先日、ぶらり呉を観光しました。
出発日は5月30日(木)の夜10時で、寝台特急に乗り込みました。私は、寝台特急は初めてでしたが、あまり広くない部屋でしたが、まずまずの列車旅を楽しみました。
そして、翌朝早朝、岡山で新幹線に乗り換え、広島に向かいました。そして、広島に到着後は普通電車に乗り換え、呉に到着したのは9時前でした。
呉駅に到着後、バスに乗り換え、潜水艦が見られるというアレイからすこじま(名前の由来は、呉浦にあった周囲30~40mの「からすこじま」(大正時代に魚雷発射訓練場として埋立)という小島の名称と、英語の小道(アレイ)からきたもの。だそうです)へ。桟橋には複数の潜水艦が停泊していましたし、入れ違いで出・入港の艦艇があり、なかなかいいものを見させて頂きました。
ここで休憩を。と思って座ろうとしましたが、これの上には怖くて座れないよ、、、(涙)。
ここには、旧魚雷揚げ下しクレーンがモニュメントとして残され、旧軍港の名残を残していました。
また、周りには赤レンガの倉庫が多数あり、見所満載でした。
アレイからすこじまを観た後は呉駅にバスで戻りました。そして、駅から少し歩いた所にあります、海上自衛隊呉史料館(愛称は「てつのくじら館」)へ。ここは、退役したゆうしお型潜水艦の「あきしお」 (SS-579)が目印で、その中にも入る事が出来ます。
ここでは、あきしおに入る前に、旧海軍解体後から現在の海上自衛隊の任務である掃海(海上にある機雷の処分)の歴史や資料が展示していました。
※画像は湾岸戦争時にイラクによりバラまかれた機雷です。
また、潜水艦の歴史や潜水艦乗り(サブマリナー)に関する資料が沢山、展示されていました。
※画像は夜食のサンプルですが。画像が赤いのは、潜水作戦中の潜水艦は、夜は赤色電灯の下で活動している、という事で電灯を赤くしてみたものですが。食事は美味しそうでしょうか??
そして、ようやくあきしおへ。見学出来たのは艦内の一部ですが、発令所など、漫画や映画で観た世界がそこにありました。
※画像は操舵室のものですが。私はその席に座らせてもらい、舵を操ってみました(#^.^#)。
てつのくじら館を後にして少し早い昼食を。呉市海事歴史科学館(愛称は大和ミュージアム「やまとミュージアム」)の側のお店で頂く事にしました。
この日は金曜という事もあり、旧海軍・海上自衛隊の伝統であるカレーを。士官カレー(タンシチューをイメージした、柔らかくしたタン入り)カレーを頂きました。
そのお味ですが、柔らかいタンに大きめ野菜の中辛カレーはいいですね。お値段は少々はりましたが、思い出になりました。
燃料タンクがフルになった所で館内に。ここは、大和の1/10の模型の他、多くの資料が展示されていました。
この歴史館では、明治の呉鎮守府開設から日清・日露戦争や、戦後の軍縮、大戦、そして敗戦後の復旧までの多くの資料が展示されていました。そして、その中には、戦死前に最期に書かれた妻への遺書や、特攻前の遺書等、目頭が熱くなる資料も沢山展示されていました。
このミュージアムの目玉の大和は、1/10のスケールでしたが、とても大きかったです。また、大和の他、零式艦上戦闘機や人間魚雷「回天」等の展示物もあり、左右の思想は関係なく、色々と考えさせられる事が多かったですね。
呉に向かう前は、この三箇所を観る予定でしたが、てつのくじら館を見学した際、現役の海上自衛隊・広報の方から、第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)の見学が可能という事を聞いていましたので、江田島にフェリーとバスで向かいました。
フェリーの中では、呉沖に停泊中のひゅうが型2番艦の「いせ」を遠くでしたが見られました。
第1術科学校では、旧海軍兵学校時代から使用されています、大講堂等が見られました。そして、ここは、昭和天皇が二度行幸した場所だそうで、中はマイクがなくとも声が通るように和紙が貼られた天井など、とても驚かされました。
また、「坂の上の雲」でも舞台にもなりました、幹部候補生学校庁舎(海軍兵学校生徒館)はとても立派で、そのレンガも立派でした。
この学校での最後の見学地は教育参考館です。中には、坂本龍馬の鎧等、江戸末期の幕末からの資料が残されていました。また、中には、大和ミュージアムと同様に戦争で散華した遺書や家族に宛てた手紙等があり、自然と瞼から水滴が、、、。戦争の意義がどうであれ、国や家族を思い、散華した方々に恥じない生き方をしたいと思いました。
