母が日曜日に一日じゅう掃除をしていて、その日疲れすぎて眠れなかったそうだ。次の日、しんどいから何もせずにおこうと思ったが、安くて生きのいい魚
を見つけたので、料理して弟夫婦の所に持って行ったと。孫の世話もしているが、夜7時まで面倒をみて、ご飯を食べさせお風呂に入れて弟の家まで送
っていくと言う。そしてしんどいと・・。娘の私は、くたびれている時くらいは、お風呂ぐらいはやめてその分休んでほしいと思って話したが、孫が「おばあち
ゃんの所で入りたい」と言うので、そうしたらしい。
多分、くたくただったと思う。それでも、孫はかわいくて、色々な思いがあっても人に良くする。立派だと思う。70代後半にして、ある意味夜の7
時半~8時までは休めない。それからご飯を作って食べたらもう9時になってしまう。
そんなことを考えていると、無理してほしくない為に、自分では休んでほしいことを強調したつもりが、母にはきつく聞こえたらしい。
「子供がいないからしかたないかもしれないけど、きつい」と・・。
私の言葉の配慮が足りないのだと思う。それと、やはり母の言うように、子供を産んで育てることをしていないので、包み込むような愛情に欠けているよう
な気がする。母から言われた言葉と共に自分を見詰めると、少し心が痛かった。あぶり出し・・。このことだけではなく、自分の心の暗い部分が事あるごと
にあぶりだされているような気がする。生きながらのバルドォ・・。反射も早く、まるで鏡のよう。でも、この事は自分だけでないらしい。私の言葉は反射して
自分に返ってきたが、きつかった母の言葉もどうやら母自身に反射した様子fだった。心が隠せない時代を実感する。
音楽の方も、人の為に活かされるような方面は、おかげさまで少し忙しくさせてもらっている。でも、自分の勉強の方は足踏み状態のような感じがする。
はっきり別れてくるのかもしれない。でもそれは本望。今の目標は、感謝をしながら、目の前の事を神事ととらえ向き合うことが出来る事。
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