く間柄です。今回は深夜までたっぷりと話を聞かせてくれました。アメリカに彼女を置いてきたらしいのですが、その後どうなったのでしょうか・・・・・・。別の機会にインタビューしたいと思います。

上半期終了_長江商学院

2013-04-13 | 長江商学院MBA


大家好、長江商学院の石川です。

天気の良い日が続き北京にもようやく春が来たか、と思っていたら風邪を引きました。
写真は先日行ったカラオケで撮ったものです。永ちゃんの顔がだいぶ違っています。
ちなみに、井上陽水もこの顔でした。

さて、今週でModule3が終了しました。期間的にはMBAコースの半分を消化したことになります。来週からは全て選択科目になりますので、時間的にはだいぶ余裕が出てくるものと思われます。就職活動やインターンに専念する人、留学する人、遊ぶ人、勉強する人、それぞれの道がありますが、クラス全員で集まる機会が減ると思うと少し寂しいですね。かくいう私は、中国語の学習により力を入れたいと思っています。

留学と言えば、学期終了と合わせて夏季の交換留学プログラムに参加する学生が(仮)決定しました。基本的には本人の意向と成績、クラスメイトからの相互評価によって参加可否・行き先選択権が決まるというシステムです。今年は14名の学生が参加します。内訳は以下の通り。

アメリカ
Cornell University 2名
Columbia University 2名
カナダ
Queen's University 1名
フランス
EM Lyon Business School 2名
スペイン
IE 4名
日本
早稲田 2名
台湾
National Taiwan University 1名

 他にも、アメリカ(Darden)、インド(India School of Business)、韓国(Seoul National University)などから選択することも出来ますし、全体としても席は余っています。一般的には、留学すると就職が遅れますから、必ずしも全席埋まるほどの学生が留学を希望するわけではないということです。また、例年そうだと思いますが、留学生はほぼ中国人で占められます。制度上の差別があるわけではありませんが、大体の外国人は中国に残って語学や就活に専念します。

この半年間、一言で言うと
「いやー早いなー、もう半分か。それにしても円高がキツイよ」
という感じです。

風邪が治って、集中力がある時に真面目に振り返りを行いたいと思います。

ではでは