雑木囃子

ぶたれても好き

で、広々しにいった。





何にでもすぐ手の届く小ささのほうが好みですが、こうした広々も時に良いものです。
隣の仲間、おにし野外活動センター です。
ここの主宰者を
キャンプ界のロバート・デ・ニーロ
と呼んでます。
私はまあ
キャンプ界のブラット・ピットですけどね。

アカデミーのウィル・スミスね。
平手打ちで済ませたあたりは紳士です。
平手打ちには叱責の意味があり、良心がはたらいています。
拳で殴るのは暴力の意味が強いです。良心よりも憎しみや怒りです。
叱るのと怒るの違いにも似ています。
手を上げれば何でも暴力、という時代になりましたが、昭和に育った私は教師にぶたれたり殴られたりしました。善し悪しは別として、叱責なのか暴力なのかを体でわかっていました。

さて私はウィル・スミスが好きですから、味方になります。
好きな人の味方で居るのは好きになった責任ですからね。
味方をやめるくらいなら好きじゃなかったのよ。

ウィル・スミスがだめなら、うちのお母さんなんてもう牢獄です。
暴力には反対ですし、理不尽な暴力を恨みもしますが、強い叱責やたしなめは時に必要なことを身を以て知っているのはお母さんのおかげです。
お母さんにぶたれるようなことした、同じようなことは生涯に渡り二度としていません。
お母さんのことが好きなので、いくらぶたれても味方です。が、それはどの子もそうですから、だからぶたれてつらい思いをする子もあります。

叱責と暴力の境や区別や加減がわからなくなれば、その全部を禁止にして念の為に暴力で括ったほうが安全なのでそうなっています。それはまあ、加減もわからないアホが手を上げるからしかたない制度化か。

アカデミーでやったからだめなのかな。
アカデミーで人のつらさを笑いにしてもいいのかな。
言葉の暴力はよほどでなければ大丈夫、匿名で人を傷つけやすくなり、ちょいとイジるのはみんな喜ぶなら良し?やーれやれ。言いたい放題を言論の自由と言う人まで出てくる始末にさらにやれやれと思います。

節度と良心をもって暮らしたいものです。
あなに?
またあんたどうなのって?
節度はオリジナリティーに満ちて、良心が厚顔さに隠れてるだけでしょ。
そんなこともわからないで私の味方と言えるの?

さて、暴力はいけない。
でも、暴力的な反応を導くような言い草や態度や行動はいいのか。
例えば、あおり運転の原因には、あおられた側が先にやったルール違反や危険運転がある場合もたくさんあります。
あおり運転を録画で判断し検挙していいなら、その前段の、あおられた側の危険行為も録画で判断して検挙してもいいのではないか。
そのほうがあおり運転を無くし、みんなが安全運転を心がけ、本当の安全に近づくのではないかと思うことあります。

はたいたりぶったりがだめなら
私をはたいてぶってけとばす子どもたちはどうなの!?
ね!どうなの!?

おれ、うれしんだけど♪








名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記的な感じ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事