:: dragonyan ::

日々のこと

優しさの定義

2019-11-20 | 日々の事とか

日が経つのが恐ろしく早いですね。
こないだ天神祭が終わったと思ったらもう冬支度ですん。

会社からの帰り道、自転車で走ってたら
通りすがりになにか呼びかける声が聞こえました。

私に言っているとも思わずに通り過ぎたものですから、
その人が放った言葉が私の脳に認識されたのは
通り過ぎてしばらくしてからでした。

「おまえは“しんと”かっ」

しんと?
シント?
SHINTO?

振り返りもせず通り過ぎたので、
私に言ったのかどうか分からずじまいですが
電話していたのではない限り、タイミング的には私にぽい。

ベレー帽を?
かぶっていたから?
何かの信徒ぽかった?

見ず知らずの人から謎のツッコミを受ける街、大阪。


さてさて、最近思うのです。
優しさっていったいなんだろうか。

私は甲斐甲斐しく人にお世話を焼くタイプではないし、
ともすれば、無関心さが冷たさにも捉えられるかもしれません。

そうでない時期もありましたよ。
でも、その人のため、と動けば動くほど空回りし、
不自然な言動が余計なお世話になっていたと気付いてからは
本来の自分の手札「干渉しすぎない」を取り戻しました。

優しさ、てのは人によって様々な定義があるもんでしょうね。
私にとって優しさは「水に流す」ことかなと思う。
もちろん出来ないときもあります。そらあるわ。

あとは暴力的でないこと。
怒りは沸き起こるものなので出したらええと思います。
イヤなことをされたらはっきりと意思表示はしたほうがええ。

でもそこで「それをする(しない)あなたは最低だ」とか
「そんな考え方をするあなたはおかしい」という風になると
行為ではなく人格を否定する暴力に感じるのですね。
私も気をつけててもしてしまう時がある。そらあるわ。

話変わるけど、山本太郎さんは庶民の立場に立って
きちんと当たり前のことを言える人、、のようですが
私は彼に暴力的な何かを感じて仕方がない。
これは直感みたいなもんなので、
皆もあまり信用するなよ、とかそんな風には思ってません。

いつも対比するように登場させてしまう須藤元気さんは、
格闘技をされていたにも関わらず、
その頃からあまり暴力的な何かを感じない。

安倍氏は私にはバカ殿みたいに見えてます。
なぜいつまでも総理なのか分からない。
さっそく暴力的に人格否定してるみたいですかね。気を付けますね。

話をとぅおりもろす。
優しさの定義として、罪悪感を与えない。なんてのもあります。
それは完全にできてないときがあった。

見守る、見捨てない、水に流す、罪悪感を与えない
こう考えると、私にとって優しさとは引き算のような気がするわ。

犬や猫は何をしてくれなくても、
ただそこで笑ってくれている(ように見える)
それだけで優しさと愛がたくさん伝わってきますものね。