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「笑っていいとも」が拡げる喜び組の輪

2006年10月31日 20時52分06秒 | Weblog
参考文献:
社会は笑う―ボケとツッコミの人間関係。あるメディア学者が80年代論の最高傑作としてあげていた。ひょうきん族あたりからギョーカイ・ネタが目立つようになり、ボケ・ツッコミ関係に観客、さらにテレビ視聴者が巻き込まれてゆく様子が描かれている。
この前たまたま昼に「笑っていいとも」がいまだに放送されているのを目撃した。「笑っていいとも」が最悪なのはタモリの問いかけに観客が「そうですね!」と合唱するところである。北朝鮮の喜び組のような。タモリみたいなイモリの真似とかしかできない場末の芸人に相槌を打って何が楽しいんだろう。「笑っていいとも」というタイトルからして喜び組への参加を強要する同調圧力が出ていてダメぽ。何であんな番組が何年も続いているんだろうか。
YouTubeで久しぶりに見て思ったが「ひょうきん族」(YouTubeからは最近大部分削除された模様)はあまりにも弛緩していて今では見るに耐えない代物であった。その場の文脈に強く依存しているために後になって何が面白いのかわからなくなってしまう笑いだったということである。それはその後ますますそうなっていく。例えばダウンタウンであとに残る笑いは「夢で逢えたら」(これは面白かった)くらいに違いない。