江田島から呉には高速のフェリーで。小型で高速でしたので揺れましたが、色々な船を観て、乗って、船好きな私にはとても満足の一日でした。
そして、この日の最後は広島駅近くの広島風お好み焼きで。うーん、本場の広島風お好み焼き店で、通常の広島風お好み焼きでないスペシャルを注文したのが、良かったのか、悪かったのか、、、(-_-;)。
私の短い旅は、こうして、世が更けたのでした。
出発日は5月30日(木)の夜10時で、寝台特急に乗り込みました。私は、寝台特急は初めてでしたが、あまり広くない部屋でしたが、まずまずの列車旅を楽しみました。
そして、翌朝早朝、岡山で新幹線に乗り換え、広島に向かいました。そして、広島に到着後は普通電車に乗り換え、呉に到着したのは9時前でした。
呉駅に到着後、バスに乗り換え、潜水艦が見られるというアレイからすこじま(名前の由来は、呉浦にあった周囲30~40mの「からすこじま」(大正時代に魚雷発射訓練場として埋立)という小島の名称と、英語の小道(アレイ)からきたもの。だそうです)へ。桟橋には複数の潜水艦が停泊していましたし、入れ違いで出・入港の艦艇があり、なかなかいいものを見させて頂きました。
ここで休憩を。と思って座ろうとしましたが、これの上には怖くて座れないよ、、、(涙)。
ここには、旧魚雷揚げ下しクレーンがモニュメントとして残され、旧軍港の名残を残していました。
また、周りには赤レンガの倉庫が多数あり、見所満載でした。
アレイからすこじまを観た後は呉駅にバスで戻りました。そして、駅から少し歩いた所にあります、海上自衛隊呉史料館(愛称は「てつのくじら館」)へ。ここは、退役したゆうしお型潜水艦の「あきしお」 (SS-579)が目印で、その中にも入る事が出来ます。
ここでは、あきしおに入る前に、旧海軍解体後から現在の海上自衛隊の任務である掃海(海上にある機雷の処分)の歴史や資料が展示していました。
※画像は湾岸戦争時にイラクによりバラまかれた機雷です。
また、潜水艦の歴史や潜水艦乗り(サブマリナー)に関する資料が沢山、展示されていました。
※画像は夜食のサンプルですが。画像が赤いのは、潜水作戦中の潜水艦は、夜は赤色電灯の下で活動している、という事で電灯を赤くしてみたものですが。食事は美味しそうでしょうか??
そして、ようやくあきしおへ。見学出来たのは艦内の一部ですが、発令所など、漫画や映画で観た世界がそこにありました。
※画像は操舵室のものですが。私はその席に座らせてもらい、舵を操ってみました(#^.^#)。
てつのくじら館を後にして少し早い昼食を。呉市海事歴史科学館(愛称は大和ミュージアム「やまとミュージアム」)の側のお店で頂く事にしました。
この日は金曜という事もあり、旧海軍・海上自衛隊の伝統であるカレーを。士官カレー(タンシチューをイメージした、柔らかくしたタン入り)カレーを頂きました。
そのお味ですが、柔らかいタンに大きめ野菜の中辛カレーはいいですね。お値段は少々はりましたが、思い出になりました。
燃料タンクがフルになった所で館内に。ここは、大和の1/10の模型の他、多くの資料が展示されていました。
この歴史館では、明治の呉鎮守府開設から日清・日露戦争や、戦後の軍縮、大戦、そして敗戦後の復旧までの多くの資料が展示されていました。そして、その中には、戦死前に最期に書かれた妻への遺書や、特攻前の遺書等、目頭が熱くなる資料も沢山展示されていました。
このミュージアムの目玉の大和は、1/10のスケールでしたが、とても大きかったです。また、大和の他、零式艦上戦闘機や人間魚雷「回天」等の展示物もあり、左右の思想は関係なく、色々と考えさせられる事が多かったですね。
呉に向かう前は、この三箇所を観る予定でしたが、てつのくじら館を見学した際、現役の海上自衛隊・広報の方から、第1術科学校(旧海軍兵学校跡地)の見学が可能という事を聞いていましたので、江田島にフェリーとバスで向かいました。
フェリーの中では、呉沖に停泊中のひゅうが型2番艦の「いせ」を遠くでしたが見られました。
第1術科学校では、旧海軍兵学校時代から使用されています、大講堂等が見られました。そして、ここは、昭和天皇が二度行幸した場所だそうで、中はマイクがなくとも声が通るように和紙が貼られた天井など、とても驚かされました。
