同窓会のブログはじめました

愛知県立横須賀高校 普通科 第22回(昭和45年卒) 卒業生の同窓会情報です。

大晦日、落語

2012-12-31 15:21:21 | 日記
 中学も高校も同じで、中学の時は同じバスケ部だった岩澤君の東京の下宿に遊びに行ったのは
確か大学の2年生だったと思います。

東京の面白いところと言って、連れて行ってくれたのが新宿の「末広亭」です。
その日は平日で昼と夜の入れ替えなしで昼から夜の9時までずーっと演芸や落語を楽しめました。

それから落語に興味を持ちラジオやテレビの録音をして聞いていました。

ある時、友人の形山君と居酒屋の「養老の滝」へ入ったら混んでいたので相席になり、
その人がまた落語が好きで意気投合し大盛り上がり。

その人は千葉県市川市出身の石井運輸の加藤さんと言って、亡くなるまでお付き合いさせて頂きました。
名古屋支店に勤務ということで、酒好きの彼は、居酒屋で落語好きの店主のいる店をちゃーんと見つけていました。

それは確か名古屋駅前の「阿喜良」さんという名前だったかなー。
そこで落語会が何度か開かれ、古今亭志ん駒さんと知り合いになりました。

それが御縁で、1980年(昭和55年)に青年会議所の「青年の船とうかい号」のスタッフになった際、
古今亭志ん駒さんに講師として乗船して頂きました。
行先はまだ国交間もない中国へ行ったのですが、志ん駒さんのジョーク連発で楽しかったなー。
また、その時に友人もたくさんできました。

やっと本題!
大晦日に落語というのは、「芝浜」という落語があるからです。
これは、人情話で酒飲みの亭主と、しっかり者のおかみさんの話です。『こんな女房が欲しかった!』

後半というよりほぼ終わりに大晦日の情景になるのです。
この話は、先ほどの加藤さんが貸してくれた「落語全集」の中にありました。
桂三木助さんの「芝浜」です。今でも泣けますねー。
去年2011年(平成23年)11月に亡くなった立川談志さんの「芝浜」もいいですねー。
迫力があって、死を覚悟した談志さんの集大成とも言われています。

先日、本屋さんへ行ったら「サライ」1月号「法隆寺 サライはこう歩く」が目にとまりました。
その付録が古今亭志ん生さんの「芝浜」だったんです。(三遊亭円生さんの「掛取り」も入ってます)
これもなかなかいいねー。志ん生さんがやるとまた味があって面白いですね。
落語は面白いですね。きっかけをつくってくれた岩澤君に感謝します。ありがとう!

下手な文章にお付き合い頂きありがとうございます。
来年もぼちぼち頑張りたいのですが、ネタがなくなって来ました。

それではみなさん良いお年をお迎え下さい。

長谷川君にはお世話になりました

2012-12-30 14:27:45 | 日記
 高校3年で同じ組だった長谷川博正君とは、大学でも同じ学科で4年間過ごしました。

彼が亡くなったのは、2003年(平成15年)3月20日でした。
(この日がはっきりしなかったので大学の友人の小林君に今確かめました)

彼は本当に「いい人」でした。優しくて、まじめで、几帳面で・・
大学では大変お世話になりました。不真面目な私は、ノートを取ることもなく、講義中はねていたし・・
試験の前になると、ノートを見させていただいたり、いろいろ教えて頂きました。

そんな中、大学のその学科のまじめグループに私も加えて頂きました。
春日井高校の小林君、木全君、羽澄君と横高の長谷川君と私です。
(羽澄君もすでに亡くなっています)

この五人は卒業後も付き合いがあり、それぞれの結婚式に出たりしていました。

長谷川君には私の結婚式(1981年5月)の司会者をやって頂きました。
そして、彼の十八番?あおい輝彦の「あなただけを」歌ってくれました。

彼の死因は「心因性虚血症」だそうです。
夜中に大きないびきをかきはじめて、呼吸困難になったようです。

本当に残念です。
この同窓会で会いたかった人はたくさんいただろうに。

石田君とイムジン河

2012-12-29 00:44:56 | 日記
 高校2年の時に同じクラスだった石田昭三君が亡くなったことを聞いたのは
高校を卒業してからすぐだったような気がします。

