DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

目標と信条

 最近は学校でも子どもたちに向かって「夢や目標を持ちましょう」と教えているそうだ。まあ夢や目標を持つこと自体は身分社会や階級社会ではできなかった自由社会の特権で素晴らしいことではある。その一方で、目標至上主義は自己責任論で他者を非難するベースになっている問題がある。ただしこの話は過去に繰り返してきたので置いておく。
 身分社会や階級社会においても人を人たらしめてきたものは尊厳であり信条である。未成年の状態では道徳や親の躾、あるいは宗教的肝養によって蓄積された倫理や思いが成人するにしたがってその人の尊厳や信条へと成熟する。そうした人間的成熟がその人の存在価値として固まっていく。
 現代の目標と言う概念も、その人から強力な意志を引き出すものであると言う点で立派に尊厳や信条と同等の価値がある。しかし目標がなくても尊厳や信条は獲得することができる。
 個人的には一本の目標に向かって生きる、と言う生き方は苦手だ。しかし尊厳や信条は他の人に負けないくらい強く持っているつもりだ。むしろ自由社会でなくても自己存在を肯定できる力として、今の時代でも尊厳や信条は十分に価値あるものだと思う。
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