また、「坂の上の雲」でも舞台にもなりました、幹部候補生学校庁舎(海軍兵学校生徒館)はとても立派で、そのレンガも立派でした。
この学校での最後の見学地は教育参考館です。中には、坂本龍馬の鎧等、江戸末期の幕末からの資料が残されていました。また、中には、大和ミュージアムと同様に戦争で散華した遺書や家族に宛てた手紙等があり、自然と瞼から水滴が、、、。戦争の意義がどうであれ、国や家族を思い、散華した方々に恥じない生き方をしたいと思いました。
江田島から呉には高速のフェリーで。小型で高速でしたので揺れましたが、色々な船を観て、乗って、船好きな私にはとても満足の一日でした。
そして、この日の最後は広島駅近くの広島風お好み焼きで。うーん、本場の広島風お好み焼き店で、通常の広島風お好み焼きでないスペシャルを注文したのが、良かったのか、悪かったのか、、、(-_-;)。
私の短い旅は、こうして、世が更けたのでした。
今回の小旅行は充分に楽しまれたでしょうか?私はまだ呉に行ったことはありませんが、記事を見て私も旅に行きたくなりました。呉市と言えば臨海工業都市のイメージがありますが、戦前は帝国海軍の重要拠点でしたね。今でも海上自衛隊の軍港でもありましたか。
画像の「あきしお」、本当に「てつのくじら」に相応しく本当にデカい。潜水艦としては特に大型ではないですよね?そして湾岸戦争時にイラクがバラまいた機雷も、直に見れば大きいのでしょうか?
夜食のサンプル画像ですが、メニューはよさそうに見えても、この照明下ではとても美味しそうに見えません。ま、作戦中に食事を楽しむことは無理でしょうが、、、
士官カレーは具が少ないのは残念ですが、美味しそうですね。士官カレーがあるなら、「兵卒カレー」のような安いメニューもあるのでしょうか。
大和ミュージアムは軍事オンチでも見応えがありそうです。実は「ようそろ」という言葉、宇宙戦艦ヤマトで初めて知りました。今も海上自衛隊で使われているのでしょうか。
第1術科学校や海軍兵学校生徒館、教育参考館はどれも見事な建造物です。画像だけで私も行きたくなりました。戦死者の遺書や家族に宛てた手紙等を見れば、私も目頭が熱くなるでしょう。ところでMarsさんは、原爆資料館をご覧になられたことはございますか?
>>戦争の意義がどうであれ、国や家族を思い、散華した方々に恥じない生き方をしたいと思いました
同感です。もっとも言うは易しですけど、、、
コメントありがとうございます。
呉は今回二回目ですが、前回が残念だっただけに、今回は色々と楽しめました。でも、かなり、弾丸な旅行でしたので疲れました、、、(^^ゞ
「あきしお」を含むゆうしお型ですが、満排水量で3000トンと、小型ではないものの、特別大きくはありません(日本の潜水艦はディーゼル等の非原子力機関ですが、原子力潜水艦に比べれば小型ですね)。
また、湾岸戦争当時の機雷ですが、大きさから見るとそれ程大きくない(大きすぎると、発見されやすいですよね)のですが、こいつに当たると1万トンを超える船でも沈没の危険があります。
長い航海の中での一番の楽しみといえば、やはり食事ですが、狭い軍艦の中では、運動をちゃんと取らないと太ってしまいますね。
(艦内が狭い潜水艦では、特に野菜の摂取に気をつけているそうですが、やはり、航海の最初では沢山あっても最後には、かなり少なくなるそうです)
また、ご質問頂きました士官カレーですが、タンカレーをモチーフにしたそうですが、兵卒カレーはどうでしょうね。
(海上自衛隊では旧海軍の伝統で、金曜日にカレーを食す習慣がありますが、士官には給仕が付き、下士官以下はセルフサービスの違いはあれ、頂くカレーは同じです)
「ようそろ」という言葉は今も使うそうです。意味は、「了解」とか「問題ない」という意味だそうです(例、「取舵戻せ」「ようそろ」とかです)。また、自衛隊の中で、海上自衛隊は旧海軍の正統な後継者を自認してますので、言葉だけに限らず、古い伝統を受け継いでいます。
私は原爆資料館を訪れた事はございません。しかし、近隣諸国のように先人を利用するのではなく、我が国のマス○ミをはじめとした売○ではない、先人を思い、未来の国民の為に、何か出来たらななと、口先三寸で言ってみます(激汗)。