1月27日の東奥日報子ども新聞。
見ました。
読みました。
「ん?コラム・・・。」
(なまいきナ!)
いや、立派な文章でした。
SHUTAくん!
そうか!
やっぱり、夢は甲子園か。
「甲子園出場おめでとうございます。」
「はい、ありがとうございます。」
「野球は、いつ頃から始めたんですか?」
「小学校の頃から、イースト・ジュニアというチームでやっていました。」
「そうですか。」
「小学校の頃は、どんな選手だったんですか?」
「チームのブログに、僕のちっちゃい頃の様子が載ってますから見てください。」
こんな、やり取りが、
ないとも限らないので、
あらためて写真をハッ付けとこっと。
学童大会2011 市営球場 【PHOTO BY TAKEママ】
甲子園出場・・・。
それなら、KEIGOだって可能性は高い。
オータムスカイ2011【PHOTO BY MINO】
学童大会2011 市営球場 【PHOTO BY TAKEママ】
(・・・。)
押さえで、KAIくんも載せとコ。
学童県大会【PHOTO BY MINO】
小学校で野球をやっていても、
高校まで野球をやる選手は、
1割くらいだろうか。
10人いれば、1人くらい・・・。
その1人がベンチ入りを果たして、
さらに、その高校が県予選を勝ち進んで、
甲子園の切符を手にすると考えれば、
甲子園に行くということは、
随分、難易度が高く感じられる。
考えてみれば、青森県の高校球児の内、
夏の甲子園の土を踏めるのは、
ベンチ入りを果たした20人。
平成21年の青森県の東京大学、京都大学の入学者が21人だそうだから、
甲子園のグランドに立つということは、
東京大学や京都大学に入るよりも難易度は高いのかもかもしれない。
いや、浪人しても東大は狙えるから、
一発勝負のトーナメントの甲子園の方が、
難易度は、ずっと高いだろう。
しかし、野球をやってさえいれば、
その可能性は「0」ではない。
まあ、16歳から18歳の青春真っ只中で、
何かに打ち込むということが大事なことで、
それが野球じゃなければいけないといことはない。
この頃に打ち込んだことは、
その時代の仲間を含めて、
一生の宝物になるはず。
これからの、皆さんの活躍を期待しています。
監督もおっちゃんも、
チームOBの高校野球の試合は、
ちょくちょく見に行っているようだ。
もちろん、不肖、私も見に行きます。
(青森市内の会場に限られますが・・・。)
さらに、押さえで、TAKUROの写真も・・・。
これは、まっ、いっか。
by mino
5年生のSHUHEIくん。
楽天野球教室、恒例の「生き残りノック」で、
見事、最後の1人まで生き残り、
サイン入りユニフォームをGETしたそうです。
(おめでとう!)
私の記憶では、EJで二人目。
最初に、サイン入りユニフォームをGETしたのは、
8期生の千葉康平くんでした。
実は、私事。
12月の大人向けの生き残りノックで、
最後の2人まで残ったまではよかったものの、
だんだんと短くなるノックの間隔に付いてゆけず、
最後は、足が縺れて、
力尽きました・・・。
サイン入りユニフォームには、
あと一歩で届きませんでいたが、
「TAKUROのお父さん!
ちょっとかっこよかったよ!」と、
はたで見ていた「若い」奥様から声をかけられたのが、
ちょっと、嬉しかった・・・。
サードSHUHEIくん。サンドーム大会(勝田クラブ戦より)
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