解離性同一性障害とは。
複雑性PTSDのひきおこす疾患であり、一生なおることはない病気である。
DSMのVが発表されてから、(日本語訳はまだかな?)いろんな物議が醸されていますが、はっきりいって、
一般人の、ふつうに学校にいって、ふつうに医者になって、わたしたちのような特殊なたいけんをしないまま
「この現象はどうのこうの‥」といわれても、わたしからしたら、ばかじゃないかということです。
ここにはあえてかくことをひかえます。
なぜなら、こういうblogなどを媒体とした情報は、こちらが読者をえらぶことができず、それこそ不特定多数の人間のめにはいるわけです。
つまり、こどものめにはいってもおかしくない。
そういうところに、どうしてリストカットがどうだの、なんとかサークルとか、果ては薬物や汚職や、ポルノ画像だとか
掲載するおとながいるのか。
はっきりいうけれど、そういう人間はいらない。
神経がわたしよりもっともっとおかしいのではないか。
日本には、そういう変な大人がわーっと沢山いて、虐待が右肩あがりでも平気な顔をしている。
たたけばたたくほど汚職や脱税やそれはもうおそろしいほどたくさん犯罪者がいる。
かくれている。
一般人の顔をして。
以前にあったHPやblogは、このblogをはじめるまえにすべてとじた。
なんとなく。
さいきんわたしは具合がいいのかわるいのか自分でもわからず、たぶんけこうしんどいのだろうとおもう。
このブログをかいているいまは、そういうことはわからない。
一日に何回か記憶がとんでいる。
しかし日常生活は送っている。
複雑性PTSDについてもおもいきったことはかけないのだ。
なぜなら、あまりにもリアルな描写をした場合。もし読者がフラッシュバックをおこしたら責任のとりようがない。
そういう事を考えて、ITに携わるひとたちは行動してほしいのだが、しないだろう。
おとつい無職になった。
どうしよう。TVのインタビューや寄稿が2~3本あるだけ‥
生活できなくなってしまう。Twitterでもよびかけているが、このブログにもかきます。
4種類の虐待をうけた生存者であるわたしはそれが逆に一般人とは異なる非常に貴重な体験者として
生きています。
わたしが編集の席にいてもいいというマスコミのみ、インタビュー、取材をうけます。
出版社にかんしては、寄稿もかんがえています。
NHKの取材をwおもいきりことわり、かわりに別の番組がくまれていた。
さきのことがきになりなむれない。
解離の治療法などない。
いま主流なのは、治療契約をむすび、(2年くらいかな)そのあいだ治療をしますが、結果をみて契約時よりも具合がわるければ
治療失敗とみなす。
いやだ。
いまでもおもう。
どうしてわたしだったのか。
わたしでよかった。
わたしは親にすてられた。親はちがうといいはるだろうけど、そのときをしる人間からしたらあきらかなことで、
勝手な親のつごうでなにもなくなった
いまもとられたものはかえさないし、もうめちゃくちゃだ。
よく虐待の裁判でも問題になる、親と子の認識のズレは大きい。しかし、加害者の親は絶対にそれを理解できない。
すべて大人の責任。こどもはなにもわるくない。
大人がおかしなことをするからこどももみてまねるのだ。
大人がしっかりしていたら、犯罪をしなければこどもは絶対にしない。
話題がそれた。
とにかくいまはまたおだやかではあるけれど、精神的に苦痛をともなうときなのです。
みんながいる。
きっとよくなる。
それだけはしんじています。親友もいる。立派な大人もいる。したってくれるこどももいる。
わたしの病気を理解しようともせず(できない)ものすごくひどいことをした人間もいた。
その人間も大人だった
裏切られたとおもった
ぐちのブログになってしまった
長くなった。
まとまらない内容だし。
なんていうか‥
きょうは最後にこのことをかきます。
自傷についてなやんでいる全世界のひとたちに、しってほしい。
わたしが世界一のその数をマークしていて、まだとまらないためギネスではなくもう一つのレコード集に認定されています。
全然自慢にもならないけど、偽自傷ではなくてほんとうにくるしんでいるみんな、まけないでね。
しごともなく、ゆっくりしながら明日からの目標は毎日のblog更新にしました。
よんでくれているみなさん、よろしくね。
