秋の種まき。
秋はいろんな種を蒔くが、時期が早いかもしれないから何回かに分けてやることにする。
パプリカの歌では、花が咲いたら晴れた空に種を蒔こ!
って寝ぼけたこと言ってるけど、花が咲いてたら種撒く必要無いし、晴れた空に種撒いてどうすんの?
仮にそれが、想いの粒を晴れた空に広げるんだっ!っていうのの表現だとしても、種蒔きはそんなお気楽なものではないんだよ。
そんな風にお気楽な感じで比喩され扱るから、畑仕事やってる俺がお気楽に道楽でテキトウにやってるからほっとくべ、みたいな風向きになるんだよ。
愚痴ばっかですまんな。
これは葉物類だ。
葉っぱを食べるからね。
六種類くらい播いたかな。
冬は鍋の季節だからね。鍋野菜を作る。
葉っぱばかり食べているとヤギ気分だ。
こちらは玉ねぎだ。
例年より早めに蒔いているのは、例年植え付け時に苗が小さくて心配になるから。
早く大きくなりすぎてもだめだけど、肥料を少なめにしてゆっくり育ってもらおう。
おや、それじゃあ例年と同じじゃね。
まあやってみる。
これも玉ねぎ。
これも玉ねぎ。
苗をたくさん作ったら収穫が大変だけど、自信の無さからの発芽率と発育不良を考えると多めに種を蒔くのが安心だ。
去年も多めにして、余り苗や不良苗はペコロスにしようと植えたりした。ペコロスって種類じゃなくて、わざわざ小さく育てた玉ねぎらしい。
種蒔けば野菜ができる。
なんかありがたいよね。
野菜作ってると口では言うけど、種まいたらできてくれちゃった、というのが本当のところだ。
ユーチューブ見てると、私の畑歴より若そうな人や、ダッサラして何年かやった人っぽい人が、これやってください!これは絶対ダメです!とか言ってる。
若いのにあるいは経験年数が少ないのに、そんなにやり込んで研究してるんだな。
私なんて何年やってもはてさてほほーんなのに、大したものだ。
ひとつには、記録の不充実がある。
これはキャンプにも言える。
キャンプは不確定要素が多く、記録のうち役立つものや使命のあるものだけはデータとして残しているが、ほとんどのことは残していない。
畑も不確定要素が多いものの、データ化したり測定したりなど記録により成果を改善し続けることができる。
自然任せの畑のほうが不確定要素が多そうに見えるが、実際は科学だ。経験があっても無くてもエビデンス通りにやればうまくいく。
キャンプも不確定要素が多いけれど、科学や学問の力を使いにくい。論文などで一応のエビデンスがあっても、目の前のこの子にそれが通用しそうにない。
自然よりキャンプのほうがあやふやだとわかる。
そもそもエビデンスって一昨日くらいに知ったから使いたがってるだけで、最初は、えなにエビデヤンス?って思ったもんね。
キャンプではそんなあやふやなものをなんとかこねくり回して安全安心にやってるわけで、まてよ、ひょっとしたら畑より大変かもよ?
だったら畑、うまくやれよな。
って自分に言いたいけど、記録も記憶も淡い私は毎年フレッシュにやれる楽しみがある。
という言い訳を思いついた。