憂さ晴らして今日も生きる日記

今日も憂さ晴らして生きてる現実逃避が得意なさすらいの介護人
いつかはエッセイとか書いて雑誌に載りたい!という幻想中?

戦後最悪な事態

2011年03月13日 | Weblog
地震・津波の被災地から伝わってくる情報を目や耳にするたびに自分は無力すぎると腹がたつやら涙が出るやら。。。

津波で家が無くなり、家族が見つからない中、涙を流しながら歩きまわる人をみると、私も幼い頃、火災にあって何もかもを無くした時を思い出す。
私も幼い頃の記念のモノ等は全て無い。
お雛様も、ヘソの緒も、七五三の着物も、写真も無い。


今、全ての被災地に食料が行き渡っている訳ではないのよね。
ある海辺に近い被災地の方たちの話を聞いて泣けてきた。
ライフラインが全てダウンしている中、助かった者同士で食料を調達に歩き、カップ麺を見つけて来るもお湯が沸かせない為、皆で麺を割ってかじっているとか。
自衛隊が数人視察して帰るも何の支援もなく、政府からの振り分けがないため今夜も寒い中、瓦礫の中で過ごすんでしょう、、、

どうやったら皆に食材を渡せるようになるんだろうか?

余震が続く不安な中、安易に不安を煽るような情報だけは流さないでほしい。

命があればこそのモノの価値がある。
命があれば、なんとでもなる!
家やモノを無くした辛さをわかっている私が言うんだから間違いない。

ファイト!!

自然の猛威の中で人は無力

2011年03月13日 | Weblog
大地震が起きたその日は休みだった。
東京での大地震。

母親と自宅に居て、昼ドラみたり、韓国ドラマが始ったりして
いつもと変わらず母親と口喧嘩しながら過ごしていた。

すると、地震。

最初はすぐに落着くだろうといつもの通りに安易に考えていたが
次第に揺れが大きくなった。
母親はパニックに陥り、何故かバッグを片手にスリッパのまま
玄関の外へ出ていくありさま。
私は必死に冷静に対応しようと思い母親を止める。
地震がようやくおさまった。
私の家では、時計と玄関先に飾っていた花瓶が倒れてきたのと
トイレのタンク内の水や風呂場の水が流れ出てきた程度の被害で済んだ。

すぐにテレビが報道番組に変わる。
他の地域が大変な事になっているのに気がつく。

大変だ・・・
これは、もう、日本が終わりを告げる日だと思った。
富士山が爆発して、そして、日本も終わるんだと真剣に考えたりして。

早く、1日も早く復興してくれることを祈るばかりだ。

私に出来ることは何かあるんだろうか?
同じ島国の日本人が苦しんでいる中で私にも何かできることはないんだろうか?
同じ日本に住む同じ日本人が寒くて凍えて夜を過ごしている。
おなかいっぱい温かい物を食べて安眠出来て安心して過ごせるように
早くなってくれるよう祈るしかないんだろうか?

とりあえず、まずは、余計な電気を使わないことにしよう。
少しでも現地の人たちに電気が回るように。

こんな大変なご時世の中、バカな奴がチェーンメールを流しているね。
いい加減にしてもらえないだろうか?!(怒)
今、この混乱してる最中、あんなメールを他人へ転送しまくる人間の心と考えがしれない。

戦後、その昔、壊滅状態だった日本を見事復興させた日本人が多くいたように、
私たちも力を合わせて頑張ってこの大変な状況を乗り越えよう!!!!

頑張れ!

頑張るぞ!

日本はこんなことで負けない!!