ひな菊の丘から

家族の記念日

もうずいぶん前に家をでた息子と娘、よく双子ですか?と聞かれたけど、3つ違いのきょうだい。長男は予定日を数日遅れて上新庄の病院で生まれた。出産後実家へ帰るタイミングで、住居を大阪市内から豊中へ移した。大きなおなかを抱えて母と不動産会社の案内で見た家の中で、実家からも徒歩5分ほどの賃貸マンションへ移った。

育休なんてほぼ机上の制度だった頃(それでも結構な大企業で働いていたのだが、まあ、組合も弱かったし結婚退職する人もとても多くて、大阪では産休取ったのは私が初めてだ、と言われたっけ)、第一子でもあり、立ち合い出産(その頃ちょっと流行っていた)を希望していたが、仕事を休んでまで、というような世の中ではなかったので、土曜の夜に陣痛が来て入院、となったのは、相方にとってもラッキーだった。息子の顔を見たのは、だから相方が先。目の前に現れたのは、おせじにも可愛いとは言えない、しわくちゃの小さな生き物だったが、『不細工だ!』と心から思いながらも『世界一かわいい赤ん坊だ』と感じられたのは親のひいき目。

最初の子は女の子、というイメージができ上っていたので、女の子の名前は決めていた。が、出産前の診断で男の子だとわかったので、(教えてほしい、と言わなかったのに言うてしもたなあ、ドクター)名前も出産前に決めていた。母がお喋りだったせいか、男の子(はしゃべりだすのが遅い、と言われる)なのによく喋った。産後2ヶ月経ったら実家に子どもは預けて仕事に行った。その子は会社のパートさんたちにも可愛がられて、社内旅行にも連れて行ったことがある。

そして、ふたりめ。予定日が息子の誕生日だった。うまく同じ日に生まれてきたらいいね、なんて話は冗談でしたことがあるが、まさかほんとに同じ日に生まれて来るとは。前日のお昼、息子に「おかあさんは、あんたの誕生日にはおうちにいないかもしれないから、先にお祝いしよう。」と言って、不二家へ連れて行った。何を食べたのか覚えてないけど、好きなもの頼んでいいよ、と位は言ったかもしれない。夜に産気づいて、病院へ。息子は実家で預かってもらうことになる。

ところが、陣痛はあるものの、お産は進まず、夜の間付き添っていた相方も、仕事があるので帰ってしまった。朝、出勤前に病室の下から「まだか?」と聞かれるも、「まだやわ」と答えた。それくらいのんびりした子だったようだ。昼休みに相方が来た時には、実は生まれていた。午前の外来の診察の最中に、診察室の隣の分娩室で出産。大先生、若先生、女先生の3人と助産師さんに囲まれて賑やかなお産だった。夜、息子がじじばばと一緒にお見舞いに来て、妹をそお~っと触っていたのは微笑ましかった。名前は最初に考えていた女の子の名前から付けた。

そんなふたりの、今日は誕生日だ。それぞれ自分の世界でお誕生日を祝ってもらっていることだろう。

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