彼は音楽が好きでよくレコードを買ってもらいました。
今でも覚えているのは「1910フルーツガムカンパニー」の「サイモン・セッズ」という曲です。
彼が鼻歌で歌っているのをよく聞きました。
この頃流行っていた「バブルガムミュージック」が好きだったんですね。

彼は音楽についていろんなことを知っていました。

一番驚いたのは
1968年(S43年)の3月に発売され、その後すぐ歌詞の問題で発売中止になった
「ザ・フォーク・クルセダーズ」の「イムジン河」の歌詞をちゃーんと知っていたんですねー。
私が欲しいと思った時は中止になっていました。

ちょうど修学旅行の時、バスの中でずーっとその「イムジン河」を彼から口伝えで教えてもらいました。
バスからの景色も見ずに、その歌を彼は真剣に教えてくれました。

その後「イムジン河」は1995年にアルバム「ザ・フォーク・クルセダーズ/ハレンチ+1」の中に
スタジオ・ヴァージョンとして収録されたり、
2002年の「ザ・フォーク・クルセダーズ 新結成記念 解散音楽会」では
新たな歌詞を加えて歌っていました。

また、2011年にきたやまおさむさんとD50Shadowsというグループで出した
アルバム「あの素晴らしい愛をもう一度」の中でさらに新たな歌詞が加えられています。

その歌詞は1番2番は今までどうりの歌詞ですが、3番4番が以下のようになってます。

イムジン河 春の日に 岸辺に 花かおり
雪解け水を得て 北と南むすぶ

ふるさとの 歌声よ 渡る風となれ
イムジン河 とうとうと 青き海に帰る

喜びも 悲しみも 裏切りも 再会も
流された 涙は 川の水のように

北と南むすぶ 歌よ 橋となれ
もう一度 会いたくて あなたに 会いたくて
もう一度 会いたくて あなたに 会いたくて

「イムジン河」を聞いたり、歌ったりするといつも彼のことを思い出します。

もう一度 彼に会いたかった!

論争?ビートルズかモンキーズか!

2012-12-24 21:56:09 | 日記
高校の2年生の時だったような気がしますが
時期をはっきりとは覚えていません。

ビートルズがいいか、モンキーズがいいか、ちょっとした論争?がありました。

そんな大げさな話ではないのですが
N君はビートルズがいいと言い、S君はモンキーズがいいと言ってました。
私も当時はモンキーズ派でした。

モンキーズをウィキペディアで検索すると「モンキーズ(テレビドラマ)」となっています。

モンキーズはグループというよりテレビ番組だったんですねー。

放送は1967年(S42)10月~1969年(S44年)1月までと
ちょうど高1、高2のころでよく見ていました。
曲は良かったけどオリジナリティーはなかったのかな?
「モンキーズのテーマ」
「デイドリーム・ビリーバ」
「恋の終列車」
「自由になりたい」
などのヒット曲を多く出しました。

一方、ビートルズは今年レコードデビュー50周年というように話題に事欠かない。
1970年(S45年)に解散以来、4人それぞれ活躍していたし、CDは何度もリマスターされ発売されています。
ちょうど、私たちが高校生だった時が、ビートルズも絶頂期だったのでしょう。

それでも、高校の時はテレビに影響されてしまったんですねー。

テレビドラマ、これが青春だ

2012-12-21 19:36:17 | 日記
この番組は、ウィキペディアによると1966年11月から1967年10月までとなってます。
中学3年の時は、あんまり覚えがないけど高校へ入ってからは良く見ていました。
懐かしくてCS放送のドラマ専門チャンネルで録画してほぼ見ましたねー。

高校一年の時は部活をやっていて帰って食事後ちょうどやっていたと思います。

東宝のテレビドラマなので、加山雄三の若大将シリーズや特撮シリーズ(ゴジラなど)に出演していた俳優さんが
たくさん出ていました。
松本めぐみさんは加山雄三さんの奥さんです。エレキの若大将で知り合ったとか?
岡田可愛さんもレギュラーでした。
柏木由紀子さん(故坂本九さんの奥さん)も出ていました。当時は可愛くてちょっと憧れていました。いまも綺麗です。
先生役の竜雷太さんはこれがデビュー作ですね。
「人を信じない奴は、俺はきらいだ!・・・みんなどろんこ天使になるんだ・・・」というセルフ入りのCDがあります。
主題歌を歌っているのは布施明さんで、私この歌、カラオケでよく歌います。下手ですけど・・・。

「大きなそ~らにーはしごをかけてー・・・」なんてね。