複雑性PTSDのひきおこす疾患であり、一生なおることはない病気である。
DSMのVが発表されてから、(日本語訳はまだかな?)いろんな物議が醸されていますが、はっきりいって、
一般人の、ふつうに学校にいって、ふつうに医者になって、わたしたちのような特殊なたいけんをしないまま
「この現象はどうのこうの‥」といわれても、わたしからしたら、ばかじゃないかということです。
ここにはあえてかくことをひかえます。
なぜなら、こういうblogなどを媒体とした情報は、こちらが読者をえらぶことができず、それこそ不特定多数の人間のめにはいるわけです。
つまり、こどものめにはいってもおかしくない。
そういうところに、どうしてリストカットがどうだの、なんとかサークルとか、果ては薬物や汚職や、ポルノ画像だとか
掲載するおとながいるのか。
はっきりいうけれど、そういう人間はいらない。
神経がわたしよりもっともっとおかしいのではないか。
日本には、そういう変な大人がわーっと沢山いて、虐待が右肩あがりでも平気な顔をしている。
たたけばたたくほど汚職や脱税やそれはもうおそろしいほどたくさん犯罪者がいる。
かくれている。
一般人の顔をして。
以前にあったHPやblogは、このblogをはじめるまえにすべてとじた。
なんとなく。
さいきんわたしは具合がいいのかわるいのか自分でもわからず、たぶんけこうしんどいのだろうとおもう。
このブログをかいているいまは、そういうことはわからない。
一日に何回か記憶がとんでいる。
しかし日常生活は送っている。
複雑性PTSDについてもおもいきったことはかけないのだ。
なぜなら、あまりにもリアルな描写をした場合。もし読者がフラッシュバックをおこしたら責任のとりようがない。
そういう事を考えて、ITに携わるひとたちは行動してほしいのだが、しないだろう。
おとつい無職になった。
どうしよう。TVのインタビューや寄稿が2~3本あるだけ‥
生活できなくなってしまう。Twitterでもよびかけているが、このブログにもかきます。
4種類の虐待をうけた生存者であるわたしはそれが逆に一般人とは異なる非常に貴重な体験者として
生きています。
わたしが編集の席にいてもいいというマスコミのみ、インタビュー、取材をうけます。
出版社にかんしては、寄稿もかんがえています。
NHKの取材をwおもいきりことわり、かわりに別の番組がくまれていた。
さきのことがきになりなむれない。
解離の治療法などない。
いま主流なのは、治療契約をむすび、(2年くらいかな)そのあいだ治療をしますが、結果をみて契約時よりも具合がわるければ
治療失敗とみなす。
いやだ。
いまでもおもう。
どうしてわたしだったのか。
わたしでよかった。
わたしは親にすてられた。親はちがうといいはるだろうけど、そのときをしる人間からしたらあきらかなことで、
勝手な親のつごうでなにもなくなった
いまもとられたものはかえさないし、もうめちゃくちゃだ。
よく虐待の裁判でも問題になる、親と子の認識のズレは大きい。しかし、加害者の親は絶対にそれを理解できない。
すべて大人の責任。こどもはなにもわるくない。
大人がおかしなことをするからこどももみてまねるのだ。
大人がしっかりしていたら、犯罪をしなければこどもは絶対にしない。
話題がそれた。
とにかくいまはまたおだやかではあるけれど、精神的に苦痛をともなうときなのです。
みんながいる。
きっとよくなる。
それだけはしんじています。親友もいる。立派な大人もいる。したってくれるこどももいる。
わたしの病気を理解しようともせず(できない)ものすごくひどいことをした人間もいた。
その人間も大人だった
裏切られたとおもった
ぐちのブログになってしまった
長くなった。
まとまらない内容だし。
なんていうか‥
きょうは最後にこのことをかきます。
自傷についてなやんでいる全世界のひとたちに、しってほしい。
わたしが世界一のその数をマークしていて、まだとまらないためギネスではなくもう一つのレコード集に認定されています。
全然自慢にもならないけど、偽自傷ではなくてほんとうにくるしんでいるみんな、まけないでね。
しごともなく、ゆっくりしながら明日からの目標は毎日のblog更新にしました。
よんでくれているみなさん、よろしくね。