未曾有の大地震「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」は2011年3月11日(金)14時46分頃に発生した。
11日(金)09時31分→
12日(土) →19時29分
私はその時会社の4階にある重要設備機器が設置されている部屋で、仲間と談笑していた。最初は小刻みに、そして1分も経たない内に今まで経験したことのない揺れが襲ってきた。幸い設備は大地震を想定して設置されているため、無事だった。奇跡的といっても良い。
最初の大きな揺れが収まってから社内は非常体制に入り、いつ終わるとも判らない自然との闘いの場に突入していった。外では多数の帰宅難民が発生。私の末娘も学校で待機しているとのこと。幸い、家族、両親の安否は早目に確認がとれた。
仕事柄、社員を仙台に派遣することになり、私の部下も1名随行。着の身着のままで会社の車で出発。5時間で上野の先…とんでもない大渋滞の先には何が待ち受けているのか。切に身の安全を願うのみ。そして本社の非常用発電機の燃料について経営陣が心配したのはこの日だったのか? 仕事がら社員はほぼ全員、徹夜で業務にあたった。
合間を縫って高校同期生の安否確認のため、MLに呼びかけ。仙台市内にも同期生は多数いる。
私が帰宅したのは翌日12日(土)の夜9時すぎだったと思う。電車で帰ったのは確かだが、どのように帰宅したか今となっては思い出せない。
(追記)全国の同業他社の仲間が参加しているML(約90名)に、安否確認と被害状況の情報提供を呼びかけ。
仙台からは想像を絶する内容のメイルが届き、ことの重大さをいち早く察知した。青森も被害はあったが大丈夫とのこと。
続く
11日(金)09時31分→
12日(土) →19時29分
私はその時会社の4階にある重要設備機器が設置されている部屋で、仲間と談笑していた。最初は小刻みに、そして1分も経たない内に今まで経験したことのない揺れが襲ってきた。幸い設備は大地震を想定して設置されているため、無事だった。奇跡的といっても良い。
最初の大きな揺れが収まってから社内は非常体制に入り、いつ終わるとも判らない自然との闘いの場に突入していった。外では多数の帰宅難民が発生。私の末娘も学校で待機しているとのこと。幸い、家族、両親の安否は早目に確認がとれた。
仕事柄、社員を仙台に派遣することになり、私の部下も1名随行。着の身着のままで会社の車で出発。5時間で上野の先…とんでもない大渋滞の先には何が待ち受けているのか。切に身の安全を願うのみ。そして本社の非常用発電機の燃料について経営陣が心配したのはこの日だったのか? 仕事がら社員はほぼ全員、徹夜で業務にあたった。
合間を縫って高校同期生の安否確認のため、MLに呼びかけ。仙台市内にも同期生は多数いる。
私が帰宅したのは翌日12日(土)の夜9時すぎだったと思う。電車で帰ったのは確かだが、どのように帰宅したか今となっては思い出せない。
(追記)全国の同業他社の仲間が参加しているML(約90名)に、安否確認と被害状況の情報提供を呼びかけ。
仙台からは想像を絶する内容のメイルが届き、ことの重大さをいち早く察知した。青森も被害はあったが大丈夫とのこと。
続く
帰宅後、国内外の無線仲間からのメイルに返信したり、結局2時に就寝。
続く
朝からの会議では業務を続行するために何が必要かに焦点が当たったが、ビル設備については総務の仕切り、他の設備は私の仕切りであることを確認。泥縄か?
本社ビルの非常用発電機燃料確保の目処が立ちそうだ。
二日連続の早起きで早目に帰宅。その足で両親に電池と電池駆動のラジオ、ついでに買った切り餅などを差し入れ。84歳と80歳の老夫婦にはラジオの情報があっているようだ。
続く
待ち時間は12分程度だったが、待っている間のホームは寒い…なんて、愚痴ってはいけない。
寝不足と休みなしの出勤で疲労が蓄積しているのが自分でも判るが、今日は14時から採用の面接試験官を勤めなければならない。娘と同年代の男女の面接は、はっきり言って辛い。一人ひとりはいい息子、娘さん達だが当社の将来を任せる人材たるや?面接官は5名だが、当然私も責任がある。こんな状況の中でも決められた時間に当社を尋ねてくれた彼らの将来を左右するなんて、本当はできない。中には石巻出身者もいた。終了したのが18時頃。
途中欠伸が出そうになり、数回かみ殺した。
面接を終了して机に戻ると、他県にある重要設備が16時11分から計画停電の最中とのこと。
本社以外のこの停電中の設備こそが、当社の最重要設備なのだが電源は三重系統になっており非常用発電機も燃料満タンで9日程度は大丈夫と経営陣には説明してあるものの、何事も初めての経験は緊張する。トラブル無く2時間後の18時11分に復電。
帰宅は比較的スムーズだった。
缶ビールに冷酒で気分転換して就寝。
続く
9時30分からの定例会議では各部局からの経過報告、今後の対応策が報告される。いつもは「特になし」で済ませるのだが連日の経過と対応と対策を口頭で説明。
経営陣が理解したのか安心したのか判らないが、担当部局としては粛々と普段通りのことをやっている。
いざ縁の下の力持ちにスポットライトが当たるとどのように振舞ってよいのか落ち着かないものである。
16時から某会社の皆さんと、当社のメンバー計10名程度で会議。終了後、当社の主要設備を案内し業務終了。
明日は計画停電に当たっているので夜勤の社員に確認し、地下鉄で帰宅。
電車には直ぐに乗れたが、2つ先の駅でしばらく停車。秘密兵器で地下鉄連絡無線を傍受していると先々電車が駅に停車しており、それぞれの駅で乗客が大混雑しているとのこと。
JRへ振り替え措置をとっているとのこと。この措置はどの路線にのっても無料で乗れるということで、過去にも数回利用しており、迷わずJRに向かう。ちょうど乗り換え駅だったのが幸いした。(後でよくよく考えると必ずしも幸いだったとは言いかねるが)
ここで1回乗り換え。更に1回乗り換えて目指す路線にたどりついたが、そこで予期せぬ間引き運転。
始発だったので座れるだけましと思い、15分程度発車まで待った。更に私鉄に乗り換えて自宅到着。通常1回の乗り換えですむのが4回乗り換える羽目になったが、愚痴は言うまい。
帰宅後は風呂にも入れたし、缶ビールと日本酒の精神安定剤にもありつけたのだから。
続く