雑木囃子

目をぬすませてあげる

今日のスケジュールです。

時間的には夜のお楽しみのようで、森に行くとのこと。
で、その地図。
やりすぎたリーダーが読めそうで読めない地図ではなくまるっきり読みようのない地図に仕立ててしまいました。

でもまあ出かけるようです。


うすぐらい森の中。


最後尾を見送ります。
道の両脇に杉の枝が積んであります。
やれやれ、私はやっとコーヒータイムです。
さっきのコーヒータイムから15分も経ってしまいました。
コーヒーには、ミルクや砂糖は入れません。なぜなら、ミルク砂糖を入れた瞬間にコーヒーではなくなるからです。
ブラックコーヒーという呼び方がありますがそれは、広島の方が広島風お好焼きとは呼ばないのと同じように、そもそもコーヒーはブラックなんだよっつの!ってことです。
こだわりではなくて事実です。

積んであった杉の枝はこの木の枝打ちをしたときのものです。
わー。
木登りして樹木整理をしています。
子供の頃は体一つで木登りしても良かったのに、大人になると面倒な装備をまといジャラジャラと機材をぶら下げて木登りするはめになりす。

子供の頃は良かったのに
大人になったらだめ
ってこと、たくさんある。

キャンプというのは、そういう機会にあふれていますから、目をぬすませるけど目を離さない。
そこに技術とシステムを使います。

目を離さないことだけ考えていると居心地も自由度も爽快感も滅されます。技術も話術もエンターテイメント性もパフォーマンスも必要なく、管理とコントロールをすればいい。

行き届かないキャンプは、スタッフの目が足りてなく、そのかわり子どもたちは野放図に駆け回り、不安全でも子どもたちは楽しめます。
が、事故怪我が無いのはただのまぐれです。

子どもたちはキャンプに来ればどんなキャンプでも楽しいんです。
どんなキャンプでも、です。
しかし本当は、目をぬすませるけど離さない、ってところに技術とシステムが使われているか、が大切です。

おそろしいことに
家庭また保護者には
そこにどれだけのことが盛り込まれているかはわかりません。

子どもは楽しかったと言って帰る。
しかし、目が行き届いていてもいなくても、そう言って帰る。

つたない運営者は、楽しかったという感想に満足するから改善もない。
家庭また保護者は、無事なのはまぐれか積み上げた技術が成していることか知る方法がないからこそ、運営者は真剣にスキルを扱おうとするわけだ。

あなに?俺んとこ?
あやしんじゃねって?
そりゃそうだよ。あやしいよ。
あやしくない見てくれで実は危ないやつらより
あやしくしてまで子どもたちの心身を護ろうとする気合。
東京のキャンプ協会の理事長やってるけど、協会の立場では気合いなんて言えません。
長年安全を考えて仕組みづくりをし、それを毎回見直しながらやってる人たちにしか通じないから。

気合いってのが時代遅れだからってどう?
気合無しで子どもを放置するのと
気合いと技術で子どもを護るのと
どっちがいい?

あなんか古くてごめんね。
神田の古本屋のワゴン回ってたくらい古いから俺。
村上春樹の処女作から読んできて、後半は食傷気味になって一切読まなくなったくらい古いから俺。

子供の時、大人の目をぬすんでヘビ玉を道端でやったり、歩道橋からかんしゃく玉落としたり、爆竹をしとんちに投げ込んでたくらい古いから。
盗んだ目をお返しする罪滅ぼしにキャンプやってるのかもな。





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