少年と二人、釣りすることにした。
ほんとは化石掘りに行きたかったが、増水でだめだった。
このまま石になれたらどんなに幸せだろう。
このまま仕事してくれたらどんなに幸せだろう。
ほんとは化石掘りに行きたかったが、増水でだめだった。
ここは、ダム水利のため調整されているから大丈夫。
何箇所も川を持ってるからどれかの川で何かできる自由を得てる。
選択肢が多いのは自由の証。
少年とは、かれこれ10年くらいの付き合いになるが、釣りはこれが初めてという。
釣りが好きでない子も多くあるから、川辺にはいろいろなことができるように用意しているが、まさか10年来の付き合いにて初めての釣りとは思わなんだ。
一時期は釣らせ屋を自認していたが、今は釣りの研究は控えめな私。釣らせ屋のスキルを思い起こし、でもまあ、簡単な釣りだから教えるべきことは少ないのだが。
教えるというより伝えるの講習。
教えるというより伝えるの講習。
教えると伝えるは違う。
教えるのは教えたことについて再現性を求めるものと思える。
伝えるのは託すのと似ている。伝えたことは形を変えて誰かに渡ってゆく。
大切なことは口伝が良いと、この時代にあってもほんとに俺は思ってる。
口伝の前はきっとテレパシーだったと思う。
人間はいくら話してもわかり合えないが、ヤギは一言も話さなくても何かを交流させて集団行動している。
ヤギがわかり合ってるとは言えないけど、言葉は要らないようだ。
口伝とテレパシーが大切だ。
だから講習や授業のほとんどで板書はしない。
まあ、字がヘタウマだから書きたくないだけなんだけどね。
あちげえ、ヘタヘタだ。
だらしない姿勢で書いている今、電話があった。
明日の講座のこと。雨でも予定内容でやってほしいとのこと。
判断が受講者に寄り添ってる。大事を取って変更するのが定石なところ、予定のことやろうよと連絡をくださった。
どんな天気でもやるために幾重ものパターンで準備しているから、予定通りでも予定変わっても大丈夫ですし、雨の中でやらせたいってことなら望むところだ。
みんなで苦労するのは大歓迎。
私の仕事は雨で手狭なスペースになるため、それでも安全にやるための作戦と仕込み。
やれないというのは簡単だが、やれないと言わないからみなさん委ねてくださる。
やれないと言わないが、やらないと言うことはある。頼まれたことやれないのはこちらが足りないからで、頼まれてもやらないのは正しい選択を提供するためだからね。
雨に悩まされるけど、順調というのもつまらないんだよな。
かと言って、何パターンも用意するてまひまが楽しいとも言えないんだけど、何パターンも考えたなら、その組み合わせや折衷案でパターンを増やせる。
そんなこと考えながら寝転んだらほら。
このまま石になれたらどんなに幸せだろう。
そんなこと考えながら山に戻ったらほら。
このまま仕事してくれたらどんなに幸せだろう。