第16回DAIYAツーリング、会津方面を開催しました
残念ながら梅雨入りで天気が安定しない一日になってしまいました
今日は、午後3:00ごろから雨の予報です。結果、予定していたコースは時間がかかるので
予定コースを変更し短い時間で満足でそうな、飯盛山見学にしました
集合、7:30
日光の会長自宅近くのコンビニに集合し予定を確認、雨が心配なので予定変更も確認し出発
会津街道を走り会津方面へ、9:00 会津田島の道の駅で一休み
121号線を走り、会津若松市内を通り飯盛山へ到着
先ずは観光、飯盛山を登りながら所々で写真撮影です
白虎隊 説明では
白虎隊は総勢343名(現在の推定)でした。そのうち戸の口原十六橋に向かったのは、白虎隊士中二番隊の37名でした。そしてその中の17名は無事に入城しましたが、20名は飯盛山で自刃をされ、1人蘇生された飯沼少年を除いた19士の墓となります。
説明によると
天保年間に会津平野のかんがい用水として猪苗代湖より通水した洞穴ですが、戊辰戦争の折、 白虎隊が鶴ヶ城の情勢を確認するため飯盛山に向かう際、この洞穴をくぐりました。
現在でも農業や工業用水に使われています。
『さざえ堂』説明によると
寛政8年(1796年)に飯盛一族の先祖である飯盛山正宗寺(せいそうじ)第12世郁堂和尚(いくどうおしょう)によって建立され、西国三十三観音菩薩を安置した六角三層の観音堂です。
その形が さざえの殻に似ていることから俗に『さざえ堂』と呼ばれ、階段のない螺旋通路で上り下りができ、上りの人と下りの人がすれ違うことなく一方通行で巡れる世界にも例のない建築で、国の重要文化財に指定されています。
宇賀神堂 説明によると
五穀豊穣の神、宇賀神(白蛇)をお祭りしています。
寛文年間(1661年~1672年)、松平正容が厳島神社の傍社として建設され、現在は明治23年につくられた白虎隊十九士の洋装の霊像が祀られております。
説明によると
1868年 8月23日、戸の口原での戦いで決定的打撃を受けて潰走し、負傷者を抱えながら郊外の飯盛山へと落ち延びました。だがここから眺めた戦闘にによる市中火炎の模様、黒煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自分達の至らなさで会津をこんな火の海にしてしまったと いち早く会津の負けを悟り、自ら命を絶っていきました。
白虎隊十九士の墓
石段は山頂までは183段、疲れた・・・
一通り見学してからの集合写真です
このあと121号線を戻り、下郷の行きつけの喫茶店で食事
帰り道の途中、川治温泉付近でちょっと雨に降られましたが大事に至らずなんとか戻れました
今回も、安全運転で楽しく走りきり終了することができました。皆さんの協力に感謝いたします
今回は早めに終了して帰路につきましたが、次回は今回の予定の只見方面へ走りたいと思っています
次回の予定 21日(第3日曜日)です 集合場所と時間は今回と同じです
皆さんの参加をお待ちしています